「危険運転では死んでも仕方ないという驚くべき判決」 ~警官に撃たれ死亡した男性の「賠償請求」棄却
≪事件が起きたのは2003年9月10日午後6時すぎ、現金計約13万円などが盗まれた3件の車上狙いを捜査していた県警が容疑車両を発見し、追跡。逃走車は、信号無視や速度違反を繰り返して約18キロ暴走した。
しかし、大和郡山市の国道24号交差点付近で、パトカーと一般車両に挟まれた状態で急発進したため、警察官3人が8発、発砲した。
弾は、車の助手席にいた高壮日氏(当時28歳)の首などに2発当たり、高氏は10月5日に低酸素脳症で死亡した。
運転していた犯人の男(当時26)の首にも1発当たった。≫
「何だ、犯人はやっぱ朝鮮人か!」
と言うことで、ネット上では高氏に対する同情は少ない。約1億1770万円もの訴訟を起こした母親に対してもDQN扱いである。
確かに一昔前の日本人なら、息子が犯罪を犯したのならば、逃走中に殺されても、ひたすら「世間に申し訳ない」と頭を下げて謝罪するのが常だった。
加害者側がここまで低姿勢になるのは日本人の特性かもしれない。しかし、今回の事件の場合はどうなのだろうか?
この事件の争点は「警官の発砲に妥当性があったかどうか?」である。
車上荒らしをした挙げ句、パトカーの追跡を振り切ろうと無法運転の限りを尽くし、更に追い詰められても抵抗を続けて射殺されたのだから、「これで発砲に問題があれば、警官が拳銃を持っている意味がない」という意見まである。
しかし、母親側の主張通り、高氏は助手席にいたので運転には関与していない。追い詰められた状態の高氏らに向かって4人がかりで8発も至近距離から発砲する必然性があったかも疑問である。
至近距離からの連続発砲に関しては、裁判長も「未必の殺意」を認めている。
何故、警官達が発砲したのかというと、完全に包囲された犯人達が車を急発進させ、警察官に向かってきたからである。
発砲の動機は、「犯人の抵抗力を奪う」のではなく「、ビックリして怖かったから」と考えた方が妥当だろう。慌てて撃ったので首に当たってしまったのである。
最初から首を狙っていたわけではない。たまたま首に当たったのだ。つまり、警官達の射撃の腕が下手くそだったのである。
裁判長は「発砲は、警察官や市民の生命を守るためやむを得なかった」
として、原告の訴えを棄却した。
警察官側は「逃走車両が一般市民に被害を与える恐れがあった」「運転手の腕を狙ったが外れた」などと反論していた。
前半の「一般市民」は嘘で「警官」に被害を与える恐れがあったのだ。腕を狙って外して首に当たったのは事実である。
結論から言うと、射撃の腕の悪い制服警官でも一丁前に38口径の拳銃を持たせているのが疑問である。実力や状況によって22口径から45口径まで細かく使い分けをした方がいいのではないだろうか?
22口径でも首や心臓に当たれば死ぬが、死亡に至るリスクは大幅に低下する。
「警官が一発撃つごとに始末書を書かされ、気の毒だ」という意見もある。外国人による無法犯罪が急増しているので、「抑止するためにも警官が銃を発射する機会がもっと多くてもいいのではないか?」という意見もある。
誠にもっともな意見だが、要は腕次第なのである。腕の悪い警官が発砲するとやはり危ない。
この母親は判決が不服で控訴するようだが、原告側にも一理ある事件だった。
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