みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

けなげにはたらく

2012-09-29 12:30:15 | 日記

体調いいって

ありがたい。

17日から床に伏せる間もなく ご法事 ご葬儀の二週間。

仏事三昧、残すは明日30日、本山本廟への団体納骨のみとなった。

総勢130人での団体納骨式。
村民が120名なのに、納骨には130人。

つまり、村外に出て行った方々も来られる。

納骨自体は約30柱なので、一軒あたり4人以上の参拝を賜る。

信心深いとも言えるが、日本に根ざしている仏教は「先祖崇拝」なんだなと思う。う~んm(_ _) でもね、お釈迦さんが本来説かれたのは先祖崇拝ではなく、超道徳、超常識、超哲学で 正に「異次元の宇宙真理の教え」であった。

目的は「解脱による悟り」つまり、「仏になること」
異次元の真理とは 宇宙を貫く普遍の真理だが

とかく人類は人種や国や宗教によって「区別や差別」をして 勝手に価値観を作り上げ、同胞とだけその価値を共有し

飽き足りずに、価値観の違う民族にまで自分たちの価値観を「強要する」か 反対に「排他的」になる。
「都合」はイケナイと宗教を論じながら、都合勝手にイデオロギーを生成する。

お釈迦さんは そのいずれでもなく、偏ることのない、「不偏で普遍的な真理」の追求をし、「解脱して悟られた」のである。

人間は「カオスの生命体」であり、生まれながらに矛盾を背負っている。

煩悩が故に生を授かり、煩悩によって生きがいを感じ、煩悩から生じる欲望に苛まれて、振り回されて苦しみ 悶えている。

そんな中で、多少の努力や 多少の修行や 多少の善行や 多少の寄付で

苦しみから逃れられたり、悟りの境地に達する訳ではない。

素人が中途半端に料理するより、超一流の料理人に任せた方が「美味しい」のは ご存知の通り。

悟りのコンセルジュであり、不条理をさばく超一級の料理人「お釈迦さん」をして「阿弥陀仏」は限り無い寿命どパワーと慈悲の化身で、つまれた修行期間は「五劫」とも「十劫」とも言う。

劫は時間の単位ではあるが、人間には想像出来ない長さである。

完全なる功徳を積み、完全な修行に励むなら もう肉体を持った状態では無理と言うことだ。

だから 阿弥陀さんの願いとお誘いで 肉体を離れ「浄土」に行って生まれ変わる(往生浄土)なら 仏さんたちの仲間に入れてもらい 腰を据えて(何兆万年も)仏法を聴き、修行に励み、功徳を積み上げるのが良かろうと言うことなのだ。

人間はカルマから生まれ、カルマに振り回され、カルマに死んで行く。

だからこそ、現実(三次元と言う制約と無常が混在する「今」の連続)を生き抜く為には小さな決断と小さくて確かな行動が大事になってくる。

「できる限りでいいから、素直に話すこと」

「できる限りでいいから、他人の悪口は言わない」

「できる限りでいいから、先ず自分を大事に、他人も大事にする」

小さな決断を正しく出来ない人間は大きな判断が出来るわけはない。

小さな決断を小さな行動 に移すには 違うエネルギーが一つだけある。

それが「勇気」だ。

拙僧に一番欠けているのは「勇気」であります。

ホントの「勇気」こそ 仏道を仏教を人生で実践する要諦なんです。

「できる限り」を実践する事を「忍耐」と言います。

意外と人生は「忍耐」と「決断」と「勇気」と「行動・実践」でなり立っています。


今の中国は中途半端な区別や差別を助長するような「教育」を止めて、「儒教」や「論語」を学んだ方が良い。(共産主義では無理やねぇ)

ちなみに、われらが日本、神道の神髄と その実践はとても超シンプルです。

タダヒトコト「よきこころにしたがへ」と

「よきこころ」とは 言わずもがな

「忍耐」「決断」「勇気」「行動」のことです。

宇宙の真理の深遠を解き明かす教えは 教典何十万巻解き明かしても足りませんが、一個人の人間が成せる事は そんなに多くはありません。

時価総額 世界一のアップル社の スティーブ・ジョブスも言っていたではありませんか

「人生で出来ることは、そんなに多くない」

まさしく!
まさに!
ごもっとも!

大好きだったぞーっ!スティーブ!

では、日頃の小さな「忍耐」「決断」「勇気」「行動」の起爆剤かつ設計図となるものは何か?

それは「夢」であり「目標・目的」

夢があるから忍耐できるし、夢の為には決断できる。夢を具現化するには勇気なくして戦い抜けない。ましてや実践、行動なくして夢の実現は有り得ない。

生きてる人間で、超大好きな人は「三浦雄一郎」さん。「夢じゃないけど、俺には目標がある!」とエベレストにまた登る。80才近いでっせ、あんさん!

このブログで書いたことを具現化したら 三浦雄一郎さんと言う「存在・人」となる。(三浦雄一郎の超バカスーパージジィぶりについては後日詳細をブログで書きます。雄一郎桁外れやで)

でも、お釈迦さんからすれば そんな三浦雄一郎さんでさえ 解脱して仏にはなれないらしい

拙僧「そんな殺生な!お釈迦はん!」

お釈迦さん「だからこそ、極楽浄土に生まれさせて頂いて、浄土で悟りを開きなさい。」

お釈迦さん「それには、阿弥陀さんに頼み 申し上げて 迎えに来て頂くことです。」

お釈迦さん「それに必要なのは、おまえが、ただ念仏をすることだけなのです。あまりにシンプルだから、信じがたいでしょうけど、そうなんだからそうなんです」

もう、ここまで来ると人間の物差しではかったり、理解することは困難である。
~でも、なんだかんだと、そうなんだと信じている。~

どちらかに極端にならず、バランスのとれる支点を見つけることが、小さな「忍耐」「決断」「勇気」「行動」を支えてくれる。

仏教、お釈迦さんは その「支点」をありとあらゆるたとえ話・比喩でお解きになった。

中国では それを「中庸」とよんで思想・哲学の中心に置いた。そこから見事な華が咲くはずだから中華なんである。

経済力と武力で 隣国を威嚇するのは 自己中である
今や中国は中華思想の中国ではなく、自己中の中国と成り下がった。

経済力や武力の成長と反比例して 加速度をまして自己中に突進している。

中華思想がリスペクトした、お釈迦さんの「支点思想・哲学」

拙僧ら僧侶が読経する経典は全て「中国語」で「漢字」である

お経をあげるたびに、悲しくなる、情けなくなる拙僧です。

国連での中国代表のスピーチは小さくて小さくて、とても大国の威厳と迫力があるものではなかった。

こんな小さい政治家たちが頭を執ってる大国・中国って色んな意味で「アブナイ」
田中眞紀子さんがコメントしていた

「どちらもが極端にぶれないことが大事」

その通り、さすが田中角栄さんのDNA。

「不偏で普遍」

明日行く、本山本廟への団体納骨の「しおり」や「チラシ」作りながら ブログしてるが、5000円で購入したプリンターは「のどか」に作業している。

いつ終わんのかな?

ブログ書けたし、まっ、ええかー(^^)

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