人間だけが 死んだのでも 失望したわけではない。
建造物も植物・樹木も一様に流された。
全てが流された中でも生き残った方がおられるように、奇跡的に生き残った樹木がある
高田松原の一本松が有名となったが、この樹木も津波に耐えきった。
奇跡
そして 奇跡が勇気と元気の種になり、未来を創る。
人間だけが地球にとって大事なのではない。
地球上のイキトシイケルもの全てが大事なのだ。
能楽の祖 観阿弥は拙僧の祖、楠木正成公の妹君となる。
大楠公の末裔達は、南朝復興を願い 明治が始まるまで、出自を伏せて隠密・諜報活動をした。
ただひたすら南朝復興を夢見て。
あるものは猿楽、能楽、薬売り、神主、修験者、大道芸、僧侶に成りすまし全国をくまなく諜報活動をした。
観阿弥は半能楽師半忍。
芭蕉は半句聖半忍であったろう。
何の為に?
国家の本当の安寧の為だ。
誰にも知られず、理解されず、ましてや評価されなくても 国家や未来の日本の為に人生を尽くしたのだ。
菅ソウリのように自分の満足と名声の為に生きた人間などいない。
だから忍びというのだ。