みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

ナミキリ不動明王

2011-05-21 18:15:45 | 日記
東寺の北東の方向にナミキリ不動明王がある。ここは弘法大師の地盤(おじば)である。また、真言宗の政所であり、東寺の執行家
のあった所である。 東寺執行家は弘仁十四年から明治四年までの1048年間続いた。

真言宗政所、政所宰主は阿刀家である。阿刀家は
弘法大師、母方の里家。
政所は弘法大師の父の実弟で阿刀家の女婿、阿刀大足が始まりである。

超由緒があるにもかかわらず、とても小さな境内には、なんと石上布留社がある。石上布留社は阿刀家の主祭壇である。相壇は阿刀大神を祀る。

小祠は 三輪・伊勢・賀茂・石清水・二天夜刃(やしゃじん)・役行者・稲荷・弄鈴(なるこ)・王仁などがあり、所せましと祀られてる。

不思議でミニマムで超コンパクトなナミキリ不動明王。全盛期は東寺を中心に五キロ四方が境内であったらしいが、年月を経て現在の大きさ(50坪ぐらい)となった。東寺のスケールには比べられないほど可愛く小さい。
しかし霊験となると別格である。凄まじく霊験あらたかで、お遍路全霊場・高野山・東寺全てに参っても ここに参らないと御利益は来ないと信じられている。また、大和国一の宮三輪神社神道と三輪山伏宗が継受相続されている。三輪山大御輪寺・三輪山平等寺もこのナミキリ不動明王の縁寺であった。

つまり、空海さん 弘法大師さんは阿刀家に縁深く、阿刀家は石上布留に繋がり、物部氏に連なる。

小祠に賀茂や役行者も祀られてるのは 弘法大師のルーツの一端があるからだろう。
ちなみに拙僧の寺には空海さんの御影がある。浄土系の宗派であるにもかかわらず。

不思議なご縁を頂き、京都で用事があった本日は 弘法さんの縁日だった。


南無大師遍照金剛

ナタリー・ポートマン ブラックスワン ナミダトマラン

2011-05-21 01:29:50 | 日記
あー やっちまった。

ブラックスワン

blacks1やで。リドリースコットのブラックレインや黒がタイトルにつく映画の中でナンバーワンやわ

泣いてもた。ワンワン泣いてもた。

切なくて 切なくて

儚さと輝き。命の輝き。一瞬の輝き。そして無常。

Coccoの大好きな曲に「強く儚い者たち」と言うのがあったが、ブラックスワンの根底に流れるものにも同じようなものを感じた。

知覧の特攻隊員の美しさと儚さとに触れた時も 立てなくなった。

ラスベガスで見たセリーヌディオンのコンサートの時は号泣した。

ラスベガスも知覧の件も何れ詳しくブログする。

芸術は常に完璧を求める。大衆音楽は必ずしも完璧を求めはしないが、クラッシックバレエやクラッシック音楽は完璧も美しさの一つになる。

美しさこそが美学なら、完璧さは美学の必要条件に違いない。

美しさは強さでも弱さでもない。限りなく美しさを求める時、限りなく弱さと強さが求められる。

弱さと強さが極限状態でハイブリッドする時、完璧となり、完璧は美しさに昇華する。

禅問答みたいだが、そうなのだ。

弱さが混沌を生み出し、混沌が強さを求める。求められた強さが完璧を誘う。誘われた完璧は美へと昇華する。

やはり禅問答か…

拙僧の長女もクラッシックバレエをやっていた。長女にイメージがだぶり、始終複雑な気持ちで観ていた。
内容的に描写的に父娘で観る作品ではない。色々と。
しかし是非観てほしい作品だ。長女にも芸術を目指す人たちにも。

強さは儚く、儚さは限りなく切ない。

気づいたら、拙僧はあの世からの視点で この作品と主人公を観ていた。

そんな見方をする人も おいおい泣くオッサンも ほとんどいないと思うが、泣くには それなりの理由があるのです。

チャイコフスキーの白鳥の湖。素晴らし過ぎて、やっと今頃分かりました。チャイコフスキーの素晴らしさと白鳥の湖と言う楽曲の素晴らしさを。

白鳥の湖、オーディオ・フルボリュームで聴こう。

夜にはCoccoの「強く儚い者たち」をラジカセで聴こう。

ブラックスワン。

観てない人もいるので詳しくブログしないが、「凄い!」と言う巷の評判よりかは とても切なく、儚く、美しい、とても美しい映画です。

たまには週末、映画館でレイトショーもよかですよ。

人生や命の輝きを愛おしいと思わせくれる作品はそうそうありませんが……