以前、中井貴一さん主役の時の映画はビデオ版こそあれ、DVD化はされていない。
今回、このwowwowドラマ版を楽しみに見たのだが、時代設定を10年ほど若くしたせいか、なんとも言えない違和感を覚えた。
映画版では学生紛争が激しい時代がひとつの舞台になっている。また、左翼とか新左翼など、あの時代ならではの設定が、ひとつのキーになっているのだが、このドラマ版では、そこら辺のインパクトが弱く、犯罪へと駆り出される動機が今ひとつ甘いのである。(もちろん企業をゆするブラックメーラーという設定はあるけれども)
原作を読んでいないので、何ともいえないのだが、私からすれば、あの安保闘争などの学生紛争の時代は、ある種の戦争であったと思う。
昔、今東光なる怪僧が、あの時代の若者の衝動や情熱を「太平洋戦争で、若くして無念の内に亡くなった兵士たちの怨霊が障っているのでは?」のようなコメントをしていたのだが、それは宗教者としての感覚だろう。
しかし、団塊の世代以上の人たちは、あの時代のことを語らない。それは太平洋戦争を生き抜いた世代の人たちが、核心にせまることには、緘口令を敷かれているように、一向に黙秘してしまう様子によく似ている。
このドラマのぼんやりしたテーマは、罪を隠蔽したとき、人はどう生き、どのように反応するのかという人間性、それもどちらかと言えば、人間の弱さ。それがテーマなのだ。
人は誰しも小さな罪のひとつやふたつくらい心の奥底に秘めながら生きているものだ。それが大きいものだとどういうことになるのか?全面否定するか?格闘するか?逃げ切るか?素直に罪を認め、贖う決心をするか?はたまた今生を去るのか?
一つの嘘が次の嘘を生み、そして連鎖的に次の嘘を生んでいく。
昨今のこの国のあり方を考えると、政治的な発言になるけれども、要職にある人たちが揃いも揃って、みんなが嘘をついているかのように白々しく見える。それはこのドラマの役者たちの名演技によるものだろうけれども、微妙な恐怖心を抱えた役者たちの演技するところの表情というか顔つきというか、受ける印象がリアルな人たちのそれとそっくりなのだ。
真実、本音の発言をすると、現実的な生活を締め出される。それはある種、戦前の治安維持法下の、庶民が怯えながら生きてきた時代の再来を告げる不吉な兆候とならないことを祈る。
今度、機会があったら、原作も読んでみよう。確か、前面改訂したような記事を読んだことがある。