PLUTO (プルートウ) 全8巻完結セット (ビッグコミックス) | |
浦沢 直樹 | |
小学館 |
浦沢直樹氏のコミック「プルート」を今朝の通勤電車の中で読了。元々は手塚治虫氏の「鉄腕アトム・史上最大のロボット」がベースになっている。
しかし、これは奥が深い。深すぎてまるで宗教書のようである。
で、元々の手塚治虫氏のストーリーがどうだったんかが気になるので、それを今度、読んでみようと思う。
しかし、それにしても、浦沢氏はすごい漫画家だ。「YAWARA!」、「モンスター」、「マスター・キートン」、「20世紀少年」、そして最近では「ビリー・バット」、スゴイ才能である。
科学の進歩により、ロボットと人間との差異がどんどん縮まって、人類とロボットが理想的に共生している未来。
そこに文明の対立する人類同士の戦争が起こる。そこでロボットも傭兵として参加し、軍事力の弱い国が壊滅的に荒廃する。そこに人間のエゴに操られたロボット同士の代理戦争がからみ、ラストへと向かうのであるが、この作品を読んでいると、人間を人間たらしめているもの。
その基準がわからなくなる。
人間の本質は何であるのか、どうあるべきか、その生存理由は?何が間違っていて何が正しいのか?そもそも正しいという基準などあるのか?などと、自問自答しながら、ページをめくっていた。
そして作品に登場するロボットたちが、人間以上に高尚な生き方を全うすればするほど、人間という動物の矛盾を抱えながら、宙ぶらりんに生きている自分自身が嫌になる。
この本は宗教書だと思う。
人が人としてどうプログラムされているのか?つまり神の視座として、人間はどう存在すべきなのかをやんわり、実は厳しく問いかける作品のような気がする。
人間とロボットの差はなんなのだろうか?
1、人間は都合よく忘れることができる。
2、人間は憎むことができるし、許すこともできる。
3、人間には寿命がある。
4、人間は願いを持ち、祈るということをする。
5、人間は眠る。
6、人間は死ぬ。
等々。
もし以上の基準というか資質をロボットがクリアすれば、それこそ人間とロボットの差異がなくなる。
神の視座で見るなら、肉体も物質と見ることができるかもしれない。
この作品に出てくる、ロボットから抜かれるメモリーが「魂」と見れば、分かりやすくなるかもしれない。
ロボットのメモリーは抜かれてても、生誕から死(破壊される)まで、すべての記録をメディア(記録チップ)に記録する。それは物理的な記録だけではない。ロボットが人間のように、最後の瞬間に強烈な憎悪を抱いたとしたら、それさえも記録されている。それは感情として記録されているのか?それとも電気信号の組み合わせとして記録されているのか、よくわからない。
しかし、その記憶チップを別のロボットに注入すると、そのチップをベースにして、受け手側のロボットの頭脳の中で新しい解釈(感情?哲学?倫理観?道徳?)が生成されるのだ。
復活したアトムが強烈な憎悪を咀嚼し、止揚ていくプロセスの描き方は素晴らしい。
この作品に出てくるロボットたちはみんな立派だ。
ロボットは人間以上に成長する。
人間のようで人間でない、いや人間らしさを追求すれば、それは人ではなく神の領域の住人ではないのだろうか?