85年代半ばに登場したピアニスト、村松健さん。最初は当時流行していたフュージョンというかクロスオーバーというか、テクニークが優先するような楽曲、(もちろん、それは村松さんのポリシーではないのは、明白だけれども、)のアルバム作品から、イメージをまるでガラリと変えた「緑の想い」で、私はかなりのファンになった。
それはLPレコード全盛の時代の話。今みたいに文字以上の情報が入らない時代に、失礼な話であるが、最初は「緑の想い(85年)」のレコードのジャケットが気になって聞き出したのだ。
そしてレコードに針を落として、最初のイントロからノックダウン。ノックダウンって言っても、音楽は優しいから、そんなパワフルなイメージを想起させる言葉を使うのは不謹慎かもしれない。でも、ずっとさがしていたはずの音楽をようやく見つけたような感動を覚えた。
レコードのAB両面をカセットに録音し(なんてアナログな時代!)、昔、ガールフレンドに貰った赤いサニーの車中でずっと流していた。
そしてその次にでた「夏のぽけっとに「86年)」
リリースも確か夏だった。夏というタイトルだけあって、自然の多い、どちらかというと山の田舎の生活を疑似体験できるトータルなアルバムだったけれども、もうこの作品でこれ以上、私の魂に最高にフィットする音楽はないと悟ってしまった。
あれから25年経つけれども、それは今でも変わってはいない。
5作目のアルバム作品「夏のぽけっとに」
そこには、いろんな夏の風景があった。
気怠いシェスタの目覚めた昼下がりの夏、夕方のなんともぼんやりした蒼さの田畑、池に揺らめきながら映る優しい満月、名前を刻むように鳴く蝉たちのレクイエム、太古の昔の記憶に繋がる夢の始まりの夏の真夜中、川で冷たい水を掛け合う子供たちの戯れ、たくさん引き算をした色の対比がすばらしい白と青の夏の空、乾燥した小さな砂漠を思わせる夏休みの小学校のグランド、土の匂い、洗濯物の匂い、汗の匂い、すべての夏の匂い、とにかくそのアルバムを聞くだけで、宝箱をあけるように、夏のイメージが洪水のように溢れでてきたものだ。(もちろん、それは今でも変わってはいない。)
とにかくその当時、村松さんの音楽以外に、村松流の音楽は存在していなかったのだ。
ずっと、ずっと、聴いていたはずなのに、20歳代を過ぎると、だんだん遠ざかってしまっていた。もちろん、村松さんの活動自体は、いろんな媒体で目にすることはあっても、最新作を聴くというスタンスを放棄している自分自身がいた。
が、しかし、最近、縁があって、村松健さんの音楽と再接近している。縁といっても、いろんな側面で論じることができる。まずはインターネットという利器があって、村松健さんの現在の活動を知ることができた。
話は後日に続く!乞うご期待!
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