こまきのブログ

日々感じたことをつれづれなるままに記してみたい。

野内川の白魚漁

2006-05-27 20:19:04 | Weblog
今年初めて、青森市東部を流れる野内川のシロウオ漁を見に行ってきました。多分、シロウオ?シラウオとは全く種類が違うんだそうですね。なんとまあ、紛らわしい。いつも間違えます。

水温が低いせいか、昨年に比べて3週間ほど魚の遡上が遅いそうです。食べ方はなんといっても、躍り食いが一番人気?いや、卵とじもすごくおいしい!

リンゴの花が最盛期

2006-05-24 23:41:22 | Weblog
リンゴの花が今を盛りと咲き誇っています。真っ白な花弁とつぼみの赤色が鮮やかなコントラストです。この花が咲く頃には、青森では、また田植えのシーズンです。リンゴと米の両方を手がけている農家の方々は、てんやわんやの時期でしょう。どちらもちょうどよいタイミングがあり、一方をちょっと待つというわけにもいかないようです。今年は例年に比べて気温が上がらず、農作業が遅れ気味だそうです。これから夏に向けて、気候が順調に回復してくれることを祈るばかりです。

水芭蕉の群生

2006-05-14 08:17:44 | Weblog
「夏が来れば思い出す 遙かな尾瀬 野の小道 水芭蕉の花が咲いてる・・・」この歌詞の背景に、水芭蕉の群生があったのを遠い記憶の中で思い出します。高原では初夏の頃が水芭蕉が一番の見頃なのでしょうが、今の時期、青森市内の東部にある神社の境内にこれが群生しています。

昔は周りに宅地はあまり建っていなかったのでしょうが、どんどん宅地化が進み、今では周りをぐるっと民家に囲まれています。神社は氏子の方々に時々管理されているようですが、水芭蕉が群生している池は決してきれいとは言えないような状況です。周辺の水路がどんどん整備され、池に流れ込む水の流れが変わっていけば、いつまでこの群生地が持つのか、心配です。

サクラ散る

2006-05-07 16:53:20 | Weblog
さくら祭りで全国的に有名な弘前公園の宴は、今日が最終日のようです。当初、雨模様の天気予報だったようですが、はずれて良かった。特にお店を出している人たちが喜んでいるのではないでしょうか。

私の住んでいる町内のサクラも地域では結構有名所で、遠くから現物に来る人も多いようです。今年は寒い日が続いて満開になたのはつい何日か前でした。町内の商店会では、桜並木通りに延々と提灯をご丁寧に飾り付けてくれまして、夜桜の風景にちょっとだけ、いや、かなり邪魔な舞台配置をしつらえてくれました。やってる方々に悪意は全くないのでしょうが、見る側からすればいらぬお世話です。数日前にはずされた後を見ると、そのすっきりした、本来の花見の風景が出現して、ほっとしました。本当は何もしないで、そのままを愛でるのが一番なんですけどね。

青森県立美術館を見学してきました

2006-05-05 12:01:39 | Weblog
ゴールデンウイーク期間中に最後の無料開放という謳い文句につられて、一寸だけ見学に行ってきました。場所は青森市内の西部、三内丸山遺跡に隣接したところにあります。駐車場は三内丸山遺跡と共用なのか、県外ナンバーの車がいっぱいでした。無料開放初日の3日は4000人以上の見学者があったとのことで、駐車スペースを探すに一苦労でした。

出かけた時間帯が遅かったみたいで、美術館の見学時間の締め切りが迫っていて、早足で建物に向かいました。暖かな日差しのなか、歩くと少し汗ばむくらいでした。家族連れが多く、和やかな雰囲気でした。縄文時代の遺跡を見学がてら、絵画を見て、心を和ませる、そんな気持ちにさせる絶好の場所ですね。美術館の外観は白を基調とした清楚な感じの建物で、冬に来たら雪景色のなか、探すのに大変だろうな、と思いました。

建物の中は、シャガールのアレコを展示する「アレコホール」などの一部を開放しているだけでしたが、その天井の高さは写真にあるようにびっくりです。奈良美智の「あおもり犬」の巨大犬の展示にも圧倒されます。この2つは、しばらくは美術館の「目玉商品」になるのでしょう。7月13日の開館が待たれます。

さて、この美術館、青森県の構想段階から10年以上の年月を経てようやく完成することとなったようですが、これまでの道は結構、紆余曲折。構想当時と県の財政状況が一変したという事情はあるのでしょうが、最近の「ドタバタ劇」は皆さんの知るようなところです。

第一幕は、なんといっても、県外から「ヘッドハンティング」した館長予定者をそれまでずっと空きポストだった県立近代文学館長に「左遷」したことでしょう。経営的感覚が美術館長には必要だから、とかなんとか、県民にはよく分からない理由で、美術界の大御所の方々を選考委員にお願いして「ヘッドハンティング」した候補者をばっさり切り捨ててしまう感覚を全く理解できません。今後10年間は、青森県立美術館は世界の美術館から総スカンを食うのは目に見えているでしょうね。全く信用ならない青森県に大切な美術資料を気持ちよく貸してくれるところがあるでしょうか?私が貸す側だったら、青森県には資料を貸したくないですね。皆さんはどう思われます?

第二幕は、美術館の形が見えてから、その美術館を使って演劇などを併せて公演しようとする、素人目にも無謀な「企み」です。構想段階で、美術だけでなく演劇なども含めた総合芸術ということで、「総合芸術パーク構想」があり、まずは絵画を展示する美術館から始めようとということだったようです。美術館を建ててみたら、県の財政事情の悪化で、演劇などの公演を行う施設の建設は遠い将来の話になり、それでは形の見えた美術館の中で一緒にやってしまえ、って感覚だったのでしょうか?それとも演劇の世界では、こんなことよくある話なんでしょうかね?

この「二幕」を見ただけで、青森県立美術館開館へのドタバタの程がよくわかります。「都道府県立美術館建設レース」の最下位グループの青森県が先行グループのいいとこ取りをして、有終の美を飾る、というわけには、どうも行かなかったようです。最高学府卒業者を初めて県のトップに迎えて舵取りをさせたにしては、お粗末な結末だったようです。

青森市歴史民俗展示館「稽古館」閉鎖について

2006-04-27 20:49:17 | Weblog
青森市歴史民俗展示館「稽古館」が平成18年1月31日に閉館 してからかなりの日にちがたちました。青森市長の閉館に対する公式コメントは以下のとおりです。

「青森市歴史民俗展示館「稽古館」を閉館することについて発表いたします。
 稽古館は、平成10年3月に財団法人「稽古館」から民俗資料を中心とする約14,500点の資料が青森市に寄贈されたことに伴い、郷土文化の振興を図るため、同年7月に青森市歴史民俗展示館「稽古館」として開館し、これまで常設展をはじめ企画展や各種講座等を開催してまいりました。
 しかしながら、稽古館の管理運営にあたりましては、施設の賃借料をはじめとして、年間およそ5,000万円の経費が必要であり、現下の厳しい行財政環境のもと、これまでどおり運営を維持していくことが難しい状況となりましたことから、平成18年1月31日をもって同館を閉館することといたしました。
 なお、貴重な民俗資料等につきましては、散逸や劣化などの防止に留意し、旧市民図書館及び新城庁舎に収蔵・保管するとともに、森林博物館など既存の公共施設において、その一部を展示・公開するなどの、有効な活用方策を検討してまいりたいと考えております。」

 当事者の青森市は、閉館の大きな理由として年間の運営経費が5千万円近くもかかることを上げています。元々、博物館のような文化的施設が閲覧者の入館料収入では維持できないことは常識で、だからこそ公的機関がその運営にかかわっていることが多いといえます。財政難だから閉館しますというのは誰でもできる判断で、それもいきなりの「閉館宣言」で市民の多くは戸惑ったのではないでしょうか。外部からは青森市が閉館に当たってどれだけの苦渋を舐めたかは窺い知れない、というより、全く責任ある立場の人が悩んだような形跡はあまり見られない。

 青森市は明治年間に大火や太平洋戦争時の大空襲などで古い文化遺産の多くを失っています。そのような中、青森市歴史民俗展示館「稽古館」は青森市が運営する市民の文化遺産の宝庫だったのです。それを簡単に閉鎖してしまう「暴挙」には、納税者としては腹立たしくなってきます。時間=歴史はお金では買えないってことを青森市の理事者の方々は知らなかったのでしょうか?財政が好転したからってその間に失われたものは取り返せないのです。

 西欧では、近隣の国々と戦争になると、まず博物館や美術館を徹底的に攻撃するそうです。そこに納められているものが「民族」の精神的バックボーンで、それを破壊することによって復旧への意欲を奪い取ってしまうのが主たる目的だそうです。それだけ彼らにとっては、博物館などの存在意義は大きいということでしょうね。従って、為政者は国民のためにまず、博物館などに収められている遺産の保護を最優先するそうです。

 このようなことからすると、青森市が行った行為は、まさしく、自らの手で市民の文化遺産を葬ったに等しい行為だったと言っても過言ではないでしょう。まだ遅くはないと思います。再開館に向けた努力をお願いします。

遺跡100人:航空ショー11万人

2005-09-07 22:31:32 | Weblog
 先日、ある遺跡の現地説明会を見学してきました。曇り空の日曜日の午後、遺跡好きの方にはちょうどよい日和でした。三々五々、あちこちから車やバスでやってくる人の群れ-とは言い難い、ぽつりぽつりとした人の流れ。

 定刻に集まった見学者の数は、約100人。例年並みということで、常連さんが多かったのでしょうか?現場に向かう途中、ラジオからは「本日は、航空ショーやマラソンが各地で開催されています」というニュースが流れ、これじゃ、太刀打ちできないな、と思ったことが現実に。

 発掘調査の成果は、地元紙で報道されるくらいの目を見張るもの。それなのに、やっぱり、来年でも見ることができる航空ショーには全くかないません。県民の教養の深浅を如実に示す結果となりました。永久にこの数値は逆転しそうもないくらいの断絶があり、絶望的な気持ちにさせられました。でも、挫けてはいけません。その対策を考えないと。

戦後60年

2005-08-28 16:43:50 | Weblog
 過日、太平洋戦争時の空襲展を家内と連れだってのぞくことがありました。空襲後の惨状を記録した写真やアメリカの公文書館などから入手したという攻撃側の貴重な写真などが数多く展示されていました。戦争の体験のない私たちにとって、目の前に展示された写真から想像力をたくましくして戦争の悲惨さを頭の中に浮かべることは、なかなか難しい作業でした。その空襲を実際体験されたと思われる初老の方々が若者たちに空襲の様子を交えて話をされ、平和の尊さを熱心に訴えていたのが印象的でした。

 ところで、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に伝えていくことには反対はしないのですが、果たして、それだけで戦争は回避できるのでしょうか?先の戦争の最高責任は誰にあるのか?天皇、時の総理大臣をはじめとする政府首脳等々、色々な意見があるようです。しかし、そのような人たちの「暴走」を止めることなく、むしろ、積極的に戦争に協力した一般国民が数多くいたのも確かなようです。世間体を気にし、周りと同じような行動をしてしまう国民性からすれば、一人、声高に戦争反対を叫ぶことは、ほとんど不可能だったように思われます。だからといって、多くの国民は戦争へと突き進む一部の指導者たちにだまされ、それがために、戦争責任もほとんどないんだ、というもの無責任なような気がします。結局は、戦争への火種は個々人の心の中に常在し、積極的に戦争に進むような方向に世の中全体が進んでいるとき、それに反対しない消極的態度は、結果として、戦争に荷担したといわれても致し方ないような気がします。

 郵政民営化問題で衆議院が解散し、近々、選挙が行われようとしています。後々、あの時、もう少しきちんとした考えを持って投票しておけば良かった、と悔やまないようにしたいものです。

三内丸山遺跡はテーマパークか?

2005-07-24 21:55:45 | Weblog
 地元代表紙に「客足遠のく三内丸山」という大見出しで、国の特別史跡である青森市三内丸山遺跡の入場者数が昨年の同期に比べて2万人も減っていることに警鐘を鳴らす記事が掲載されていました。

 確かに数字だけ見ると、今年度は6月末現在の累計で10万3千人余りと、前年度同期より約2万人減少しています。しかし、同記事にもあるように似たような現象は、今年度の弘前桜祭りにも見られることです。しかも、8月初旬から始まる青森ねぶた祭りの予約客数も昨年に比べ減少しているとのことで、全般的に愛知万博に観光客が流れているとの見方もあるようです。

 一方、三内丸山遺跡応援隊からは「出土した環状配石墓の復元や植生復元、それを基にした新たな体験メニューなど、遺跡の特徴を生かし、付加価値を増やしていく必要がある。現状のままでは、見学者は減る一方だと思う」という意見、あるいは一部の考古学関係者から「来場者からは『何回来ても変わっていないじゃないか』という声を聞く。現状は見学者の側に立った公開となっていない。最新の調査成果を次々に提供したり、三内丸山が今の私たちとどう結びついているのか-という点を積極的に伝えていかないと」という意見が出ているという。

 なるほど、三内丸山遺跡がテーマパークなら、入場者数の減少に歯止めをかけないと営業収益が減るわけですから、スリル満点の仕掛けを増やしたり、派手な展示品を並べたりして、早期に入場者増対策を取る必要があるでしょう。しかし、皆さん、三内丸山遺跡が「遺跡の国宝」である「国特別史跡」ということをお忘れになっているのでは?現在に生きる私たちが第一になすべき事は、入場者数の多少に一喜一憂するのではなく、「遺跡の国宝」を孫子の代まできちんと伝えていくことなのではないでしょうか。

 調査成果が次々と簡単に出てくるわけもないし、遺構の復元一つやるにしても上級官庁との長期間にわたる検討・調整があり、また、整備のための予算がすぐにつくわけでもありません。そんな中、どうして入場者数が減って、困るんでしょう?日本人は、元来、飽きやすい国民性を持っていますから、遺跡の一般公開から10年もたてば、入場者数が減って当然でしょう。やっぱり、一部では入場者数が減ると困る人たちがいるんでしょうかね?

 さきの記事にみられる「危険性」については、すでに文化庁の調査研究会が以下のように指摘しています。
 「史跡等の保存・整備・活用事業を行えば地域経済の活性化につながるのではないかという甘い憶測や過度の期待感、あるいは経済的効果を生むことが事業を行うことの前提条件ででもあるかのような誤ったとらえ方などがある。来訪者数や利潤といった数量的な指標に基づく評価が、整備事業が完了した後にも毎年継続する活用事業や管理・運営事業の予算査定の材料になる場合も多い。このような史跡等の保存・整備・活用事業における経済的な側面も重要ではあるが、それはあくまでも史跡等の整備・活用という文化財保護上の施策の反射的な効果に過ぎないのであって、それ自体を目標とするような誤ったとらえ方をねばり強く是正していく努力が必要である。」(史跡等の保存・整備・活用事業の在り方について(報告)平成13年4月19日 史跡等整備の在り方に関する調査研究会 )

 遺跡発掘調査の成果は、一朝一夕にあがるものではなく、長年にわたる研究の結果としてもたらされるもので、それはえてして、国民の方々の目からすれば、地味で目立たないものが多いのです。遺跡整備=テーマパーク的な見方をする人たちからは、「なにも見せるものが無いじゃないか」、と目くじらを立てられそうですが、学問進展のスピードは、正直なところそんなもんでしょう。成果、成果、成果と囃し立て過ぎるとどのような結末になるかは、5年ほど前に私たちが目の当たりにしたところです。

 繰り返しますが、三内丸山遺跡はテーマパークではなく、国の特別史跡です。少しぐらい入場者数が減って、何が問題なんですか。減ったっていいじゃないですか。また、いずれ増えるときもあるんですから。

ブログ?

2005-07-18 20:04:17 | Weblog
 日記をつけなくなって、1年半も経過してしまいました。その間も、今日こそは更新されているのでは、と閲覧においでいただいた方は数知らず?家人には、日記とは名ばかり、と非難される有様。

 少しばかり言い訳を許していただくと、日記とはまさに、毎日記すことに意味と動機があるわけでして、1日休むと次の日も、そして次の日も・・・、と億劫になってしまうのであります。

 その間の時代の移り変わりの激しいこと。最近は「ブログ」なるものが大流行とか。というわけで、私もそのブログなるものに挑戦してみようと決意したわけであります。毎日となるとかなりプレッシャーになり、長続きはしないのがわかっているので、とりあえずは気が向いたときに書くということで、お許しを願いたいと思います。まずは、13才になったワン太郎の近況写真を・・・