女優奮闘記~日本伝統文化と東洋医学

こころの日記です。いつも心に太陽を!

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予兆と切羽詰まること

2013年11月28日 09時21分17秒 | 和の輪
さて、
人というものは、
毎年毎年
年末が来て
新年となるこの頃に
自分を顧みるものである。
「これから先
どうなるんだろう」と。

日々あたふたと暮らし
やるべき日にちが決まっているものに向かっている間は
そのことに一直線に向かっていけるものだが
ふと
そのことも終わったとき
宙に浮いているような
足元がおぼつかない気持ちになるのかもしれない。

子供が育った後とか
定年後とか
一代イベントが終わった後とか・・

今年の会報を作りながら
1年を思い返しています。

和の輪を立ち上げて15年目・・・
よくぞ
ここまでやってきたなと思いました。
やれてきた、というか

支えてもらってきた、のです。

心が決まっていないと支えようがありません。

勘三郎さんの1周忌。
ワーッって走り続けて、バタンと倒れ、パッていなくなった。

それが望みだったのだろうか・・・

心の奥底で、予感していたのかもしれない。
だから全力疾走できたのかもしれない。

近松門左衛門の辞世を読み直した。
今、
また新たに心にしみた。
泣いた。

三善貞司さんの文章を見つけた。
よく書けている。
  
『享保9(1724)年1月、
正月興行と銘打って竹本座が公演した近松門左衛門の最後の作、
スペクタクルドラマ「関八州繋馬(つなぎうま)」は、
意表を突くトリックと筋立てが受けて、連日大入り満員となった。

 特に四段目の妖怪土蜘蛛(つちぐも)が登場する場面では、
舞台に大きな築山(つきやま)を造り、
京の大文字焼きをまねて火を放つや「大」の文字が浮かび上がる大仕掛けを用意し、
客席をひゃあ! と言わせる。

ところがそのうち誰が飛ばしたデマか分からぬが、
「大が焼ける。つまり大坂に火災が起こる不吉な前兆だ」
「芝居を見た者の家も焼けるそうや」と、真顔でささやかれだす。

 門左衛門はじめ竹本座は意にも介さなかったが、
千秋楽の翌日の同年3月21日の正午すぎ、
堀江(西区)にあった金屋治兵衛の祖母妙知(みょうち)方から出火、
おりからの強風にあおられて翌日夕方まで燃え続け、
大坂市中のおよそ7割が灰になった。

後に「妙知焼」と呼ばれる有名な大火災で、
竹本座も全焼する。
 焼失家屋11765、
死者293、
公儀橋9、
町橋45、
蔵屋敷32
と記録された猛火で、
古書に
「盗賊白昼に横行するも
 奉行所焼失にて如何(いかん)ともし難し」と出る。

以後「関八州繋馬」は、
火を呼ぶ不吉な芝居となり、上演されなくなった。
 
火事と脚本は無関係だが、
中傷を受けた71歳の老門左衛門は、
精神的に参ってしまい、うつ状態になって床についた。

同年6月、
友人の和田忍笑から「暑いので使ってください」と扇を贈られ、
「もし手足が動けば、この扇で踊りたいほど嬉(うれ)しい」
との内容の礼状が残っている。
この年は猛暑で、これも門左衛門の寿命を縮めた。
「食欲がない。薬や人参(にんじん)がたよりだ。
いただいたくずもちが、やっとのどを通った」
とも書いた門左衛門は、
やはり忍笑にあてた手紙に、
「西行 おなじくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ
と詠みおかれ候(そうろ)に違(たが)はず 
二月十五日 本懐とげられ候と申し候 
我(われ)らも西行ほどはなくとも 
同じくは来月十五日名月に 
終(おわ)りとり申したくと
あまりに苦しきときは存(ぞんじ)候」

と認(したた)めている。 

名月の8月15日には死ななかったが、
11月22日に息をひきとった。
享年71。
その十数日前門左衛門は床に座り直し、
烏帽子(えぼし)をかぶり
衣冠束帯(いかんそくたい)で
威儀をただした姿を描いてもらい
賛(さん)をつけている。

難解だが有名なので、全文をあげておく。

「代々甲冑(かっちゅう)の家に生(うま)れながら
 武林(ぶりん)を離れ
 三槐九卿(さんかいきゅうけい)につかへ
 咫尺(しせき)し奉りて寸爵(すんしゃく)なく
 市井(しせい)に漂うて商買知らず
 隠に似て隠にあらず 
 賢に似て賢ならず 
 ものしりに似て何もしらず 
 世のまがひもの 
 からの大和の教(おしえ)ある道々
 妓能(ぎのう)・雑芸・滑稽(こっけい)の類まで 
 しらぬ事なげに口にまかせ筆にはしらせ 
 一生を囀(さえず)りちらし 
 今はの際(きわ)にいふべく思ふべき真の一大字は 
 一字半言もなき倒惑(とうわく) 
 こころに心の恥をおほひて 
 七十(ななそじ)あまりの光陰 
 おもへばおぼつかなき我世経畢(わがよおわんぬ) 
 もし辞世はと問人(とうひと)あらば 

  それぞ辞世 去(さる)ほどに扨(さて)も
      そののちに
        残る桜が花しにほはば
              享保九年中冬上旬  
入寂名
阿耨院穆矣日一具足居士(あのくいんぼくいにちいちぐそくこじ) 
 
不俟終焉期豫自記(しゅうえんのきをまたずかねてみずからしるす) 

春秋七十二歳 

のこれとは
おもふもおろか
うづみ火の
けぬまあだなる
くち木がきして」
 
解説を加える。
最後の辞世「のこれとは…」は
後水尾天皇が出家したとき、
「憂しや
この深山(みやま)がくれの
朽木垣(くちきがき)
さても心の
花しにほはば」

と詠んだ歌をなぞったもので、
この天皇は
若き門左衛門が奉公し、
かわいがってくれた恩人一条恵観の実兄である。』

今日考えたこと
今日発した言葉が
人生を作っていくのであろう。

なぜ近松は舞台に、
京都の大文字焼きの「大」の字を
いれてしまったのか・・・
面白くしたかったというそれだけの理由だろうが、

近松の筆が未来を予測してしまった、とは考えられないか・・・

天とつながる近松が
天から与えられた未来図。
その不吉な予兆を
近松は
書いてしまったのだ。

天から与えられた自分の力を
自分で
見抜くことが出来なかっただ。

芸道に精進する人は
自分が作ってしまう物語に
自分を超えた未来予想図が
あることを
知っておことが大事だと思った。

私が
この世に生み出したい、と思う作品は
わたしの魂のレベルからやってくる。

外から来た仕事であったも
私の在り方が
引き寄せたものだと思うことが大事だ。

今、わたしに
家事を引き起こしてしまったお七さんと
日像さまと
金子みすゞさんが
やってきた。

お七さんが今の世の人たちに
伝えたいことがあるのだろう。

日像さまが、京都のことも書いてくれと
ぺんぺん草のわたしに
託されたのだとしたら・・・

天の神さんが
わたしを憐れんで
金子みすゞさんに学べよ、と
お仕事をくださったとしたら

泣いてる暇はありません。

もっと強くならなくてはね。

何を怖がっているのでしょう。
15年間
続けられたことこそが
すごいことだし
自分を惜しむことなく
これからも
流されながら
風見鶏のような
情けな~い生き方しかできんだろうけど

応援してくださっている方たちを裏切ることなく
年を重ねていければと
思います。

くるときゃくるし
こないときゃこない

切羽詰まる

その時が来るまで
ぺんぺん草のわたしは
本当のことが分からないのでしょう。

本当に切羽詰まったとき
・・・・・

人間の持っている力が試される時だ

自分を顧みよう

感謝の目で
今の自分を俯瞰しよう






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七尾 長寿寺さまに・・・

2013年11月22日 08時41分56秒 | 和の輪


日像さまのご縁で
七尾のみなさまとつながりが出来、
先日、七尾へお礼に行ってきました。

東京から車に乗り込んだのは
副代表の乙部さんと
理事の篠田先生と
父とわたし。

七尾までの540キロの道を走りました。
小杉インターで降りたときには
途中の事故渋滞もあり、月が出ていました。
右が海岸・・・月が海に照り美しく
道はくねくねと曲がり
山の中にも入りちょっと怖かった…

ナビが7年前のままなので
どんどんできる新しい道に対応できず
小杉インターで下したのかと思いきや、
「あ、それで正解です」の長寿寺の高木上人の言葉に
「よかった~」と思った。

さて、長寿寺さまには「八百屋お七」の供養塔が建っています。
先日NHKでも放送されたばかりですが、
(昨日偶然再放送を見ました)
火あぶりの刑に処せられたお七を憐れみ、
お母さんという人が長寿寺に来られて
供養塔を建ててください、と言われたとのこと。
当時は
かかわったお寺は廃寺にさせられたという厳しさ。
歴代の住職の墓に紛らせて大きな供養塔が建っていました。
長寿寺さまでは、
毎年火あぶりになった3月29日(1683年)に今もお供養されているとのこと。

初美師匠と一緒に
祥月命日に浄瑠璃「お七」を弾き語りするのが夢です。

どうぞ叶いますように・・・
来年は333回忌の1年前。
お七さんや、当時火事で亡くなった方たち、父母兄弟親族、吉三郎さん、
この悲劇で人生がつぶれてしまった方たちをお供養したいと思います。
そして、今もお供養し続けられている長寿寺様の歴代のご住職さまのことも
お供養したいと思います。

そしてもう一つ。
長谷川等伯画伯の養子先である長谷川家のお墓が
「ここに埋まっている」との前々からの言い伝えに励まされ、
ついに
今年2013年3月15日に掘り起こされ
出てきたお墓が菊の花の写真のものです。

養祖父、養父の名前がありました。
等伯の有名な「釈迦涅槃図」は養祖父が描いたものを真似たことが解りました。
そして、
長寿寺さまの先にあるお寺が本延寺(ほんねんじ)さまで、
この本延寺さまは
等伯の実家「奥村」家の菩提寺で、
15年前に、10年かかって完成したという天井絵は、等伯の末裔である京都・仲氏が描かれた貴重なもの。

絵の才能を10歳で見抜かれて絵師である長谷川家へ養子に行かれたという
等伯画伯の人生に興味がわきました。
いずれ、
物語させていただく時が来るかとも思います。
そうなるといいな、ありがたいな、と思います。



つづく

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「恵信尼さま」を築地本願寺にて上演 主催:関東観乗寺会2013年9月29日

2013年11月14日 09時15分59秒 | 和の輪

当日の写真です。

段下文夫さんのお世話により、
5年越しの企画を実現することが出来ました。

東京に先立ち、
去年、天草の観乗寺さまで
「恵信尼さま」を上演させていただき
東京からも13人が参加しました。

観乗寺の坊守さまの元気はつらつさ
住職様のおおらかなお人柄、
前坊守様のにこやかな明るさ
そして門徒のみなさま、天草の人々の人情。

歌の田代淑子さん。
住職様と門徒のかたがたの手助けもあり、

本堂に集まっていただいた400人の方々と共に
思い出に残る舞台を作ることが出来たのでした。

今年は、
天草から関東に出られた門徒の方たちで作っている「関東観乗寺会」の
お招きがあり
歌手の乃詠ちゃんを頼み
舞台をまた新しく作り直しました。

楽器演奏を
住職である藤田英道さまと段下さんにお願いして
乃詠ちゃんは
舞台で活躍してもらいました。

舞台終了後、
本堂の前で記念撮影。

ちょうどジョンが来日していましたので
この会に参加してくれました。

ジョンはその後
九州へ旅行して
天草を訪れ
観乗寺さまにご招待を受けて
泊まらせてもいただき
大変な歓待を受け
感激するというドラマが待っていたのです。

出会いによって
人生はいかようにも変化するものですね。

願わくば
よき出会いを

関東観乗寺会のみなさま
観乗寺のみなさま、
段下さん
ありがとうございました。
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骨折リハビリ 106日目 2013・11・14

2013年11月14日 06時45分08秒 | 和の輪

ほら、ついたよ~。

近江八幡での舞台がおわり、
三ノ宮の初美師匠のところで「お七」を稽古していただき
名古屋で途中下車して
弥富駅にあるリサイクル&ミニカフェに行ってきました。

目的は
感謝の気持ちをつたえること。

出会いは突然に。
成卦主爻 をインターネットで調べたとき
「今にいかせ易学」というサイトがヒットしました。
youtubuでした。
見たら、
とてもわかりやすく
わたしはすぐに虜になりました。
近江八幡での舞台が近づいていましたので
この稽古を準備をしながら
「今にいかせ易学」をyoutubuを見る毎日。

念願叶いはじめてお目にかかることが出来ました。
よき出会いとなりました。

水谷貞夫先生、藤岡さんとは
これからも
つながっていくでしょう。

今の自分の状態がよく見え
未来への希望が
わきました。

水谷先生の才能を引き出した藤岡さん、
お二人で良い仕事をされていると思います。

わたしも頑張ろう。

「グーパーで、必ず治ります。
2年ほどかかりますが、
必ず治ります」

指の治療法についても
同じ考えだった。

あせらずゆっくり
自分の体と相談しながら
治していこう。

体に無理なことはしない。

一歩始めることが大事。




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七尾再び

2013年11月14日 06時16分36秒 | 和の輪

七尾・小丸山公園にて2013年10月

10月の美しい秋の日に
七尾の小円山公園で
日像さまのお供養に読んでいただきました。
銅像に再築されて今年が10年。
七尾のみなさまが
心を一つにして
日像さまをお祭りされました。

『日像さま~百か日の大請願と能登篇』と題して
地元の方々やわが和の輪の理事の助けを得て
みんなで
日像さまのご苦労をしのび、ねぎらいました。

出演のみなさま:

宮本光子さん(写真左・クラシック歌手・羽咋在住)、
日蓮様とお釈迦様のお声をお願いしたお二人のお坊様、
高題目奉唱隊のみなさま、
和の輪の理事である荒武恵美子さんと武藤知鶴さんの楽器、
金沢の茶谷幸也さんのお手伝い

風さわやか。
落葉樹が時折、はらはらと散り
最高のコンディション。

「高題目のみなさんが日像さまの銅像に集まり、
南無妙法蓮華経・・・を唱えはじめたとき
雲間が晴れて光が差し込んだ。
これを見たとき
日像さまがここにおいでになり
喜んでいらっしゃることを確信しました」

教えていただきました。

わたしも語っていて
力がわいているのを感じていました。
体の中からわいてきた力は
確かに日像さまと長年日像さまを支えてこられた皆様の
思いのこもった「念」であったことを
感じました。

妙成寺の初華尼様との深いご縁を感じざるを得ませんでした。
安寿さま、気づかせていただきありがとうございました。


舞台は
いつもいつも
自分の力でやるのではなく
演じるわたしが
どのくらい思いを凝らすことが出来るのか
そして
自分が巫女となり
思いを伝えることが出来るのか
それが一番大事なことだと思っています。

伝えるために
技術も肉体も必要です。
さらに
感じることのできる感性が大事です。

俳優の仕事は
一生続きます。

妙成寺の貫主さまとお約束しました、
「京都編を作り、日像さまのご一生を完成させる」と。

来年の大きな目標です。
ありがたいことです。
能登とのつながりは
まだまだ続きます。



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