エンジェルからのメッセージ!
私たちの心は、目に見ることができないために「こころ」と言われても、理解しにくいもののようです。
でも、私たちは永遠に変わらない「こころ」を持っていてその「こころ」こそが本当の自分自身なのです。
私たちの「こころ」は自由にどこへでも行くことができるし、国境も物質の障害さえもありません。
「こころ」は未来の国へも現在の国へも過去への国でも自由に往復できる不思議な力をもっています。
その自由な「こころ」は自由すぎるあまり危険も持っています。
思うことの自由、考えることの自由はあるのですが、その自由の中に厳然とした正しい法則があるこを私たちは忘れてしまって
いるのです。
この正しい法則を無視してしまった時から、私たちの心の中には苦悩が生まれ、小さな自分を作ってしまったのです。
その証拠に、地球上はエゴと欲望が渦巻き、争いが絶えない。
私たちは肉体という五官を背負ってしまうと、肉体自体が自分自身と思い、実際に肉体を動かしている本当の自分「こころ」
をおざなりにしてしまう。
肉体をまとった偽我の盲目の人生は、私たちの一生を支配し、様々な苦悩のドラマを展開させていく。
本来なら、私たちの「こころ」が肉体を背負った時から、神の子の本性を現していかなければならないのです。
その本性は常に善我の自分自身でなければなりません。
それなのに五官を通して様々なことを思う、考えるもう一人の自分は善我のもとにあるにもかかわらず、次第に善我を
心の奥に押しやり、五官にもとずく我、偽我が心の中を占めていくようになってしまう。
偽我の自分は自己本位で、欲望に翻弄されてしまう。
人はどうでもよく、自分さえよければよいという考えが社会を覆ってしまい、混乱に輪をかけることになる。
五官による自我は、物質中心の思想を生み、人々は真実がますます分からなくなってしまう。
エンジェルは言っています。
物質中心、五官中心、正しい道を忘れた偽我のおもむくままの生活が、どんなにか虚しく、はかなく、得るものがないかと。
人々が少しでも早くそのことを気付く時が来るのを待っていますと。
私たちの心は、目に見ることができないために「こころ」と言われても、理解しにくいもののようです。
でも、私たちは永遠に変わらない「こころ」を持っていてその「こころ」こそが本当の自分自身なのです。
私たちの「こころ」は自由にどこへでも行くことができるし、国境も物質の障害さえもありません。
「こころ」は未来の国へも現在の国へも過去への国でも自由に往復できる不思議な力をもっています。
その自由な「こころ」は自由すぎるあまり危険も持っています。
思うことの自由、考えることの自由はあるのですが、その自由の中に厳然とした正しい法則があるこを私たちは忘れてしまって
いるのです。
この正しい法則を無視してしまった時から、私たちの心の中には苦悩が生まれ、小さな自分を作ってしまったのです。
その証拠に、地球上はエゴと欲望が渦巻き、争いが絶えない。
私たちは肉体という五官を背負ってしまうと、肉体自体が自分自身と思い、実際に肉体を動かしている本当の自分「こころ」
をおざなりにしてしまう。
肉体をまとった偽我の盲目の人生は、私たちの一生を支配し、様々な苦悩のドラマを展開させていく。
本来なら、私たちの「こころ」が肉体を背負った時から、神の子の本性を現していかなければならないのです。
その本性は常に善我の自分自身でなければなりません。
それなのに五官を通して様々なことを思う、考えるもう一人の自分は善我のもとにあるにもかかわらず、次第に善我を
心の奥に押しやり、五官にもとずく我、偽我が心の中を占めていくようになってしまう。
偽我の自分は自己本位で、欲望に翻弄されてしまう。
人はどうでもよく、自分さえよければよいという考えが社会を覆ってしまい、混乱に輪をかけることになる。
五官による自我は、物質中心の思想を生み、人々は真実がますます分からなくなってしまう。
エンジェルは言っています。
物質中心、五官中心、正しい道を忘れた偽我のおもむくままの生活が、どんなにか虚しく、はかなく、得るものがないかと。
人々が少しでも早くそのことを気付く時が来るのを待っていますと。