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  理阿弥の 題詠blog投稿 および 選歌・鑑賞など

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こすぎさんの百首から

2010年09月20日 | 五首選 - 題詠2010
055:アメリカ
 憧れのアメリカ製クロームグリーンシューズ履かぬまま父逝く


079:第
  なんでだか第二校舎は煉瓦色歴史にきっと負けているのに
077:対
  見上げれば落ちてく気分と対称な息吹に救われ赤色巨星
064:ふたご
  たべ過ぎてふたごのチェリーおもちゃにしても赤い帽子の叱る声なし
052:婆
  確かシゲ婆ちゃんの骨乳白色 でも父の骨硬質の白


生きとし生けるものは、はじまりを知らない。終りも知らない。
認識可能なのは常に途中、途中、途中だけだ。
「限り有る生」に、絶望し切れない理由はそこにある。
死の正体は、逝ったものに尋ねること能わず、
生まれ来る子に教えることも出来ない。

可能な唯一のことは、祈りだけだ。
私自身は宗教的な人間ではないから、祈りといっても
いまも側にいる人々、そしていなくなった人々のことを、
おりにふれ、静かに考えるだけだけれど。
それしか出来ないし、今はそれでいいのだろう。

死を、恒久的な不在と呼ぶとすれば、
生前の不在は、一時的な死と言えるだろう。
その時その時に、身近にいない人物の生存を保証するものは何も無い。
ただ個々人の胸の中に思い起こされることで、その人物は生かされる。
そう考えれば、生者が心に思い起こすことで、
故人はいつまでも生きてゆくことが出来る。
そんな風にときおり考える。

  濃緑の坂なかばにて目をつむれば父母ともに歩めると知る   理阿弥    濃緑=こみどり
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