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「現代語訳 般若心経」

2007年01月06日 | 思想・宗教
「現代語訳 般若心経」
 (玄侑宗久 著/ちくま新書)

「マカハンニャハラミッタシンギョウ~」
中学のとき祖母、高校で父、大学で祖父と意外と若い時分に身内を亡くし、この呪文を聞く機会がよくあった。
当時から死んだ人に対して、何故このような呪文を唱えるのか意味が分からなく、意味がないことには価値がないと思い、そのため仏教どころか、神、霊魂とかいうものすべてを信じないような人間になってしまった。
ただ、仏教の思想そのものについては、入門書のようなものを読んだりしたため、とても哲学的な宗教だということは感じていたが。
今回、その呪文の意味を理解しようとこの本を手に取ってみたのは、やはり前に読んだ「近代化と世間」において、キリスト教が西洋社会に大きな影響を与えたことと同様に、仏教が日本社会に大きな影響を与えたのは確かなことであり、仏教を理解することが日本社会を理解する一歩だと思ったためである。

その「近代化と世間」で阿部勤也が指摘した「日本人には個性がない」というのが、「縁起」という言葉で説明されている。
つまり無限の関係性の中の絶えざる変化の一つとして仮に現れているのが現在の自分であるということらしい。
“関係”が重視されている点まさに「世間」と一緒である。
「世間」というものが、仏教の思想の表層が元になっているのがよく分かる。
ただやはり仏教の思想の方が深遠であり、“個性”というよりも“個”自体がない。
“生”もないし“死”もない、“原因”もないし“結果”もない。
あるのは絶えざる変化だけ。
そのような状況を有名な“空”と呼ぶ。
この“空”の感覚が量子論の認識と同じであるという。
最新科学が紀元前4世紀の思想と結びつくのはとてもおもしろい。
そういえば原子自体、核の周りに電子が回っており、その間は空間である。
その距離は電子の軌道を甲子園球場とすると、その真ん中においたピンポン玉が核となるほどの空間であることを別の本で読んでことがある。
現在でも進化論を否定しているキリスト教と比べると仏教の世界観の正確さに驚かされる。

ただ、やはり一般人には仏教の思想は難しいように思える。
結局、世の中は関係の中の変化があるだけで、“私”という個人はいないんですよ、それを悟ることによって“私”が消え去り、一切の苦がなくなると言われても…ってとこだろう。
神にすがるのではなく、“空”を悟る。
これは宗教ではないのではと思ってしまう。
かく言う私も一般人であり、今著のような分かりやすい手ほどき本でなければ理解することはできない。
理解できても悟ることなんてとんでもない。
仏教が僧侶や貴族の一部トップ層のみのものとなったのも思想の難しさが原因であろう。
また、それではいけないと感じた鎌倉新仏教の指導者達も念仏という、分かりやすい方法を提示しなくては、一般民衆の理解を得られなかったのではないか。
そして現代では葬式のときだけの形式仏教になっているが、故人に仏となって今後も見守ってくれるようお祈りする、なんかこの形が一番宗教らしいのではと感じてしまう。

仏教(般若心経)の思想は大体理解できたと思ったら、最後にどんでん返しが待っていた。
「般若心経」とは“呪文”である。
だから意味などを理解せずに、音だけを感じるべきであると。
確かに今まで読んできて、仏教に対する理解を深めていけば、世の中に意味があるかどうかということも意味がないし、そうすると理解するという行為自体、意味がないし…。
しかし、仏教のことを理解したいと思ってこの本を取ったのに、理解するな!感じろ!という結論になるとは予想外であった。
中学時に感じたわけのわからない「呪文」という認識は、「呪文」という点では正しかったのである。
奥深い思想である。

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