楽しく遍路

四国遍路のアルバム

香園寺 白滝奥の院 横峰寺 星が森 大保木 成就 河口 

2019-03-06 | 四国遍路

 
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旧讃岐街道の朝
今日の行程は次のようです。
  小松の宿から 白滝奥院の道を 横峰寺へ
  横峰寺から 星が森を訪ね 有料自動車道を 大保木(おおふき)の宿へ
大保木に降りるのは、当初、石鎚登山をもくろんでいたからです。結局、諸般の事情で「延期」となったのですが、計画の一部が、変更されないまま残ったのでした。


小松橋
小松川を渡ります。中山川に注ぐ川です。
架かる橋は小松橋。大正15年(1926)2月竣工のコンクリート橋ですが、そのモダーンなデザインは、石橋の風情をみせています。


近藤篤山墳墓
近藤篤山は小松(藩)が誇る「伊予聖人」です。
ぜひ立ち寄りたい所ですが、今回は通過します。次の遍路で小松の街の散策を考えていますので、そのとき邸宅跡などと合わせて、見学させていただくつもりです。


香園寺
昨日もお参りしましたが、今日は今日です。今日一日の無事をお願いしました。


高鴨神社への道
香園寺の奥に、高鴨神社が在ります。
香園寺が、かつて高鴨寺の寺名で、別当を務めていた神社です。


高鴨神社
境内に掲示された由緒書きによると、その創始は、およそ1500年前、雄略天皇の御世に遡るといいます。
大和国葛城を本拠とした鴨氏の一支流が、葛城山に鎮座する高鴨大御神の御分霊を推戴して当地に移住。これを祀ったことに創るそうです。


高鴨神社
高鴨大御神の「高」は、立派であることを表す接頭語です。大御神の「おほみ」もまた接頭語で、鴨一族がこの神に、最大級の敬意をはらっていることを表しています。
高鴨神社には、高鴨大御神・・ご立派な、我等がもっとも敬愛する神・・として、二柱の神が祀られています。
  阿遅鋤高日子根神(あじすきたかひこね神)
  一言主神(ひとことぬし神)


拝殿
境内の由緒書きはまた、高鴨大御神が石鎚開山・役行者の祖神であり、土佐国一宮・高賀茂大社が祀る神と同神であることを記しています。
高賀茂大社は、今は土佐神社と称ばれる神社です。明治4(1871)に改称されました。土地の人たちは、「しなねさま」などとも称んでいます。私たちには元30番札所(今は善楽寺)として知られています。


土佐神社
・・(土佐一宮が祀る神と)同神である・・、その背景には、黒川元春(通尭)の存在があるようです。
元春については、(H30 春 8)の「能瀬大明神」でふれましたが、周布郡(現丹原町から小松町にかけて)の初代旗頭で、土佐長宗我部氏の流れを汲む人物でした。元親の叔父といわれています。そんな関わりから、元春が故地を懐かしみ勧請したのかもしれません。
なお土佐神社が祀る神については、 (H27春10) にも記しました。ご覧ください。


奥殿
阿遅鋤高日子根神、一言主神、そして役行者には、記しておきたい譚がいろいろ残っていますが、長くなるので、ここでは略します。
ただ、譚の中から読みとれる、これら神々の「同一神」関係についてだけ、略記します。
・・阿遅鋤高日子根神は大国主神の子神として、事代主神と同一神または異母兄弟とされることがあります。その事代主神は、託宣神としての側面から、一言主神と同体ともされ、一言主神は鴨氏の祖とされることから、阿遅鋤高日子根神と同一視されることもあるようです。阿遅鋤高日子根神には、迦毛大神という別名があって鴨氏の祖とされ、高鴨大御神とする説もあります。



高鴨神社から横峰寺に向かいます。当面の目標は香園寺白滝奥の院です。
この道については、H24春遍路 ⑤にも、(横峰寺から降りてきたときの記録ですが)記載があります。合わせてご覧いただければ幸いです。


景色
すこし上がってきました。画面中央の建物は、小松中学校です。


大谷池
県下最大級の溜め池です。
「池干し」をしていると思われます。掻い掘り(かいぼり)などとも呼ばれ、人工池を再生させる作業です。
池の水を抜き、堆積した泥をさらい、底を空気に触れさせて微生物の活動を促すなど、人工の池が自然生態系の一環として在り続けるための、大切な作業です。


久妙寺前の池
この前の日に見た景色です。ここでも池干ししていました。


奥の院
香園寺奥の院は、昭和8(1933)、滝行の場として、時の香園寺住職により創設されたとのことです。


通行止め
行場へは、昨夏の豪雨被害によるのでしょうか、通行止めになっていました。


本尊
そこで、H24(2012)春に撮った行場の写真を数枚、ご覧ください。
中央に不動明王がいて、向かって右に矜羯羅童子(こんがら童子)、左に制多迦童子(せいたか童子)を従えています。


更衣室
瀧行のための更衣室が設えられていました。傍には、清めの塩が入った箱もありました。滝に入る前に盛り塩をし、塩で身体を清めます。


景色
春の景色ですが、ここは紅葉の名所でもあるそうです。しかし紅葉は、今ひとつです。


復帰
奥の院から林道に戻ります。この林道は四国の道にも指定されています。


山道へ
山道に入ります。次の目標ポイントは、「おこや」の三差路です。
この道は「おこや」で、岡村経由の香園寺道と合流し、横峰寺へ向かいます。


景色
手前を走るのが、今治-小松自動車道です。自動車道の下が、池干し中の大谷池。
尾根筋の向こう側には中山川が流れています。



紅葉には、まだ一週間ほど早いようです。



開けてきました。やがて「おこや」です。



あるいは「おこや」は、「お小屋」なのでしょうか?川之江から登る土佐北街道に、(土佐藩の)「お小屋倉跡」が在ることからの連想ですが、どうでしょうか?
えひめの記憶は、・・「おこや」には昭和20年代ころまでは茶店があり、あめや団子を売っていた。・・という話を採録しています。茶店の他に、なにかしらの施設(お小屋)があったかも?


「おこや」の道標
 右 香園寺へ 一里二十丁・・岡村経由で香園寺につながる道です。
 左 香園寺道(奥之院を経て)一里十六丁・・私が歩いてきた奥の院経由の道です。
横峰寺は手前方向です。


道標
「おこや」を過ぎると道は、下ったり登り返したりの繰り返しとなります。
道標が示す横峰寺方向が、下り坂になっているのにお気づきでしょうか。


 
ここでも下りです。ということは、当然、登り返しがあるわけで、累積標高差は増してゆきます。
この時、私はよほどシンドかったのでしょうか、上りの写真が、一枚も撮れていませんでした。


舟形丁石
えひめの記憶は、この道中に14基の舟形地蔵丁石がある、と書いています。写真は、二十四丁石です。
「新屋敷村地蔵講中」と刻まれています。新屋敷は小松の地名です。


林道
林道が見えてきました。遍路道は、この林道に接続しています。
林道は大曲りしますが、遍路はショートカット道を歩きますので、横峰寺までは、あと1.2キロです。


仁王門へ(H24撮影)
林道が開通する昭和59(1984)以前は、遍路道は古坊集落(ふるぼう)につながっていたそうです。古坊集落から大頭道(小松町大頭からの参拝道です。後述します)に出て、5丁ほど登ると仁王門でした。
澄禅さんは「四国遍路日記」に、香園寺道を概括して、次のように記しています。
・・小松より坂にかかり、一里大坂を上る。(ここが多分、「おこや」なのでしょう)。それより小坂を上下すること三つ。(古坊に向けて)また大坂を上りて、すこし平地なる所に仁王門在り。


古坊の観音堂(H24撮影)
古坊の観音堂です。周辺には住居跡の石積みや墓などが残っています。
集落が衰退し始めた要因はいろいろ考えられますが、小松-河口間のバス開通(昭和6)は見逃せません。バス開通により、石鎚登拝者の起点が小松から河口に移り、古坊を通過する登拝者が激減。集落は、収入のお多くを失いました。
集落の事実上の消滅は、昭和50年代だったようです。HP「石鎚村の集落」は古坊集落の人口を、昭和25年 7世帯で29人、昭和62年 1世帯で1人 と記しています。


集落跡に残る墓(H24撮影)
集落の消滅により、古坊につながる道は荒廃してゆきます。この道は古坊の人たちの(小松に出るための)生活道として、維持管理されてきたからです。
それでもしばらくは、遍路道として利用されたと思われますが、やがて林道が開通。遍路道は林道につながりましたから、遍路道としての利用もなくなりました。利用者のない道は、廃れます。


林道
さて、記述を林道に戻します。
駐車場へ1.5キロ、とあります。林道は有料自動車道になっていて、蛇行して大曲する部分に、駐車場があります。大型バスが何台も停まれる、大きな駐車場です。


横峰寺
横峰寺に着きました。奥が本堂です。
白雉2(651)、役行者が星ヶ森で石鎚山を遙拝すると、山頂付近に蔵王権現が現れたといいます。役行者はその姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置。これが横峰寺の創まりとされています。
ただし「星が森」の名は、空海が42才厄除星供の修法を行ったことに因むといいます。大同年間(806-10)のことですから、役行者のときは、まだ「星が森」ではありませんでした。


大師堂
本堂に向き合うように、大師堂が建っています。
その左に延びる道が、私が入ってきた道です。なんとなく裏口から入ってくるような格好で、・・できれば(かつてはそうであったように)仁王門から入りたい、・・そんな気がしないでもありません。横峰寺が伊予の関所寺であってみれば、なおさらに。


道標
仁王門を出ると道標があり、二本の道が案内されていました。
  右 大頭道   左 石槌山道 
大頭道は、古坊→湯浪→小松町大頭→丹原町方面 に至る道です。真念さんは、・・大頭に荷物を置いて横峰寺から打ち戻り、荷物を受けとって香園寺に向かうよう、・・四国遍路道指南で「指南」しています。


新しい道標と大頭道
石槌山道は、小松から横峰寺を経て、石鎚山頂・横峯寺奥の院に至る登拝道です。小松→横峰寺間については、前述しました。
横峰寺・星が森より先は、次のようになっていました。
  星が森から虎杖(いたずり)に降りるモエ坂
  虎杖から常住(今は成就という)に上がる黒川道
  常住より上の道


案内板
しかし石槌山道の星が森-成就間も、今日、通行は難しくなっています。
モエ坂は(案内板は残っているものの)、最近の台風被害で道が崩れ、通行禁止となっており、黒川道も道は荒廃。通行は止められています。
黒川道荒廃の最大原因は、おそらく昭和43(1968)のロープウェイ架設でしょう。成就まで簡単に行けるようになり、黒川道の利用者は激減しました。繰り返しますが、歩く人がいないと、道は廃れます。


星が森
かつての石鎚山は、今日のように、いつでも、だれでも、登山できるところではありませんでした。お山は御神体であり神奈備だからです。
真念さんは四国遍路道指南に、・・横峰より二町のぼり、石鎚山の前札所・鉄(かね)の鳥居有り。・・これより石鎚山へ九里。毎年六月朔日同三日の日ならで禅定することなし。・・と記しています。
お山に立ち入ることが出来るのは、毎年六月朔日同三日のみ。その他の日は、ここから遙拝しました。


星が森
鳥居の建立は、寛保2(1742)だそうです。「鉄の鳥居」は、この場を呼ぶ、地名でもあったといいます。


車道
さて、下山します。有料自動車道を下りました。


料金所
下の料金所です。
歩いてみて、この道はやはり、車道だと思いました。


分岐
私は右から降りてきました。直進すると極楽寺ですが、参拝は明日に回して、今日は橋を渡って、横峯口の宿に向かいます。というのも、この後、けっこう大きな坂を越えなければならないからです。


黒瀬湖
右手に黒瀬湖が見えてきました。加茂川を堰きとめてつくったダム湖です。


大保木
集落です。ワンチャンは、不審なお遍路姿も、完全無視です。


参道
王子社参道の表示がありました。石鎚山三十六王子社の巡拝道だということでしょう。36の王子社に導かれて、石鎚山頂に至る道です。
江戸時代中期、前神寺の主導で起こされたそうで、だからでしょうか、現在、横峰寺石槌山道には、三十六王子社はありません。


横峯口・バス乗換所
ただ五来重さんは「四国遍路の寺」に、・・黒川という集落も今宮という集落も山先達の村で、黒川と今宮が主導権を争った時代があります。もとはここに山案内人がいたわけです。黒川王子も今宮王子も覗きの行と垢離行がありました。・・と、記しておられます。
枯雑草さんは、・・現在黒瀬湖近くにある第一王子社は江戸時代中期には大郷から上る道筋(おそらく古坊あたり)にあったと思われます。石鎚参拝道の主導権争いの様相を感じないではおれません。・・と、ご自分のブログに記しておられます。


バス乗換所
せとうちバスの乗換所があり、ここに宿があります。


バス乗換所
ここにもワンチャンがいました。このワンチャンは宿の飼い犬です。客が来ると宿の方に向いて吠えて知らせます。賢い子です。


第一福王子社
宿の傍に、第一王子社・福王子がありました。古坊にあったかもしれないという、石鎚山三十六王子社の一番目です。


第一福王子社
古く、僧・石仙(しゃくせん)が当地で野宿したとき、福の神からの夢告を受けたといいます。以来、ここで眠ると福の神が顕れると信じられ、伝わっています。
石仙は、前神寺の興り譚にも、横峰寺のそれにも登場する高僧です。前神寺、横峰寺ともに、開基は役行者(伝)ですが、四国遍礼霊場記は、石仙は役行者の再来、としています。


第二桧王子社
翌日訪ねた第二桧王子社です。
かつての成就社本殿は、左甚五郎の手になるそうです。
甚五郎は本殿完成後、残った用材の桧を一本、ここに突き立てて帰ったそうです。すると驚くなかれ、そこから芽が出て、やがてそれは桧大樹になった 、といいます。

  成 就 へ

黒瀬湖の朝
福王子のおかげでしょうか、すっきりと目覚めました。
窓を開け、今日はいい天気だぞ、と心躍った瞬間のことでした。
  そうだ!成就!ゆこう!
一瞬で決まりました。石鎚登山を「延期」したことへの残念な思いが、そうさせたのかもしれません。


横峯口
絶好の登山日和です。ここからバスに乗ります。


バス
ロープウエイが架けられて、石鎚山は日帰りできる山になりました。
皆さん軽装備で、もしかすると私の荷物より軽いかもしれません。


ロープウエイ口
この辺の標高は430㍍ほどです。


紅葉
横峰寺よりも紅葉が進んでいます。



標高1300㍍程まで、一気に上がります。


瓶ヶ森
ロープウェイを降りるとすぐ、瓶ヶ森が見えました。


笹ヶ峰
左端に小さく頭を出しているのが、笹ヶ峰です。
石鎚信仰は初め、瓶ヶ森、笹ヶ峰に創まり、次第に中心が石鎚山に移った、ともいわれています。


登山道
奥前神寺→成就社→石鎚山頂、とあります。


前神寺奥の院
里の前神寺との関わり、神仏分離・廃仏毀釈をはさんだ、前神寺と石鎚神社との関わりなどは、今号ではふれません。


第十八杖立王子社
明治初期まで、これより先は杖なしで登ったそうです。降りてくるまで、杖を預かってくださる王子社、ということでしょうか。
五来重さんは、・・持っていった金剛杖を立てて帰るところ・・と書いています。


大ブナ
ブナは成長が遅い木です。どれくらいの樹齢でしょうか。


成就の宿
宿が一ヶ所に集まっています。


石鎚山
石鎚山。標高1982㍍。


中宮成就社
成就社です。


遙拝
成就社の遙拝所です。


神門
神門をくぐると、よりいっそうの浄域、聖域に入ります。


下り
体調がもう少しよい頃、・・それがいつかは知りませんが、・・ゆっくり、山頂まで上がりたいと願っています。
その時を期して、下ります。

  河 口 へ

河口(こうぐち)へ
ロープウェイ駅から河口へ歩きます。
およそ1時間後の次のバスが来たら、乗るつもりです。ここは自由乗降区間ですから、手を挙げると止まってくれます。


加茂川
加茂川沿いに下ります。加茂川の「かも」は、冒頭に記した、高鴨神社の「かも」に通じています。


紅葉
秋の景色を楽しみ、歩きます。



滝が落ちていました。


河口
河口です。三差路になっています。
昭和6(1931)、小松-河口間にバスが開通したことは、前に記しました。以来、昭和43(1968)、ロープウェイが開通するまで、河口は石鎚登山の起点でした。
すぐ側に成就に上がる今宮道の登り口があり、左をゆくと、1キロ弱で虎杖です。虎杖がモエ坂の下で、黒川道の登り口であることも、前に記しました。


今宮道登り口
今宮道は、林道を含みながらも、今も生きています。私は計画では、この道を上がるはずでした。


虎杖方向
宿が並んでいます。残念ながら、すべて廃業しています。
この道を行くと、虎杖です。
私は半世紀よりももっと前、まだロープウェイがない頃、黒川道を上がったことがあります。もうほとんど記憶は消えていますが、たぶん、ここでバスを降り、この道を行ったのだと思います。
黒川道はいい道でした。ただ、途中にある「女人還(がえり)の行者堂」は、グループの女性達から顰蹙をかったのでしたが。


横峯神社別院
この神社は石鉄山横峯寺別院です。


横峯神社別院
前神寺の今宮道と競うように、この神社の裏からは、黒川道への連絡路が出ていた、とのことです。


三碧峡
河口は加茂川支流の合流部で、三碧峡とよばれる景勝地です。



もうすぐバスが来るはずです。



バス
来ました。乗ります。
極楽寺で下車します。

ご覧いただきましてありがとうございました。
今回は更新予定を守ることが出来ませんでした。年はとっても、いえ、とったればこそ、自分の「決め」は守りたいものです。
さて、気をとりなおして、次号の更新予定です。4月3日とします。極楽寺から伊曽乃神社の辺りについて、記すつもりです。

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