楽しく遍路

四国遍路のアルバム

弥谷寺から 天霧峠 八王山奥之院 虚空蔵寺 海岸寺奥の院へ

2020-03-18 | 四国遍路

 
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道標
左方向は「当寺本堂道」。つまり弥谷寺本堂への道。
右方向が「海岸寺道」です。
弥谷寺のお坊さんに「挑発され」、カメラマンに「勧められ」、犬を連れた散歩人に「保証され」、私は予定を変更して、海岸寺道へ進みます。ここに来るまでは、県道221号を経て、海沿いの道を行くつもりだったのですが。


天霧峠へ
「挑発され」とは、108段の石段で、弥谷寺のお坊さんとすれ違ったときのことです。
お坊さんとの立ち話で海岸寺が話題となり、私が「道は荒れているそうですが・・」と話すと、お坊さんは即座に、「通れますよ」とおっしゃるのです。それでも私がツベコベ言うと、ニコニコ笑いながら「しんどいですよね」と、・・。器量の狭い私は、「挑発され」ているのかしらん?ふと、そんなことを考えていたのでした。


天霧峠への道
「勧められ」とは、水守堂で休憩中のカメラマンに先ほどのお坊さんの話をすると、「ええ、いい道ですよ、ぜひ歩かれたら」と返ってきたことをいいます。この場合、「いい道」とは、整備されているだけでなく、魅力的な道でもある、ということです。ただ、近頃は歩いていないとのことで、私は今ひとつ、踏ん切りかねていました。



分岐点の護摩堂の前で迷っていたら、犬連れで散歩している方と出会いました。「どこに行くのですか」と尋ねたら、「天霧山に登り、それから白方に降ります」とのことでした。白方は海岸寺が在る所です。この方は、ほとんど毎日、歩いているのだそうでした。これが「保証され」です。
さてさて、もはや歩く他はなし。私は予定を変更して、天霧峠に向かいました。



海岸寺道は、西国三十三ヵ所の写し霊場になっており、いくつも石仏が残っています。
たしかに「いい道」です


ヌタバ
しかしイノシシのお風呂がありました。やっぱり、いるんですね。
今回の遍路では、・・日暮れ時には、もう気をつけなければなりません。曇で陽が射さない日には、昼間でも気をつけないと、その辺をトコトコ歩いてることがあったけんね・・こんな注意を、数カ所で受けました。


天霧峠
天霧峠に着きました。直進すると天霧山。海岸寺へは、左方向に下ります。
7年前のことです。私は天霧山登山を試みたことがあります。残念ながら、どこかで道を間違えたらしく、藪に阻まれ引き返したのでしたが・・。


我拝師山
その時、北に南に、素晴らしい展望にめぐまれましたので、この機会にご覧いただこうとおもいます。
写真は、峠から少し登った南方向の景色です。次なる札所、曼荼羅寺→出釈迦寺の山が見えました。右から火上山→中山→我拝師山です。左端の尖った山は、善通寺の筆ノ山でしょうか。


高見島
北には瀬戸内海が見えます。この島は高見島です。石垣の島。猫の島。「男はつらいよ」や「瀬戸内少年野球団」のロケ地の島。そして両墓制の島でもあります。前号のコメントでもふれましたが、一度訪ねたい島です。


塩飽諸島
この翌年、海から弥谷山を眺めてみたいと思い、佐柳島に渡ったとき、(→ →H25初夏9 )乗ったフェリーが高見島に寄港したのですが、残念ながら時間の都合で、上陸は果たせなかったのでした。


多度津
多度津の街も見えました。


道標
さて、峠にもどります。
これより海岸寺への下りです。白方方向が、海岸寺道です。


虎ロープ
下り始めるとすぐ、虎ロープが目に入りました。
なるほど、これがお坊さんの「通れますよ」の根拠だったのです。整備の手が入っているのです。


虎ロープ
左の石には、仏像が刻まれています。
カメラマンさんの言葉通り、「いい道」です。


石仏
三尊仏でしょうか。


 
この辺の道は、しっかりと踏まれています。


木段
急な下りも、きれいに段が切ってあります。虎ロープも張られています。


下り坂 石仏
不安なく下ることが出来ました。


リボン 遍路札
降りてくると、さすがに倒木などもあり、道筋は読みにくくなりますが、赤リボンか遍路札が、常に視界の中にありますから、道に迷う心配はありません。苦労して倒木を跨いだり、潜ったりすることもありませんでした。


荒れ
この辺を指して「荒れている」というのでしょう。
さすがに雨の日や、大雨が降った後での歩きは、沢筋の道ですから、避けるべきかもしれません。


奥の院
やがて弥谷寺奥の院に着きました。いえ、(弥谷寺の前身である)八王山蓮華院八国寺の奥の院あるいは旧跡、でしょうか。八国寺が弥谷寺となった経緯については、前号で記しました。


奥の院
ピンボケですみませんが、左に、本尊薬師如来 天霧八王山奥之院、とあります。右は、弘法大師ご修行之御遺跡涅槃岩屋霊場 愛染明王、弘法大師之御尊像安置奉、です。


奥の院
内部は、(行儀悪く覗かせていただくと)、けっこう大きな洞窟になっており、大師像と思われる石像などが安置されています。
おそらくは、弥谷山南面の観音窟、護摩窟、獅子の岩屋などと共に、八国寺(→弥谷寺)発祥につながった、岩屋の一つなのでしょう。


奥の院
さらに500㍍ほど下ったところにある、(山号を同じくする)八王山虚空蔵寺との繋がりも考えられますが、八王山八国寺との関わりの方が、先だったでしょう。
弥谷寺が寺地を南面に限ってゆく経過の中で、この岩屋は北面との関わりを強めてきたように思います。


 
沢には橋が架かっています。この沢はやがて観音堂川(後述)となり、弘田川に注ぎます。
次に引用するのは、仏母院の碑文の一部です。お大師さんは三教指帰で、登場人物をして「私の出生地」を語らせていますが、その現代語訳に「弘田川」が出てきます。
・・私が生まれた所はアジアの中の日本、天皇の治める国で、香川県の楠木が太陽を隠すほどたくさん生えた、弘田川の河口にある浦(屏風ヶ浦)。生まれた家は草ぶき屋根で、戸は縄でつないだような、普通の家でした。・・



これ以上はないような、いい道となりました。


砂防ダム
砂防ダムです。


砂防ダム
ダムの下に出ました。


草刈はさみ
草刈りお接待のお願いです。道端のシダ類は、夏季には、そうとう繁茂すると思われます。


虚空蔵寺
虚空蔵寺の上に出てきました。


道標
右面には、「弥谷寺道」とあります。
左面は、「左 山道」とあるようなのですが、読み間違いかもしれません。


道標
右面は、「弘法大師守本尊 虚空蔵大菩薩」。左面は、前写真にもある、弥谷寺道です。
写っていない面には、屏風ヶ浦、多度津、丸亀までの距離が刻まれています。屏風浦は、むろん海岸寺を指しています。


虚空蔵寺
虚空蔵寺は、弘法大師が虚空蔵求聞持法を修行した場所、と伝わるそうです。


本堂 
・・当山は弘法大師の御開基にて 安置し奉る御本尊は 弘法大師守本尊虚空蔵菩薩に向って 右は弘法大師 左は十一面観世菩薩の御尊像なり・・とあります。
板看板を使う説明の仕方が、天霧八王山奥之院と同じです。おそらくは管理者が同じなのでしょう。
なお、この写真と次の写真は、七年前に撮ったものです。今回の写真は手ぶれで、使い物になりませんでした。


本堂 十王堂
本堂に接続して十王堂があり、閻魔王を初め、十王が居並んでいます。
弥谷寺道には、やはり、十王堂が必要なのでしょう。


八王子池
虚空蔵寺のすぐ下にある溜め池です。



ふり返ると、弥谷寺の山々が見えます。
左が天霧山。右が弥谷山。真ん中の小ピークと弥谷山の間の鞍部が、天霧峠です。ここから降りてきました。


分岐
やがてY字の分岐にさしかかります。左を流れる川が、観音堂川です。


道標 
分岐に建つ道標です。
  左 屏風浦 白方 海岸寺奥の院
    たどつ まるがめ 道
道標に従い、左の道を行きます。


道標
左に進むと、商店の前に小さな道標が建っています。
  右 たどつ まるがめ道
  左 屏風浦 白方 海岸寺
二箇所が、硯状に削られています。改刻の跡と思われますが、はてさて、元はどう書かれていたのでしょうか。


遍路道
とまれ、道標に従い左に入ると、細い遍路道になりました。電柱のシールに励まされながら、緩やかに上ります。


白方小学校へ
  (左手差し) 屏風浦道
  (右手差し) いやだに道
写真奥に見える白い建物は、白方小学校です。


白方小学校
白方小学校を過ぎて、下ります。
この先は、道が海岸寺駅にぶつかると左折。踏切に出ると再び左折。すこし登って右折すると、すぐ奥の院です。


奥の院
海岸寺奥の院が見えてきました。
塔は、小高いところに建っているので、訪れる者には、格好の目印になっています。一見、五重塔にも見えますが、実は二重の塔です。
お山は、経納山というそうです。幼少の大師が法華経を一字一石に写経し、納めたことに由来すると言います。


奥の院
奥の院は稚児大師(赤ちゃん姿の弘法大師)をお祀りする大師堂で、海岸寺の大師堂と位置づけられています。
このことを私は、奥院のお坊さんに教わるまで知りませんでした。・・そうでしたか、するとお参りの順が逆になってしまいましたね、・・と私が言うと、お坊さんは、・・ですから、海岸寺から弥谷寺に上がるのが、まあ、本来の歩き方なんでしょうね。修行の道は、やはり登りでしょうからね。でも、いいんですよ。どうぞ、お参りしてください。
お坊さんはお参りを勧め、・・気になるようなら、向こう(本坊)で納経なさってください、・・とも話してくださいました。


海岸寺駅
予讃線の敷設が札所へのアクセス・ラインと交錯した例を、小松駅近辺で見てきました  (→31春 1) 。宝寿寺に至っては、予讃線を避けて寺地を(現在地に)遷しました。
小松ほどではありませんが、海岸寺でも予讃線との交錯が見られます。海岸寺の奥院と本坊が予讃線によって分断され、当然、参拝路も分断されました。


道標
「いやだに道」を案内しています。
いつか、こちらから登り、天霧山にも上がってみたいものです。


道標
擁壁ができ、道標が上にあげられました。
  右 奥院   右(手差し) 弘法大師旧跡 白方屏風浦
ここを右折すると、すぐ先が奥の院山門です。


海岸寺奥の院
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
ここでいったん切らせていただき、海岸寺奥の院、海岸寺、仏母院は、次号回しとします。更新予定は、4月15日です。
みなさま、ご自愛ください。

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♪いのち短し恋せよ乙女 紅き唇褪せぬ間に~ (天恢)
2020-03-24 21:28:04
 巡りめぐって今年も桜咲く季節を迎えました。 春は出会いと別れの季節なのに、巣立ちの卒業式は中止、新たな門出の入学式も実施が危ぶまれています。 これも中国で発生した新型コロナウィルスが世界中に拡散して、今や世界中で猛威を振るって、壮絶な惨状が繰り広げられています。 オリンピックの延期は仕方ないけど何とか首都封鎖だけは回避せねばなりません。 あぁ~終息するのはいつのことやら・・・。

 さて、今回は「弥谷寺から 天霧峠 ~ 海岸寺奥の院へ」ですが、死霊のこもる弥谷寺から天霧峠を経て、大師誕生の伝説が残る海岸寺までの道中記を楽しく読ませていただきました。 古から死者の霊魂や遺骨を弥谷寺まで運んだとい山道、イノシシの陰に怯えながら、閻魔大王を祀る恐そうな虚空蔵寺、ブログで何枚もぶれた写真を拝見し、これも死霊のイタズラに違いない! ここも歩いてみたい山道の一つです。 それと低山ですが素晴らしい展望です! 天霧峠からの我拝師山、筆ノ山などの山々。 そして瀬戸内海の塩飽諸島の島々、特に高見島や佐柳島には天恢も一度は訪ねたい島です。

 さてさて、今回のタイトルは『♪いのち短し恋せよ乙女 紅き唇褪せぬ間に~』ですが、もう100年以上も昔の大正4年に吉井勇作詞・中山晋平作曲.の「ゴンドラの唄」で、『熱き血潮の 冷えぬ間に  明日の月日はないものを』と、続きます。 この歌がずっと歌い継がれたのは、1952年に公開された黒澤明監督による『生きる』で、劇中で主演の志村喬が「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコをこぐ場面は、名シーンとして余りにも有名だからでしょう。
 映画のあらすじは、市役所に勤める主人公は日々無気力に過ごしていたが、ある日自分が胃ガンで余命幾ばくもないことを知る。 絶望の中で、無意味な人生を生きる自分に愕然としていた時、自由活発に生きる部下の女性の力強く生きる姿に心を動かされる。 そして無意味に感じていた自分の職場で意味を見つけ、「生きる」ことの意味を取り戻すというのがストーリーです。
 今、全世界でコロナの猛威が続いています。 あの先進社会の欧米でも信じられないほどの感染者や死者が続出しています。 その犠牲の多くは老人や持病持ちの弱者です。 天恢も後期高齢者で、生涯の残りも、それほど多くはありません。 青春に精いっぱい恋するゴンドラの乙女なら時間の浪費も成長の糧となり、やり直すことも可能です。 でも年を重ねた者にとっての時間は、余りにも短く、だからこそ尊いのです。 主人公のように「なぜ生きるか」を問いつつ、残された時間を大切にして悔いなく生きたいものです。 
 あぁ、自由に往来できて、酒が飲めて、遍路にも出掛けたい!
♫ Hang Down Your Head、 Tom Dooley (楽しく遍路)
2020-03-30 21:44:19
パンデミックという、この時期、どのようにコメントしてよいやら、さぞお困りだったと思います。
ましてや寄稿先が「楽しく遍路」などという、能天気な名前のブログであってみれば、なおさらでしたでしょう。
実は、かく言う私もまた、何をどう書けばよいのか、迷いに迷っています。
Tom Dooley は、そんな私の頭の中で、なぜか繰り返し、流れ続けている曲です。
♫ This time tomorrow、 Reckon where I'll be、

さて、なにかを書かねばなりません。
映画 「生きる」 のこと。 
いい映画でした。仕事のたらい回しなど、お役所仕事の描写はややステレオタイプ気味ですが、志村喬さんの「ゴンドラの唄」は絶品。このシーンが「生きる」の名を、名作として高からしめました。おそらく志村さんさえも、二度とあのようには歌えないと思います。森繁久弥さんは、あの種の歌が得意ですが、「生きる」の劇中歌としては、使い物になりません。小林旭さんなどもカバーしているようですが、あんな元気声は論外です。
地を這うような志村さんの歌声、涙にうるむ目、降る雪、ブランコの「渡辺勘治」を軸にゆっくりと回るカメラ・・。
人生の大半を無為に過ごしたことへの悔いと、最後の最後に一仕事することが出来たことへの安堵が交錯する・・。
映画っていいですね。

さてさて、この他、新型コロナウイルスのこと、次号をどうするかなど、書くべきことはあり、実際、書いてもみたのですが、削除してしまいました。これからの推移の中で、もう少し考えてみたいと思います。
下手の考え休むに似たり、なのでしょうけれど。
申し訳ありませんが、これにて今回の「コメント返し」とさせてください。
天恢さん、皆さま、ご自愛ください。

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