楽しく遍路

四国遍路のアルバム

H25 初夏 ④ 続伊吹島 剣五山弥谷寺 我拝師山曼荼羅寺

2013-08-16 | 四国遍路
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続 伊吹島


伊吹島真浦港へ

観音寺沖、「七トコ三里」の伊吹島は、「イリコの島」と呼ばれています。海沿いに並ぶ建物、施設は、17統の網元によるイリコ加工場や桟橋などです。
「イリコ」とは、片口いわしを煮て、干したもの(煮干し)です。そのまま食べても(ツマミに最適)、美味しいのですが、特に讃岐うどんの出汁には欠かせません。


イリコ加工場 桟橋

戦前は朝鮮海域にまで出漁した「漁業の島」でしたが、昭和40年代(1965-)、漁業を基にしながらも、「イリコの島」へと転換します。イリコ作りは古くから行われていましたが、生産量が増えるのはこの時期です。


港に駐まるバイク

伊吹島はまた「迷路の島」とも呼ばれています。島の斜面に寄り合って建つ民家を、迷路のような道がつないでいます。道はかなりの急坂で、だからバイクが重宝します。

港近くの宿に荷物を預け、島巡りに出かけました。


伊吹八幡神社 

68番札所・神恵院に伝わる「弘化録」によると、天治元(1124)、その頃の68番札所・琴弾八幡宮を勧請し、伊吹八幡神社が創建されました。また「弘化録」は、69番・観音寺の泉蔵坊と海蔵坊を、同時に伊吹島に遷した、とも伝えているそうです。
八幡様は、民家が密集する中、広い土地を占めています。まず八幡様が在り、八幡様を中心に、伊吹島集落が形成されていったようです。


八幡神社絵馬堂 

八幡様の「ご利益」にはいろいろありますが、伊吹島は漁業の島ですから、当然、「豊漁・海上安全」のご利益が一番に期待されています。「八幡」は「やはた」(多くの旗)を意味し、この場合は、多くの大漁旗と考えていいでしょう。

八幡様は真浦港にも祀られていますが、そこには八幡様だけでなく、恵比寿様、金比羅様も祀られ、明神社と呼ばれています。


「蛭金八」と刻まれた常夜灯

真浦港明神社の常夜灯です。「蛭金八」の文字が刻まれています。「蛭」は蛭子(えびす)様です。島では「よべっさん」と呼ばれています。「金」は言うまでもなく金比羅様です。そして「八」が八幡様。どなたも航海神です。合力して海上での安全を守り、繁栄をもたらしてくださるよう、島人たちは願っています。


八幡神社の森と民家

予期せぬ声が家の中からかかりました。・・・島の民俗資料館があるんよ、連れていこか?道が込み入っとるでなあ・・・。
喜んでお願いしました。おばあさんは、途中、あれこれと道案内してくださいましたが、初めは、さっぱりわかりませんでした。込み入っているのです。


民俗資料館 

私の身は、おばあさんから、資料館にいた人たちに引き渡されました。
資料館には、芸術祭に参加する、島外から来たアーティストさん二人と、「しま案内ボランティア」さんがいました。芸術祭とは、「瀬戸内国際芸術祭2013」です。瀬戸内海の12の島と二つの港を会場に開催され、伊吹島は、今年、夏季の部(7/20?9/1)に参加します。
アーティストさんは、「線路を走る船」を造るんだ、と話してくれました。奥が作業場です。隣に保育所があるので、子供たちも喜ぶだろうし、と言います。(最近ネットで調べると、「小さな島のささやき」という作品として結晶していました)。


資料館内部

島の人口は昭和30(1955)頃がピークで、743世帯 4396人が暮らしていました。むろん過疎化は進んでおり、平成24(2012)には、約300世帯 600人に減っているそうです。芸術祭参加は、そんな中での新たな「息吹」です。

島の人たちが作った資料館ですが、今は観音寺市の郷土資料館の分室になっているそうです。古文書、民具、漁具、昔の写真、島の人口推移、歴史、等々が展示されています。入場は無料ですが、私には「宝の山」と見えました。
この後、私は、「しま案内ボランティア」さんの案内で、島を巡ります。


七宝山泉蔵院

69番観音寺の泉蔵坊を遷したものだそうです。伊吹島には「島四国88カ所」がありますが、泉蔵院が、その一番です。


七宝山

伊吹島から見た七宝山です。「七宝山」は、観音寺、神恵院、本山寺、妙音寺の山号ですが、島の泉蔵院もまた、七宝山を号しています。
右下は、伊吹島の外周を走る県道262号伊吹循環線です。県道沿いにはイリコ加工施設があり、島四国88カ所の多くがあります。


紫雲出山

こちらは庄内半島の紫雲出山。「しうで山」と読むようです。浦島太郎の玉手箱から出た煙が、紫の雲となって、この山にかかったのだそうです。栗林公園の紫雲山とは違います。


西の堂

西の堂は、観音寺から遷された海蔵坊の跡地に建った、とされています。泉蔵院よりも、やや高い位置に在ります。
泉蔵院を出発した88カ所巡りは、海沿いの道(県道)を歩いて、ふたたび登り、西の堂で結願します。2-3時間で1巡するそうです。


西の堂の「88番大窪寺」

「デンダ」(屋号)の三好さんが施主です。島では屋号による呼称が、日常生活に生きています。
「三好」さんは、16C 、島に来住した、阿波三好氏(三好長慶)の末、と考えられています。

背景に太鼓倉が見えています。「ちょうさ」が納まっています。
「しま案内ボランティア」さんは言います。・・・伊吹島の「ちょうさ」は、他所のように、大きさは競いません。狭い島ですからね、大きくすると宮入もままなりません。だけど小ぶりでも、古さでは負けてません。・・・観音寺市内では一番古いのだそうです。


新旧2体の石仏

すでにお気づきのように、一ケ寺につき2体あります。風化が進んだ、砂岩製のものと、新しい、花崗岩製のものです。
島四国は、100年以上は前に、「仁兵の卯三蔵さん」を回向して創基された、と伝わっています。砂岩製石仏は、その時のものと思われます。
卯三蔵さんは江戸末期の人で、何度も四国88カ所を巡礼された人ですが、受けたお接待に報いることができないまま、若くして亡くなりました。これでは卯三蔵さんも成仏しにくかろうと、島人達は島四国をつくり、卯三蔵さんに代わって「お接待」を始めた、とのことです。


イリコ加工場前の札所石仏

海沿いに県道が通じる以前は、石仏はもっと高い位置に在りましたが、施主の網元さんと一緒に、県道まで降りてきました。施主さんの多くは網元さんです。
「島四国の日」には、施主さんからの「お接待」があるそうです。また、島民の皆さんの功徳を集めた、「村接待」を戴くこともできるそうです。


大師堂

弘法大師入定の旧暦3月21日が「島四国の日」です。旧暦で決めていますから、新暦では、毎年、日が動きます。
そのために生じる不都合もあるようですが、「旧暦」を守り続けています。こんな「旧守性」は、私は大好きです。

88カ所石仏は、元は、大師堂くらいの高さにありました。


出部屋

うがや葺不合尊(うがや・ふきあえず尊)という方がいらっしゃいます。神武天皇のお父さんです。産小屋が葺き上がる前にお生まれになったので、このような御名で呼ばれています。
昔は、お産のために特別の小屋を建てたようです。その小屋を「産屋」とか「出部屋」(でべや)などと呼びました。


出部屋跡

伊吹島の出部屋は、お産の後、1ヶ月ほど、産婦が養生する施設でしたが、昭和31(1956)、産室が造られ、「産院」になりました。「しま案内ボランティア」さんは、「ここ」の生まれだそうです。
産婦さん同士や、生まれた子供達の間には、「出部屋仲間」の連帯感があると言います。残念ですが、昭和45(1970)、県道の敷設工事で、建物は解体されました。出部屋が生まれてくる背景には、いろいろ興味深いことがあるのですが、ここでは略します。


天水井戸

島は安山岩に被われていますから、井戸を掘っても水は湧いてきませんが、けれども水が溜まれば、地中に浸み込むこともありません。そこで島の各戸は、天水井戸を掘っていました。雨水を溜めておく貯水槽のようなものです。写真は、空き地に残された天水井戸です。人が住んでいた頃は、屋根からの雨樋が井戸に接続されていたはずです。
水道が通るのは昭和59(1984)だとのことです。なお海底送電ケーブルで電気が通るのは、水道よりも早く、昭和42(1967)でした。


徳島で見つけた雨水利用

カメをつないで、貯水量を増やすだけでなく、濾過の効果もねらっているようです。伊吹島でも、井戸を数本つないだ例が見られるそうです。


イズミ

西の堂にある天水井戸(というより天水溜)です。たぶん共用のものでしょう。「しま案内ボランティア」さんから戴いた資料に、「雨水をためるイズミを作って共同で利用していた」とあります。これがイズミでしょう。




左右に石を置き、その上に天井石を被せて、小さな空間を作っています。白い皿が見えるので、供物を置く空間かもしれません。
伊吹島には、(というより塩飽諸島には)、「両墓制」が見られたと聞いています。それとの関わりなど、明日、弥谷寺にお参りする予定でもあり、考えてみたいと思います。


船(真浦港)

係留された船に、二つのタイプが見られます。やや大きめの、網を曳く「曳き船」と、捕れた鰯を、即、加工場に運ぶ「運搬船」です。
漁は、二艘で一枚の網を曳くことから、二艘曳き網漁と呼ばれていますが、曳く網が、パッチ(下着)の形状をなすことから、パッチ網漁とも呼ばれています。


同じ船名

二艘一組で機能するので、船名が同じです。右の「平和丸」に至っては、第〇の区別さえついておらず、完全に二艘同体です。
「港まつり」では、網船が(網元さん順繰りで)、「よべっさん」の御座船をつとめますが、二艘が、あたかも双胴船のように舷を接して、お運びするそうです。その後を、他の網船が供奉して続きます。いずれも大漁旗で飾り立てられています。さぞ、見ものでしょう。
 

桟橋

太いパイプが、たぶん、フィッシュパイプでしょう。運搬船が運んできた鰯を、掃除機のように吸い上げて、加工場に移します。
細い方は、氷を運搬船に補給するパイプのようです。


イリコ加工場

桟橋と道を隔てて加工場があります。鮮度を落とすことなく、鰯は加工されて、イリコになります。海水で煮て、干す、のだそうです。「海水で煮る」がミソだとのこと。
私が島を訪ねたのが5月25日でした。こんな静かな風景は、数日後には見られなくなります。鰯漁は6月から始まります。
伊吹小学校の生徒達がつくった案内が吊されています。絵はカタクチイワシです。「ヒラサン」は網元さんの屋号です。


さより サザエ

このサザエには、角というか、脚というか、トゲというか、がありません。瀬戸内海で見られるサザエです。
サヨリは、海面近くを矢のように泳ぐ魚です。昔、連絡船に乗ると、かならず見かけました。白身で淡泊な味。美味です。




歳と共に「眠る力」が衰えてきているのでしょう。またまた早起きしてしまいました。朝食前の散歩です。


金田一春彦さんの歌碑

・・・伊吹島にて 緑濃き 豊かな島や かゝる地を 故郷にもたば 幸せならん  春彦
平安時代の公家言葉が島に残っているとのことで、金田一春彦さんが調査に見えたそうです。その時、残された言葉です。
伊吹島は瀬戸内海交通の要衝だったのでしょう。港は、単なる漁港ではなかったのでしょう。だから京言葉が残っています。

伊吹島の記事、多くが「しま案内ボランティア」さんに依っています。ありがとうございました。伊吹島については、回を改めて補足したいと思います。

剣五山弥谷寺へ

伊吹島は奥の深い島でした。再訪を期しつつ、7:30の第一便で観音寺に渡りました。
昨日歩いた部分はJRを利用することにしました。観音寺-高瀬間は電車です。


弥谷寺 石柱門

神社なら一の鳥居が立っているところでしょうか。前回、ここで休んだのを思い出しました。
前に弥谷寺に来たのは平成17(2005)のことでした。本山寺近くで泊まる予定でしたが宿が取れず、タクシーで弥谷寺近くまで来て泊まり、翌朝またタクシーで本山寺近くまで戻ったのでした。宿で入った温泉が効いたのか、痛んでいた脚は、いくぶん楽になっていました。 (→前回の弥谷寺)


八丁目大師堂

弥谷寺本堂から数えて「八丁目」の大師堂です。側に足湯が出来ていました。


俳句茶屋

トコロテンをいただきました。
お願いしたトコロテンが、(曖昧な記憶で申し訳ないのですが)、膳だったか?折敷だったか?に載って出てきました。私が「膳」(折敷)に触れて話しかけると、ご主人が「こういうの、うち、いっぱいあるんですよ」、と話されました。
残念ながら、なにかの事情で、話はそこで中断したのでしたが、・・・


俳句茶屋の短冊

「こういうの、うち、いっぱいあるんですよ」・・・、つまり、俳句茶屋では以前、食事を提供していたと考えられます。弥谷寺で法要を終えた人たちに、「お斎」(おとき=食事)を提供していたのではないでしょうか。
ご主人は、「飴湯の味は代々受け継いできた味」、とよく話されますから、茶屋も兼ねていたでしょう。あるいは宿も提供していたかもしれません。いつか尋ねてみたいと思います。


山門

俳句茶屋のすぐ先に山門があり、ここからが「異界」です。
山門より先は「賽の河原」と設定され、「三途の川」が流れています。ただし、中世の「地獄絵解き」に見られるような、細かな設定はありません。死者は川を渡り、阿弥陀浄土に向かいます。


異界

登ってゆきます。


金剛拳菩薩

登り行く先から金剛拳菩薩の眼差しが注がれています。輪廻の苦から救ってくださる菩薩様です。


108の石段

三途の川を渡り、百八煩悩の石段を登ります。一段登る毎、煩悩が一つ一つ消えてゆきます。そして、すこし先に大師堂があり、お大師さまがいらっしゃいます。


水場

弘法大師のお加持水。たくさんの水経木が供えられています。霊水で洗い清められた木札に真言を書き込み、死者の菩提を弔っています。
絶えることがない清水は、天霧城の水の手としても利用されたそうです。ただし、城名の興りにかかわる「尼斬り城」伝説は、天霧城が水に不足していたことを伝えています。


阿弥陀三尊像

さらに登ると、阿弥陀如来の世界が現出しています。阿弥陀如来を中に、「左観音右勢至」、二菩薩が侍しておられます。


三尊像 六字名号 

三尊像の両側に、「南無阿弥陀仏」の六字名号が、(消えかかっていますが)、陰刻されています。


本堂

本堂が側にあり、そこには、千の救いの手を持つ、千手観音菩薩がいらっしゃいます。


納骨五輪塔

弥谷寺は供養の寺です。
岸壁には多くの納骨五輪塔が陽刻されています。穴が穿たれていますが、そこに爪、髪などを六文銭と共に納めたようです。六文銭は、三途の川の渡し賃です。
前回報告の興隆寺廃寺を思い出します。


下に見える景色

南方向です。山裾は火上山の山裾です。火上山は、我拝師山につながる山です。高速道は高松自動車道です。
北方向は瀬戸内海ですが、ここからは見えません。


香川氏の墓塔群

天霧城主・香川氏代々の墓です。100㍍ほど上方にあったものを、回向のため、ここに移したのだそうです。
香川県の名の興りとなった香川氏ですが、秀吉の「四国征伐」で滅亡しました。


海岸寺道

海岸寺に降りる峠まで、(できれば天霧城まで)、行ってみようと思い立ちました。


山中の墓

山中には所々、墓が見られます。まとまっていますが、元は、もっと広域に散らばっていたように思われます。そう考えた方が、「イヤダニ参り」のイメージに合うようです。
道は、天霧山(城)へのハイキングコースとして整備されています。その際、お墓が移されたのではないでしょうか?


海岸寺への峠

海岸寺への鞍部です。尾根筋をさらにたどると、天霧城に至ります。すこし進んでみましたが、「隠し砦」で引き返しました。荷物を預かってもらった俳句茶屋のご主人に、天霧山に登ることを告げていなかったのです。たぶん心配をかけているでしょう。


瀬戸内海

瀬戸内海が見えます。
鞍部からの下りが海岸寺への道ですが、この道は整備されていません。私は下(海側)から登ってきたことがありますが、独りで歩く道ではないと思いました。弥谷山へは不通と言っていいでしょう。

我拝師山曼荼羅寺へ

俳句茶屋に戻ると、「ずいぶんゆっくりでしたねぇ。一時間半になりますよ」とのことです。
時間が頭に入っているということは、漫然と荷物を預かっているのではないことを意味します。ご心配をかけていたのです。


曼荼羅寺へ

お接待のあめ玉もいただいて、出発です。


善通寺方向

山を降ると、善通寺方向の景色が開けてきます。


筆の山 我拝師山 中山

中山の右に、火上山が続きます。
五来重さんは、「我拝師(がはいし)」は「若一(わかいち)」から来ている、と指摘しています。
・・・幸いにも西行が山家集に、(お坊さんは「わがはいしさ」といっているけれども)、村の人は、「わかいし」と呼んでいる、と書き残している・・・。


奥の院

もとは「若一王寺」が祀られていて「わかいし」といったのを、坊さんが弘法大師に関係づけるために「わがいしさ」(我拝師山)といったのではないか、と言うのです。
なるほど、です。その延長で考えると、右隣の「火上山(かじょう)」が、修験者達が山頂で焚いた護摩の火から来ているだろうとは、容易に推測できます。
画面左の紙袋は枇杷です。


西行歌碑

ひとつ問題があります。
・・・筆の山に かきのぼりても 見つるかな 苔の下なる 岩のけしきを・・・
山家集に収められた西行の歌ですが、西行は「我拝師山」を「筆の山」と取り違えて詠んでいる、という説があります。
となると五来説が怪しくなってくるのですが、西行さんは近くに庵を結んで暮らしており、曼荼羅寺には西行さんの「昼寝石」があるほどですから、「取り違え」は、まず考えられないでしょう。


曼荼羅寺山門

「我拝師山」とあります。次の出釈迦寺も、同じく山号は「我拝師山」です。


落慶法要

曼荼羅寺では大師堂の落慶法要が行われていました。それにしても「読経」の力はたいしたものなのですね。ずっと遠くから聞こえていました。何があるのだろうと、引かれてやっていたのでした。


手ぬぐい

落慶記念として、紅白の饅頭、手ぬぐい、お茶などをいただきました。


笠松大師

曼荼羅寺には菅笠の形をした名物松があったそうです。残念ながら平成13(2001)、松食い虫被害で枯死したといいます。
その名物松の幹から彫り出した弘法大師像です。


我拝師山から見た黒戸山 弥谷山 天霧山

この後、私は出釈迦寺にお参りし、荷物を納経所に預かっていただいて、奥の院に参ります。写真は我拝師山から撮った、弥谷寺がある山々です。

次回は順当なら、出釈迦寺から奥の院-甲山寺-善通寺-金倉寺-道�・寺辺りまでの報告ですが、伊吹島、弥谷寺について、もう一度、報告できれば、とも思っています。他の「両墓制」の島を調べてみたいとも思っています。もう少し拘ってみたい、そんな気がしたいます。
ともあれ、次回更新は、9月6日予定です。

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