昨日の暴風雨が想像出来ないほど長閑な日和ですが、まだまだ春の嵐は続きますね。
春雷の多い年は夏の日照りと関係していると聞いたことがありますが、
天候の変化が激しいと、今夏も記録更新の日々が続くのではないかとそんなことを思ってしまいます。
「 まだ出番じゃないでしょ 」 っと思うような虫たちも出てきていますし、とにかく地球の寿命が早まっている様な気がします。
先日TOMOさんが、素敵なメールを送って下さいました。
「自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の私たちの孫や
まだ生まれてもいない大地からやってくる 新しい生命に思いをはせる。」
これはアメリカインディアンの言葉です。
人類は生き急ぎすぎたのではないか・・・とそんな風に最近感じます。
埋め立てたり川を消滅させたり、地球のリズムや時間を身勝手に都合よく、
そしてものすごいスピードで奪い去った人類に、近いうちにあらゆる形でツケが返って来ますね。
そしてフとアメリカンインディアンの記事を見つけたので紹介します
『インディアンは「自然界の、そこ、ここに、精霊が宿っている」と信じ自然崇拝していた人々でした。
自然と共に生き、自然に感謝しながら生きていた人々でした。
インディアンにとってのバッファローは、食料(不足するビタミ ン補給)としてだけではなく、
毛皮や胃袋、糞までもが生活のために 無くてはならない動物でした。
白人たちは、そのバッファローをライフルで乱獲し、皮だけはいで死体をそのままにしていたことに、
危機感を抱き、戦いになっていったそうです。バッファローの群れの中から、年老いたものを狙います。
(若いもの、子供がいるものは、絶対に狙わない)それが分かるようになるまでに3年。
さらに、矢が当たるようになるまで3年。 矢の先に毒をぬるのですが、大きな体のバッファローはすぐには死にません。
足跡を見抜いて追跡します。村から離れると、今度は自分が 他の動物に狙われる番です。
そこでインディアンは祈り、 バッファローにテレパシーを送るそうです。
「もう子孫を残して、悔いはないだろう。私には子供がいる。助 けてくれ」と。
すると、次の朝、数十メートルとは、離れていないところにバッファローは倒れていて「おまえか!」と、
お互いに確かめるのです。 そして、痛みなく殺し、彼の心臓は土に返し、残りのものはすべて食べ、
食べられないケンはドリームキャッチャーの糸にし、牙は首飾りにして彼が自分達のために死んでいったことを称えるそうです。
自然への畏敬の念は、植物にもむけられていました。
凶作の年には、生活も質素にしていたそうです。食物連鎖の輪を 壊さないために。
自然界は微妙なバランスで保たれています。ほんの少し壊れただ けでも、
それを回復させるためには、約7世代もの子孫が努力しなければなりません。
インディアンの人々は「自分達の行いのために子孫に負債を 背負わせてはならない」と考えて生活し、
豊かな自然を次の世代へと 受け渡してきたのでした。
インディアンは、常に、7世代先の 子孫のことを考えて自然と共に暮らしていたのだそうです。』
考えさせられる内容だと思いました。TOMOさんありがとう