大木昌と大木秀子のワクワクライフ

美と健康と豊かな人生を求めて

大木昌が思うこと⑫

2011年08月03日 | 震災について大木昌が思うこと

震災報道 ― 想像力が欠如しているのはテレビのコメンテータ

 先日,あるテレビの報道番組で,セシウムに汚染された稲わらを食べた牛の肉が市場に出回っている問題を話し合っていました。

5人ほどいた,いわゆるコメンテータと称する人たちが,この問題で政府の対応が遅いことを非難していました。

非難の趣旨は,「こんなことは最初から想像できたはずだ」というものです。こうした発言を聞いていて私はちょっとびっくりすると同時に,

コメンテータとして登場している人たちのセンスというか,思慮のなさに驚きました。

というのも,これらコメンテータの誰一人として,原発事故が起こった当初からこの問題を指摘してこなかったからです。

彼らは,起こったことを,後から「それみたことか」と言わんばかりに,高みから「上から目線」で政府の対応の遅れを非難しているのですが,

それでは,この問題に最初から気がつかなかったコメンテータ自身の想像力の欠落についてはどう考えているのでしょうか。

彼らは,この矛盾にまったく気がついていないようです。

テレビのコメンテータには,いろんな立場の人がいてもいいし,必ずしも政治・経済の専門家でなくてもいいと思います。

時には,専門家といわれる人たちよりも鋭い視点から問題を論じることができるコメンテータもいます。

しかし,実際にはほとんどその場の雰囲気で勝手な印象を言っている場合がとても多いように思えます。

少なくとも,コメンテータとして登場するからには,素人は素人なりに勉強し,専門家とはちがったコメントをして欲しいものです。

しかし,どうしてこの人がコメンテータとして,テレビという公共の電波を使って,こんなにも意味のないことを言うのか

疑問に思うこともしばしばです。そもそも各テレビ局はどういう基準でコメンテータを選んでいるのか分かりません。

テーマが,世の中の動向にたいして差しさわりのない問題ならいいのですが,原発という深刻な,利害関係者がたくさんいる問題にかんして,

その場の思いつきで語られるのは勘弁してほしい,という印象を受けました。

このような報道番組は,実体としてはバライティー番組となっています。


 こんなことを思いつつ,番組を見るのを途中で止めてしまいましたが,これは少し誰かがどこかで言わなければ,との思いに突き動かされ,

すぐに 購読している毎日新聞の投書欄(「みんなの広場」)にインターネットメールで投書してしまいました。

そして2日後には毎日新聞社から,8月4日の朝刊「みんなの広場」に掲載されることが決まりました,という電話をいただきました。

その時の電話での会話の中で,「想像力を失っているのはコエメンテータだけではなく,日本中が失っているのではないでしょうか」

といったことを担当者の方がおっしゃいましたが,まさにその通りだと思います。

以前,『関係性喪失の時代―壊れてゆく日本と世界』(勉誠出版,2005年)という本を書いた時,

現代社会が失っている重要なものとして,まず人と人,人と自然との「関係性の喪失」,次に「想像力・共感力の喪失」,

そして最後に「物語の喪失」の3つを挙げました。今回のテレビを見ていて感じたのは,まさに想像力が欠落したコメンテータの発言と,

安易な番組作りをしているテレビ局のセンスのなさでした。
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大木昌が思うこと ⑪

2011年07月14日 | 震災について大木昌が思うこと

 電力不足は本当か―疑惑が残る東電・経済産業省の発表― 

 今年の夏も猛暑なので,電力需要も供給能力を上回ることが予想される。

したがって,工場や事業所も個人の家庭においてもできるだけ節電しなければならない,と東京電力も政府の経済産業省も警告している。

なかでも,個人の過程におけるクーラーの使用が電力消費の大きな部分を占めていることも強調されている。

他方,これまで,近年にない酷暑と言われた昨年よりも熱中症の犠牲者が多発している。

すなわち,昨年の6月1日から7月3日までの熱中症による死者は5人,病院に搬送された人は2,704人であったのにたいして,

今年の同期間における死者は19人(約4倍),搬送された人は8,372人(3倍)に達している。

テレビや新聞などのメディアは,これらの犠牲者のうち,65才以上の高齢者が多くを占めていることも指摘している。

このような猛暑の犠牲者の増加には,福島の原発事故以来,原発による電力供給が減少し,

夏のピーク時には電力不足が予想されるため,節電ムードが影響していることは間違いない。


しかし,ここでもう一度,冷静に事態を眺めてみると,電力不足とは本当なのかという疑惑がわいてきます。

このシリーズの 「 それでも原発は必要ですか (2) 」 でも書いたように,過去60年間電力消費のピーク時においても

実際の電力消費が火力発電と水力発電を合わせた発電能力を上回ったことは一度なかったのです。

つまり,原発が無くても発電能力の面では問題がなかったということです。それでは,なぜ原発を稼働させてきたのでしょうか,

さらに,なぜ今年の夏に電力不足,大停電の危険性がことさら強調されているのでしょうか?


最初の疑問は,東電も経済産業省も,原発はやはり必要であること,輸出品としても原発を推進しようとしてきたことで理解できます。

そのためには,原発が必要であるという実績を作る必要があったのです。

それでは,今年の夏に東電をはじめ他の電力会社が電力不足を警告しているのはなぜでしょうか? 

現在の日本の世論は全体的な雰囲気として脱原発に向かいつつあります。

この状況に,もっとも危機感をもっているのは,電力会社ではないでしょうか?

どうやら,本当は電力は足りているのに,あたかも原発がなければこの夏の猛暑は乗り切れないかのような印象を与えようとしているようです。

というのも,東電の場合,夏の当初は発電能力を低く発表していましたが,現在ではこれまで稼働していなかった火力発電所を

次々に稼働させてきたため,ほぼ問題ない状態にまで最大の発電量の水準がかなり上がってきています。

これにはさらに大きな問題が隠されています。

最近の国会でも議論されたように,東電管内でも,さまざまな,いわゆる 「 埋蔵電源 」 があることが分かっています。

「 埋蔵電源 」 とは,東電以外の事業所が発電している電力のことです。たとえば,横浜のゴミ焼却炉では,

その熱を利用してかなりの大きな電力を作っていますし,JRも独自の発電設備で電力を生み出しています。

さらに,熱を大量に使う工業地帯などでは工場の排熱を利用した発電もおこなっています。

東電と経済産業省が発表している,こうした「 埋蔵電源 」 はせいぜい150万キロワットにすぎませんが,

別の試算では1500万キロワットもあるようです。両者の間に,なぜこのような大きな違いがあるのでしょうか?

前者は電力に関するデータを公表していないので,確かなことは言えませんが,電力会社としては,「 埋蔵電源 」が大きくなることは,

自分たちの独占供給体制を脅かすことでもあり,極端に低く見積もっているとしか考えられません。

もし,夏のピーク時に東電の供給能力を超える需要が見込まれるなら,これらの 「 埋蔵電源 」 をその時だけ購入すれば問題はないはずです。

しかし現実には,東電はこれらの 「 埋蔵電源 」 をもつ事業所とそのような交渉はまったく行っていません。

これは,最近になって 「 発送電分離 」 ,つまり発電会社と送電会社を分離しようとする考え方がにわかに注目を集めてきたために,

電力会社としては,何としても電力供給の独占を自ら破るような行為はしたくない,という姿勢を示しています。


今週のテレビ朝日の番組で放映された,テレビ局のスタッフによる東電の新社長へのインタビューでは

さらに衝撃的な発言が新社長の口から飛び出しました。それは,この夏,もし中部・関西地域の電力が足りなくなったら,

東電はこれらの地域に電力を送る用意がある,という発言です。つまり,現在の東電には東電管内を賄うだけでなく,

他の地域に電力を送る余裕さえあることを,思わず言ってしまったのです。

もちろん,この背景には官民挙げての節電効果もあったことでしょう。東電の意図とは別に,節電は良いことだし,

多くの国民がこれまでいかにエネルギーを無駄に使ってきたかを改めて認識しています。

これは,節電すればさらに原発の必要性は低くなることを示しています。

今後の日本にとって,エネルギー政策をどうするかは,経済だけの問題ではなく,日本社会のあり方全体に影響を与える重大な問題です。

「 発送電分離 」 とそれに関連して再生可能な自然エネルギーの可能性も含めて,大胆な方向転換が求められています。

これについては,別の機会にくわしく書こうと思います。
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大木昌が思うこと⑩原発は必要か

2011年06月06日 | 震災について大木昌が思うこと
 
それでも原発は必要ですか(2)

 前回で書き残した問題が一つあります。それは,原発推進派の理由のうち,原発がなければ現実に必要な電力をまかないきれない,

というものです。これまで、電力会社や政府は、日本の全電力の30パーセントを生み出している全ての原発を直ちに止めてしまうことは

現実的ではないと言い続けてきました。とりわけ、総電力の50パーセントあるいはそれ以上を原発に依存している、関西電力、四国電力、

九州電力管内の地域では、直ちに原発を止めると社会的な機能が停止状態になってしまう可能性があります。


それでも原発はどうしても必要なのでしょうか ?

今回は、まずこの問題をもう少しくわしく考えてみようと思います。まず、日本の電力事情をざっとみてみましょう。

1970年(昭和45年)ころまで、日本の電力の4分の3は、化石燃料(石油または石炭)による火力発電、4分の1弱が水力発電でした。

つまり、当時は 火力発電は発電の主役だったのです。それでは現在、発電の構成はどうなっているのでしょうか。

『エネルギー白書』2010年度版によれば、2009年度の発電源別の発電量の構成は、火力発電が計61.7%

(天然ガス LNG=液化天然ガス:29.43%、石炭:24.7%、石油 :7.6%)、原子力発電:29.2%、水力発電:8.1%、

その他の新エネルギー(風力、太陽光、地熱)が1.1%です。この変化からもわかるように、火力発電の割合は75%から60%へと減少し、

その主役は石油、石炭から天然ガスに移っています。水力発電の比重も非常に小さくなっています。


水力発電についていえば、発電量そのものはほとんど変化しませんでしたが、総発電重が増えたため、その割合が相対的に

小さくなったのです。また、、火力の発電量も1970年と比べて3倍近く増加していますが、原子力発電が急増した分、水力発電と同様、

火力発電の割合がその分減少したのです。ここで、前回あまりくわしく説明しなかった水力発電について補足しておきます。

水力発電は敗戦直後の日本の電力をまかなってきました。水力はクリーンであり国産のエネルギーであるという点で有望に見えますが、

これにも問題はたくさんあります。水力発電の場合、ダムの寿命という面が大きく関係しています。

つまり、ダムの発電能力の決め手になるのは、ダム湖の貯水量ですが、年月が経つとダム湖には土砂が溜まり、

貯水量が大きく減少します。これを解決するにはダム湖を浚渫して土砂を取り除くしかないのですが、浚渫には多額の費用がかかり、

土砂で埋まったダム湖を復活させるには新たにダムを作るよりコストがかかるといわれるほどです。

このため、戦後復興期に全国で建設されたダムのうちダム湖の貯水量が大幅に減少し、人工の滝にようになってしまった事例も

たくさんあります。それでは、これからダムを新設するのはどうでしょうか ?

消費地や人が住む地域から遠く離れた山奥にダムを新設するには膨大な時間とコストがかかります。

しかも、発電用のダムが建設可能な適地にはすでにダムができており、これから新たな適地を探すのはかなり大変です。

さらに、ダムを建設するダムに沈む村も出るので、なかなか地域住民の賛同も得られない、という問題もあります。以上の事情を考えると、

自前のエネルギー源としては、できる限り風力、太陽光、地熱、バイオマスなどの自然エネルギーあるいは再生エネルギーを活用する

ということになります。すでに別の箇所で書いたように、十分な人材と資金を投入してゆけば、自然・再生エネルギーの技術開発に

時間はかかると思いますが、将来的には相当の発電力が期待できます。その際、ドイツのように、まず発電会社と送電会社を分け、

個別の家庭や事業所で作った電気を送電会社が買ってくれることが大切な条件です。現在、日本の政府は電力会社を発電と送電の会社に

分離することも視野に入れていますが、9電力会社は猛反対しているので、どうなるか分かりません。


ところで、火力、水力、(将来技術的に発展したと仮定して)自然エネルギーを総動員したら、原発は要らなくなるのでしょうか。

このシリーズで再三登場する広瀬隆氏は、原発の必要性について非常に興味深い指摘をしています。広瀬氏は、電力会社も政府もこれまで、

日本の総発電量の30%近くが原子力によって賄われているのだから、原発は絶対に必要なんだ、と言い続けてきましたが、

実際には1960年代以降、総消費量のピーク時においても常に水力発電と火力発電で必要量をまかなってきたことを、数字で示しています。

したがって、原発がなくなると私たちは電気が使えなくなる、というのは正しくなく、原発が無くても停止している火力・水力発電所を

活動させれば十分必要量を賄えることを明らかにしています。言い換えると、私たちはこれまで、40年以上も政官財と東京大学を頂点とする

学者集団から成る「原子力村」の原発推進派によって、間違った情報を与えられてきたことになります。

以上の主張には若干の説明が必要です。確かに、北海道から沖縄までの総電力消費量でみれば火力と水力の発電量は

実際の消費電力を十分にカバーしてきました。しかし、冒頭で述べたように、9電力会社の原発依存度は異なっていて、関西、四国、九州の

3電力会社関内では原発依存度が50%以上となっています。つぎに、たとえ、東北電力や北海道電力で発電能力に余裕があっても、

交流電気のサイクルが違うので、その電力を関西方面に送ることには限界があります。これらの問題を考慮しても、日本の現状は、

原発を全て止めれば各家庭も産業界も立ち行かなくなる危険性は、一般に言われているよりずっと少ないと言えます。


ところで、原発推進派も反対派も大切な点を見逃しているように思えます。原発を推進してきた人たち,とりわけ研究者や

原子力産業の人たちには,戦後日本の経済成長と豊かさを根っこのところで支えてきたのは原発があったからだ,という強い自負があります。

したがって彼らは、さらなる経済発展と快適さを享受するためには原発を維持し、できることならさらに多くの原発を建設すべきだと考えます。

他方、原発反対派の人たちも、原発を無くして、その減少分を火力(とりわけ天然ガス)で補い、さらに不足分を自然・再生エネルギーで

満たそうと考えています。この背景には、経済成長と生活の便利さを維持することを前提として、それに必要な電気を原発から確保しようという

欲求が無意識のうちにあるように見受けられます。しかし、このような展望を持っている限り、エネルギー問題はなかなか解決の方法を

見い出せないでしょう。おそらく、これからの日本に必要なことは、電気も含めていかにしたらエネルギー消費を少なくするかという方法と

その意識ではないでしょうか ? 石炭や石油、天然ガスなどの資源が現在のところ豊富にあったとしても、それらは未来の人類が使うべき

資源でもあるのですから、今、生産可能だからといって使いたい放題使ってもいいというわけにはゆきません。

エネルギーというのは、供給量を増やせば増やした分、消費量も増えます。このことは、これまで私たちが便利さや快適さを求めて、

次から次へと市場に登場する電気製品を買い求めてきたことを考えてみればすぐにわかることです。


また、思わぬところに問題が潜んでいる場合もあります。たとえば、クリーンで環境に優しいと考えられている電気自動車にしても、

その場では排気ガスを出さなくても、別の場所で石炭や石油を燃して電気を作っていれば、排気ガスを出す場所が移っただけです。

石油の消費という面では、むしろガソリンを直接に燃料として自動車を動かした方が効率的かもしれません。

日本中の自動車が電気自動車になったら、空前の電力不足が発生するでしょう。まして、電気自動車の普及が原発の必要性を高める

としたら、それこそ問題外です。したがって、これからは、自動車に乗らないライフスタイルに変更するかが大切な課題となるでしょう。

電気製品の場合、いくら省エネ化の技術が進んだとしても、そこで浮いた消費電力を他の電気製品のために回すとしたら、

電力の総消費量は変わりません。おそらく、将来の日本にとって大きな課題は、産業界における省エネ化でしょう。


日本は「物造り」で経済を成り立たせてきました。鉱物資源がほとんどない日本は、たとえば鉄鉱石を遠くから輸入し、

それから製鉄、加工して車などを生産してきました。この過程で膨大な電気その他のエネルギーを消費します。

他の製造業にしても同じです。将来のエネルギー事情を考えると、エネルギー多消費型産業から、技術集約的、

ソフト重視型産業への転換に迫られるでしょう。


結論を先取りして言えば、いずれにしても私たちの経済と生活は、原発の無いエネルギー水準に合わせてゆくほかはありません。

それは今よりずっと質素な生活になることを意味します。将来の問題は、これまで使いたい放題エネルギーを使ってきた私たちが、

ライフスタイルを急速に変えることができるかどうかにかかっています。

このように、今回の福島の原発事故は、私たちの経済社会の在り方を根本的に考えなおすきっかけとなったといえます。
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大木昌が思うこと⑨原発は必要か

2011年05月17日 | 震災について大木昌が思うこと

   それでも原発は必要ですか?

 福島第一原子力発電所の原発事故に関して,一見,解決に向かったかにみえましたが,最もコントロールがうまくいっていたと思われていた

第一号炉が,実は炉心の溶融(メルトダウン)を起こしていたことが,分かりました。

そして,5月16日には,他の原子炉にもメルトダウンが生じている可能性があるとの見解が示されました。

福島の原発事故がいつ終息を迎えるのか,現段階では見通しがつかなくなってしまっています

他方,菅首相は,東海地震の発生地域の中央に位置する浜岡原発については,全ての発電機を差し当たり2~3年間止めるよう要請し,

中部電力は苦渋の決断としてこの要請を受け入れました。この結果,5月14日現在,浜岡原発の全ての原子炉は止まっています。


自民党の山本一太氏は,これは菅首相のパフォーマンスに過ぎない,と発言していました。
 
これに対して静岡県知事の川勝氏は,今回の首相の要請は英断であり,こういう発言をする人の品性を疑う,とコメントをしています。

私もまったく同感です。このようなコメントしかできないところに,現在の自民党の政治的な貧しさが如実に表れています。

原発を半世紀にわたって推進してきた自民党の反省がまずあり,そのうえで現政権にたいする批判なり提言があってしかるべきでしょう。

確かに,今回の首相の「要請」は異例であり,津波対策が完成したら,原発を復活させることが暗黙のうちに了解されているようではあります。

しかし,一旦止めた原発をもう一度動かす際には,国民的な反対が起こることも予想され,簡単ではないでしょう。

何よりも,原発が初めて政治的に止められた意義は非常に大きいといえます。私は,原子力発電そのものを

全世界で廃止すべきだと考えています。その理由は後にのべますが,その前に原発を維持・発展させようとしてきたし,

今も推進すべきだと考えて離れる人たちの主張を見てみましょう。


  原発推進派の理由 

原発推進派の論拠は,おおよそ以下の6つに集約できます。

1)日本はエネルギー資源を石油に依存することはできないから,必要な電力を賄うためには原発を推進せざるを得ない。

  これは日本の経済を維持するために絶対必要だ。

2)つぎに,原発は発電コストが火力や水力,さらには再生可能な自然エネルギーより安い。

  これについてはすでに,このシリーズの「福島原発事故の背景と意味―③原発を推進した背景―」説明したように,

  原子力発電はむしろ他の発電方法よりも発電コストが高くついています。まして,これからの放射能廃棄物処理や

  原発の廃炉コストなどを含めると,むしろ非常に割高になります。

3)原発は,たんに国内の電力需要を賄うためだけでなく,将来的には輸出産業の目玉としても重要である。

4)原発以外の自然エネルギー(太陽光,風力,バイオマス,地熱,潮力などなど)は技術的にも未発達で,

  将来的にも日本の電力需要をまかなうことはできない。

5)原子力エネルギーは火力発電のように二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーであり,地球の温暖化を防ぐ切り札である。

6)原発の技術は進歩しており,地震や津波その他の自然災害にたいする安全性は高まっている。

以上の他にもまだまだ原発推進の理由はあるかもしれませんが,主な理由は上の6つくらいでしょう。

これらの理由のうち,2)については上に述べたとおりです。

4)の自然エネルギーについては,確かに現段階では原子力や火力発電に代わって電力供給の重要な一角を担うことはできませんが,

将来もできないとはいえません。というのも,日本政府はこれまでエネルギー政策として一貫して原発を推進してきたし,

そのための研究開発に多くの予算を投入してきました。反対に,自然エネルギーの開発には予算も人員もつぎ込んでこなかったのです。

もし,1960年代の高度経済成長期から,この分野の研究開発に力を入れていれば,現在までにかなりの技術開発ができていたと思われます。

政府は,その時々にもっとも安上がりと思われるエネルギー源(最初は石油,後に原子力が加わる)を利用すればよく,

敢えてコストがかかり効率の悪い自然エネルギーの開発に踏み出す必要はない,という発想に支配されていたのです。

5)原子力発電が二酸化炭素を排出しない,という理由だけでクリーン・エネルギーであると主張するのは,

現在の放射能汚染の実態をみれば,あまりに非現実的で馬鹿げているといわざるを得ません。

つまり,この主張には,「もし事故さえなければ」という条件がつくのです。しかし,事故がないという保証はどこにもないのです。

6)の原発の安全性については,今回の福島第一原子力発電所の事故によってまったく信用できないことが証明されてしまいました。

『東京に原発を』(1986年 集英社)を書いた広瀬隆氏の『眠れない話―刻々と迫りくる日本の大事故―』(1988年 八月書館)によれば,

こうした自然の大災害がなくても,実は原発の現場では絶えずさまざまな事故や故障が起こっています。

どれほど設計上は完璧な仕組みになっていても,無数の配管の一部に亀裂が入ったり,はずれたり素材が腐食したり

という故障や事故―これが大きな事故につながることもあり得る―は避けられません。さらに,設計上,あるいは機械的には完璧であっても,

原発を運転・操作するのは人間ですから,人為的なミスをゼロにするのはほぼ不可能です。確かに,設計上は,何らかの異常が発生しても

それを検知して直ちに問題を解決できるようになっているのかもしれません。しかし,現実に,旧ソ連のチェルノブイリ事故にしても

アメリカのスリーマイル島の事故にしても,機械的な故障に人為的なミスが重なって,あのような大事故になったのです。

人間による「想定外」のミスは常に起こりえるのです。
 

以上みたように,原発を推進する理由としては,1)と3)ということになります。つまり,火力発電の燃料となる石油の確保は,

これまでの歴史が示しているように石油危機のような国際情勢の変化によって不安定になることがしばしばありました。

また,中国やインドなど開発途上国の経済発展にともなって石油需要が世界的に高まることは確実です。

さらに,石油の埋蔵量にも限りがあって,あと40年しかもたないというようなことが言われています。

石炭や天然ガスも,日本が必要なだけ安定的に確保できる保証はありません。

このように考えると,原子力に頼ることには,それなりの合理的な根拠があるように見えます。


しかし,ここに大きな落とし穴があります。原子力発電の燃料はウランですが,ウランの安定的な確保は,

ある意味で石油より難しいかもしれません。ウランの埋蔵はオーストラリアがもっとも多く,世界の40%を占めていますが,

採掘・生産には政府の規制がかかっています。ウランの需給は1990年以来,ずっと需要が供給を上回っており,

2004には生産量が4万261トンに対して消費量は6万7450トンと,大幅に消費量が生産量を上回っています。

両者の差は,今までのストックの放出(特にロシアから)や核兵器の解体,再生処理から得られるウランなどによって賄われていました。

しかし将来は,インド,中国が原子力発電に乗り出すことがはっきりしているので,ウランの入手はさらに困難になると思われます。

現在の試算では,2025年にはウランの消費量は8万2000~10万1000トンと予想され,生産量は現在の倍になっても必要量は賄えません。

いずれにしても,原子力発電の燃料確保は石油,石炭,天然ガスよりも安定している,とは言えないのです。


では,輸出産業としての原発はどうでしょうか。日本はすでにベトナムと原発の施工を受注していますが,

今回の原発事故ではたして他の国が日本の技術を信用するかどうかは分かりません。

それよりも,もし,原発を輸出産業として成功してしまうと,さらに恐ろしいことになります。

というのも,次に述べるように原発の増加はそれだけ,地球上に放射能と核の危険を拡大することになるからです。


 すでに書いてきたように,一旦原子炉を稼働させると,事故の危険性は避けられません。

そして,事故が起これば原発の近くに住む人たちはそこに住めなくなり,根こそぎ生活を奪われてしまいます。

これはチェルノブイリでも福島の事故でも同じです。さらに,放射性物質は大気圏に放出されて国外にも飛散してゆきます。

例え事故がなくても,原発には多くの問題があります。原発を稼働させる過程で,膨大な使用済み核燃料が発生します。

それには原発で使用された衣服や道具などの低レベルの廃棄物と,使用済み燃料棒のような高レベルの廃棄物があります。

低レベルの廃棄物は2009年末までに200リットル入りのドラム缶で60万8500本,毎年2万4000本の割合で増えています。

また,高レベル廃棄物はウランとプルトニウムを除いた再処理をしたあと,ガラス化固体にされてキャニスターと呼ばれる容器に入れられ,

30~50年間保管されたのちに,地下300メートルの格納場所に収めら得ることになっています。

現在,このようなキャニスターが1万6600本あります。しかし,これらは,まったく無害になるまでに数万年かかります。

つまり,実際には永久の封じ込める必要があります。現在,地元の住民の反対で,世界のどこにも最終処分場はありません。

このため,原発は「トイレのないマンション」と言われるのです。


最近,日本とアメリカがモンゴル政府と,原発の技術提供と引き換えに両国の放射能廃棄物の最終保管場所をモンゴル側が引き受ける,

という契約を密かに進めていたことが発覚しました。しかし,福島の事故が起こったため,この契約は現在まで成立していません。

したがって日本はこれから原発を稼働させればさせるほど,行き場のない放射性物質を貯め込むことになるのです。

同様に,「廃炉」が決定している原子炉も,最終的にどのように処分するのかも決まっていません。今のところ「廃炉」とは

運転の中止という意味であって,高濃度の放射能に汚染された炉や建物などを無害にしてどこかに移す技術はないのです。


さて,原発のもう一つの大きな危険性は,核兵器との関係です。ウランを燃料として核分裂反応を起こして発電した後に,

使用済燃料棒のなかに残されたウランと,発電の過程で抽出されたプルトニウムを取り出す再処理が行われることは

上に述べたとおりです。ここで問題なのは,プルトニウムの存在です。プルトニウムはまず,きわめて毒性の強い放射性物質であり,

半減期が2万年以上と長期にわたる危険,極まりない物質です。さらに問題なのは,プルトニウムは核兵器の原料でもあるという事実です。

日本は原子力の平和利用を公約しています。しかし状況によっては,日本あるいは他の国が,原発で生まれたプルトニウムを使うようになる

可能性もあるのです。いずれにしても,核兵器の原料になるようなものを作ってしまう原発は,なくす方向で考えるべきだと思います。


このように考えると,原発事故の危険と核拡散の危険をもった原発を輸出産業の目玉にしようとの考えが,

いかに目先の利益に突き動かされた,思慮の足りない危険な方針であるかが明らかになります。


それでは,全電力供給の3割近くを担っている原発をなくしてしまうと,私たちの生活はどのように維持できるのでしょうか?

あるいは,社会の構造や生活のスタイルをかえなければならないのでしょうか?

これらについては次回に書きたいと思います。
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大木昌が思うこと⑧原発事故

2011年05月13日 | 震災について大木昌が思うこと

原発報道のあり方と私たちの対応 ― 正しく恐れよう ―  


原発事故が発生させた放射能物質に関するニュースに毎日接していて,私たちは、一方で常に気持ちのどこかで危機感と緊張から

解放されない日々を送っています。しかし他方で,原発事故から2カ月も経つと次第に慢性化し,危機意識の感覚が麻痺している面もあります。

耳にタコができるほど聞かされている,シーベルト,ミリシーベルト,マイクロシーベルト,ベクレルなどの単位にたいしても,

いちいち気に留めなくなっているのではないでしょうか。


 ところで,テレビや新聞で報道されている放射能の危険性についての評価は,同じ状況にたいしてもしばしば大きく異なっています。

最近では政府や電力関係者,学者だけでなく,評論家と称する人たちからテレビ・タレントまで,放射能についてさまざまな意見を

述べるようになりました。一見,私たちは放射能の危険性について十分な情報をもっているかのような印象をもっていますが,実は,

数字そのものではなく重要なことは、それらの数値が私たちの暮らしに短期的あるいは長期的にどのような意味をもっているか,という点です。


たとえば,今問題となっている,小学校などの校庭の放射線量を考えてみましょう。

現在の暫定的な基準値は1~20ミリシーベルト( 1年間の累積被爆量 )となっていて,政府は20ミリシーベルトを一応の上限としています。

これに対して,政府の基準値はとんでもなく高すぎる,と批判する専門家はたくさんいます。これらの専門家は,幼児・小児の場合,

放射能の健康被害は大人の8~10倍にもなるからだ,と主張しています。

一般の人の年間被爆線量は1ミリシーベルト以下に抑えるのが理想ですから,20ミリシーベルトという上限は高すぎます。

政府も当初は校庭における被爆量の上限を10ミリシーベルトとしていたのに,途中から倍の20ミリシーベルトに上限を引き上げ,

ここまでなら健康被害はないと宣言しました。しかしなぜ,引き上げたのか,その根拠は明らかではありません。

もし,10ミリシーベルトに設定すると多くの小学校で校庭が使えず,最終的には小学校の校舎そのものも放棄して,

他の安全な地域へ疎開する必要も生ずるでしょう。

そうすると,子どもたちの親も疎開することになり,それはまた別の大問題を連鎖的に引き起こします。

ひょっとすると政府はそのような問題を考慮して20ミリシーベルトに引き上げたのかもしれません。

さらに,これは体の外部に付着した放射能物質の被爆,つまり外部被爆量であり,微小な塵として吸い込み体に取り込まれた内部被爆量は

無視されています。内部被爆の健康被害は外部被爆よりはるかに強烈であることは間違いありません。

これらを総合して,どれほどの被爆線量がどれほど危険であるかを判断する必要があります。


ところで,放射線の被爆量と健康被害との関係については,これまでのところ,これだけの被爆量でこのような健康被害が出るという

科学的な因果関係がわかっているわけではなく,たとえば10万人がこれだけの被爆量で癌になる人がどれだけ増えるかという

統計的な確率を示しているにすぎません。このことが,危険度にかんする評価の違いを生み出しているのです。

もちろん,そうはいっても,たとえば1000ミリシーベルトというような高い数値の被爆量になれば,かなりの確率で健康被害どころか

命にかかわることはいうまでもありません。放射線の影響を厳しくみるか緩やかにみるかによって,その危険性は非常に違ってきます。

マスメディアは,政府や個々の学者,国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)などさまざまな機関や専門家の解釈を

そのまま流しているだけで,見ている方は混乱するばかりです。また,同じ政府機関であっても,たとえば小学校の校庭の放射線量に関しては

文部科学省が基準値を設定し,避難地区の線引きに関しては首相官邸が,という風にそれぞれの趣旨に応じて設定主体がことなります。

これはある程度避けられません。なぜなら,避難区域の設定と,校庭の放射線量の基準とで目的が違うからです。

そして,それぞれの立場の人や機関は,自分たちこそが正しい評価をしていると主張しています。

結局のところ,最終的には私たち個人個人が判断するしかないのです。


たとえば自分はもう東北,あるいは関東圏から関西より西に避難すべきだと考える人は引っ越しすればよいでしょう。

あるいは,関東圏でも100キロ以上離れているから大丈夫だと思えば,そこに住み続けることも自由です。

その判断はたしかに難しいかもしれません。しかし,自分や家族の命を守るためなのですから,判断材料になる事柄は

自分でしっかり勉強しなければなりません。


ところで,放射能の危険性について二つ補足しておきます。

まず,今回の原発事故で,私たちは改めて放射能被爆にたいして警戒的になっていることは必要なことでもあるし当然でもあります。

そうあれば,原発だけでなく,たとえばレントゲン写真やCTなどにも注意すべきです。

CTにいたっては,1回の撮影で6900マイクロシーベルト(6.9ミリシーベルト)の放射線を浴びます。

また,1回のレントゲン撮影でさえ500マイクロシーベルトの被爆になります。

慶応大学医学部の放射線科の近藤医師は,医療現場での放射線被爆がもたらしている健康被害,特にガンの発生との関連について

常に警告を発してきました。現代の日本では,2人に1人が死ぬまでに一度はガンに罹患し,3人に1人はガンで死亡しています。

この事実と医療用の放射線被爆とどの程度関係しているか分かりませんが,まったく無関係だともいえません。


実は昨日、私は職場で年に一度義務付けられている胸部レントゲン写真を撮りました。

しかし,何の症状もないのに,毎年,レントゲン写真を撮る必要があるかどうか,私は疑問に思っています。

同じことは,胃のレントゲン写真についても言えます。さらに,健康との関連でいえば,喫煙,受動喫煙にも神経質になるべきでしょう。

つぎに,過剰に警戒的になっていることにも注意が必要です。

被災地から避難してきた小学生が,転校先の学校で“放射能”と呼ばれていじめられたことなど,論外です。

しかし大人の世界でも,風評被害が広く蔓延しています。基準値をはるかに下回る放射能しか検知できなかった農産物でも

福島産というだけで,消費者が買わなくなる傾向があります。これも正しい判断とは言えないでしょう。

福島で原発事故が起こった少し後で,アメリカの西海岸地域では,放射性ヨードによるガンの発生を恐れてヨード錠を買いあさった人が

かなり多くいたそうです。同じことはオーストラリアでも起こりました。このような情報に接すると私たち日本人は,

アメリカ人やオーストラリア人は何と馬鹿げた行動をとるのだろう,と思ってしまいます。

また,現在では日本であれば沖縄でさえ訪問を控えるという外国人もたくさんいます。

しかし,これも上に述べた風評被害と同じ心理です。私たちは,事態を正しく認識し,正しく恐れる必要がありそうです。


終りに,原発報道に関して,ちょっとびっくりするような記事を目にしましたので紹介します。

私は個人的にかなり信用しているフリーのジャーナリスト,上杉隆氏が「50キロ規制 自分の身だけを守る卑怯な記者たち」

という記事を書いています(『週刊文春』2011年5月5・12日合併号,37ページ)。

それによると,枝野官房長官が4月21日に,福島第一原発から20キロ圏内を「警戒区域」に設定したことにたいして,

朝日新聞(4月22日付け)は,半径20キロという広範囲な生活圏を対象に退去を強制する措置は極めて異例,と批判した。

しかし,その実朝日新聞の記者は,「内規」によって50キロ圏内には入らないことになっていた。またNHKの記者も捜索活動のビデオを

地元のフリーの記者に頼み,それを40キロ離れたところまでわざわざ届けさせられたことをツイッターで書いている。


杉浦氏が調べたところ,確かに「内規」は存在していたようです。それによりますと,NHKが40キロ,朝日新聞が50キロ,時事通信が60キロ,

民法各局が50キロ圏外に社員は退避と定めています。現在は「内規」がそのまま実施されているかどうかは分からりませんが,

このような内規が少なくともかなり最近まで適用されていたことは事実です。危険性の高い場所で取材をしていたのは,フリーや雑誌の記者,

海外メディアばかりだそうです。大手のメディアは責任ある報道をするなら,自社の社員を派遣すべきだし,それができないなら,

自分たちでできないので,第三者に依頼したことをはっきりと出すべきではないでしょうか。

私たちは無意識のうちには,大手のメディアの報道であるから信じている面があると思います。

もし,このような重大な出来事に関して「誰に頼んでも,映像やルポは事実だから」と考えているとしたら,

それはジャーナリズムの精神に反する大きな感ちがいです。どのような映像をどんな視点で撮るか,という点が大事で,

それはメディアの報道姿勢と深く関係しているからです。インタビューにしても,誰に何を聞き出すかも同様に,

メディアの報道姿勢にかかわります。大手メディアのこうした実態を考えると,私たちは,NHKだから,とか朝日新聞だから,

という風に安易に信じることはできないという気持ちになります。

やはり,自分で情報を集め,人の意見にも目を通したうえで,最終的には自分で判断するしかないようです。


  次回は「 原発は本当に必要か 」について書く予定です。
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大木昌が思うこと⑦福島原発

2011年05月04日 | 震災について大木昌が思うこと
福島原発事故の背景と意味 ― ④ 原子力管理体制の問題 ―


原発の管理体制

 前回も書いたように,日本の原発管理体制がどうなっているかは,今回の事故への対応を考える上でも重要な問題です。

とりわけ,地震発生の直後に管理体制がどのように機能したのかしなかったのか,はその後の展開に非常に大きな影響を与えました。

日本の原子力発電の管理は大きく二つの組織が担当しています。一つは,経済産業省の中の「原子力安全・保安院」(保安院と略す)で,

今回の福島の原発事故に関する政府の対応をテレビで説明している西山氏はこの組織の官僚です。

したがって,この組織は原子力の専門家集団ではなく,むしろ産業の振興という観点から原子力をいかに安全に活用するかを考える

経済官僚機関です。西山氏も,つい最近まで貿易交渉を担当していた人物です。 もう一つは「原子力安全委員会」です。

この委員会は内閣府直属で,国会の同意を得て内閣総理大臣が任命する5人の委員から成っています。

その下に,60名から成る「原子力安全専門審査会」,40名から成る「核燃料安全専門審査会」,

40名から成る「緊急事態応急対策調査委員会」,そして,必要に応じで招集される250人を擁する14の専門部会があります。

以上総勢395名が原子力の安全にかかわる専門家集団を100名の事務局スタッフが支えています。

この原子力安全委員会こそ原子力に関する科学技術的な面での中枢といっていいでしょう。


 制度的には,保安院と原子力安全委員会原子力の安全に関して二重にチェックする体制をとっています。

しかし、保安院は経済産業省という官僚機構の一部であり,いわゆる原子力の専門家集団ではありません。

そこで,原子力安全委員会が専門家の立場から保安院にアドバイスを与えることになっています。


「原子力村」

 原子力発電所は,上に書いた国の管理体制のもとで,東電の原子力部門によって運営されます。この原子力部門を中核として,

原子力発電に利害関係をもつ官僚,政治家,学者など,政・官・財・学は「原子力村」とよばれています。

その「原子力村」では「身内でしか理解できない原子力用語で会話し,他の論理や価値観を認めない,閉鎖的な世界」
(『週刊新潮』5月5・12日合併号:48ページ)です。

原子力村はたんに閉鎖的であるだけでなく,経済産業省から電力会社への天下りや研究費の配分などの利害関係を通じて

緊密に結びついています。日本の原子力行政は,過去50年にわたって,原子力村の堅い結束力と,

そこでの「なれ合い」によって運営されてきたと言えるでしょう。

現在,この原子力村の村長ともいうべき人物は,東電の原子力・立地本部長の武藤栄副社長です。

ここで,注目すべきことは,原子力村は東京大学を頂点とする人脈によって構成されていることです。

東電の実質的な頂点に立つ勝俣会長は東大経済学部出身,武藤氏は東大工学部原子力工学科卒,

原子力安全委員会の委員長の斑目春樹氏は東大工学部を卒業し旧東芝に入社後,東大工学部の教授に就任し,

昨年から委員長に就任しました。ちなみに,原子力安全委員会の5人の委員のうち3人が東大卒です。


 飯田哲也氏は早くも1997年の『論座』2月号において,「原子力村の解体と市民社会の再構築~『不毛な対立』から『希望の未来へ』」

(この文章はhttp://trust.watsystems.net/ronza.html でも見られます)

と題する文章で,原子力村の排他性と独善性を批判し,その解体を提唱しています。50年もの間に築き上げてきた原子力村の

「鉄の結束」の構造を一挙に解体するのは困難かもしれませんが,この体制を根本的に変えない限り,今回の福島の事故と同様の問題が

他の原発で起こった場合,私たちは安心できません。原子力を含めたエネルギー問題を,市民の手に取り戻すためには,

市民自身がこれらの問題について勉強する必要がありそうです。


福島の原発事故と直後の対応

 原発事故のように甚大な被害が予想される事故の対応は,初動がカギとなります。今回の事故に関して,3週間ほど経ってからようやく,

事故直後の政府や原子力安全委員会の対応が明らかになってきました。

これは,今後の原発事故にたいする対応を考える上で重要な問題を明らかにしてくれています。
 
 
 まず,ごく簡単に地震発生時からの状況をドキュメント風に確認しておきます。

地震発生の3月11日15:46には稼働中の1号機から3号機は自動停止し、この時点では原発の計器類は異常なしを示していた。

外部からの送電は止まったが,非常用ディーゼル発電機が作動して原子炉内の冷却が始まった。しかし,その後に起こった津波により,

原発に冷却水を循環させる非常用ディーゼル発電機13台のうち12台が津波で使用不能になり,16時36分には1号機,2号機とも

炉心冷却装置への注水が不能となった。 3月12日0時49分,1号機での格納容器圧力の異常上昇が確認された。

官邸は経済産業相の名前で3時05分,ベントの指示を出した。ベントとは,高温になった屋内に発生した水蒸気や水素を

外部に逃がす処置で,これは同時に放射性物資を外部にまき散らしてしまう。しかし,緊急時に爆発を防ぐ一つの方法でもある。

しかし,保安院は,実施するかしないかは,一時的には東電が決めること,という姿勢を変えなかった。東電はベントを行わなかった。 

6時:14分,菅首相,ヘリで原発・被災地視察に出発。 10時10分1号機でベント開始。しかし,15時36分,1号機で水素爆発が発生。

この爆発以後,原発近くに近づくことができず,事態は悪化の一途をたどった。

14日には3号機でも水素爆発が起き,15日には2号機の原子炉格納容器内で爆発音がし,同容器を破損したとみられる。

 
 さて,以上の経過を念頭において,東電,政府,保安院,安全委員会がどのように動いたかを見てみましょう。
 
3月11日の地震発生時,東電の勝俣会長は中国,清水社長は出張先の関西から帰京できず,東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

一方,官邸では保安院は東電からの見立てに基づいて「原子炉は現状では大丈夫です」と報告した。

東電がまったく指示に従わなかったことに対し,首相は「東電はなぜ指示に従わないのか」と東電への不信感を募らせる。

夕方,首相を訪れた,原子力安全委員会の斑目委員長は「外部に放射能が出るような事態にはなっていない。

電源に問題があるというだけで,連鎖反応は完全に止まっている。あとは冷やすだけ」
と楽観論を伝えた。

首相は午後5時,国民に向けて「これまでのところ外部への放射性物質の影響は確認されていません」

というメッセージを発表した。委員長の意見を踏まえたことは明らかだった。(『毎日新聞』2011年4月10日)。
 

しかし,事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。公邸にいる信子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。

東大を頂点とする原子力村の学者ではなく,信頼できる母校の学者に意見を聞くためだった。

結局,自らが現地に行かないと事態の改善は望めないと判断した首相は,午前2時,ヘリで現地に行くことを決め,

6時過ぎにヘリで現地に赴く。このとき,同行したのは原子力安全委員会の斑目委員長だった。

斑目委員長は機内で「総理,原発は大丈夫なんです。機構上爆発しません」と伝えた。

安全委員会の数百人の専門家を率いて,原発の安全性をチェックする機関の最高責任者である斑目委員長の言葉である。

視察から帰った首相は周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。(以上,『毎日新聞』2011年に4月4日)
 
1号機でベントを開始したのはようやく10時17分のことであった。しかし,上に書いたように,同日の午後には水素爆発が起こってしまった。
 
後に斑目委員長は取材に「自分の不明を恥じる」と述べたうえで「その備えが足りなかった」と言った。

原発に携わる科学技術のトップによるあまりに軽い言葉に愕然とする思いです。

さらに彼は,「11日夜の時点で炉内の蒸気を原子炉格納容器内に逃がし,消火用の配管から海水を注入していれば,

燃料溶融には至らなかったかもしれない。東電も当初から海水注入を決断していたが,実際の作業に手間取ってしまった。」


と振り返っています。しかし,ここには大きな疑問が残ります。海水を注入すれば,その原子炉は使えなくなり,廃炉にせざるを得ません。

原子力村の村長である東電の武藤副社長は,原発への海水注入に及び腰だったと言われている。少なくとも彼は,海水の注入をせず,

手をこまねいていたことは確かです。1基3000億円以上もの建設費がかかる原発をみすみす廃炉にするのは忍びなかったのか,

あるいは,すぐに海水を注入しなくても,何とか事態を収めて廃炉を免れる道をぎりぎりまで探っていたのかは,分かりません。

もし,初期の段階から海水を注入していれば,炉心や使用済み燃料プールの温度上昇,したがって爆発の回避に大きく貢献した可能性は

あります。以上の他にも,今回の原発事故をここまで深刻にした理由はたくさんあるでしょう。

「政府の対応が後手後手にまわったから」というマスメディアの報道にも一理あると思います。

ただし,具体的に政府の対応のどこが後手後手で,いつ何をすればよかったのかを,ひとつひとつ検証して報道してほしいとは思います。

そうでないと,今回の事故から私たちは有益な教訓を得ることはできないからです。


安全神話の崩壊

原子力安全委員会のアドバイスを受ける保安院の西山英彦審議官(テレビで保安院を代表して報告している人物。彼も東大卒)は

「原発は(放射能物質が漏えいしないように格納容器など)五重の壁があり,絶対大丈夫だと思ってきたが,

こういう事態になった。すべてのことを見直す必要がある」
と述べた。

「五重の壁」があるから絶対安全,という言葉は,過去50年にわたって,東電や原発推進派が

原発を建設する際に地元や国民に言い続けてきたキャッチ・コピーです。

地震も津波も天災ですが,絶対安全という「安全神話」は人間が作り上げた観念です。

このような,神話はどのようにして作り上げられたのでしょうか?


原子力安全・保安院の寺坂信昭委員長は昨年5月の衆議院経済産業委員会で答弁に立ち,

「最悪の事態が,ほとんどもうあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしている」と述べています。

東大経済学部出身の彼が原発の科学技術的な安全性を自分で判断できるとは思われません。

これは,東電,原発を推進する産業界の要望に応えて,原子力村の学者グループ(原子力安全委員会)が

何らかの科学的なお墨付きを与えてきた結果として作り上げられてきたものと思われます。

しかし,今回の事故で,「安全神話」はやはり「神話」であって,事実ではないことが明らかになりました。神話は崩壊したのです。

地震と津波の大きさが想定外で,原発の非常用ディーゼル発電機が流されることも想定外で,そのため水素爆発が起きることも想定外だった,

と片付けてしまうには,今回の事故はあまりにも犠牲が大きすぎます。


安全神話が崩壊した今,地震や津波と同様,原発にも「想定外」の事態は十分に起こり得るという前提のもとに

全ての準備をしてゆく必要があります。そして私たちも,このような安全神話を簡単に信じないよう,自分で判断する必要があるでしょう。


次回は,原発報道の在り方と,私たち個人個人の対応について考えてみたいと思います。
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大木昌が思うこと⑥福島原発

2011年04月28日 | 震災について大木昌が思うこと
福島原発事故の背景と意味 ― ③ 原発を推進した背景 ― 

前回の最後に,次回は原発事故の背景を検証する,と書きました。ここでいう「背景」とは,今回の事故の直接的な背景という意味だけでなく,

もう少し長い時間の幅の中で,原子力行政という側面も含めた背景という意味も含みます。まず,現在稼働している原発はいつごろから,

どんな理由や経緯で建設されてきたのか,いわば原発の歴史的背景を振り返ってみることから始めたいと思います。

歴史を振り返ることはとても回り道のようではありますが,今回の事故の直接・間接的な原因を,より深く理解するためにも是非,

知っておいた方が良いと思います。そうは言っても,私自身は原子力の専門家ではありません。以下の説明のうち数字や事実経過については

本,新聞,雑誌,インターネットなど,だれでも見ることができる,ごく一般的な情報源から得られた内容を参考にしています。
 

原発増加の背景と経緯

現在稼働している原発は54基(ただし今回の地震で福島の第一原発6基は使用不能)ですが,日本で最初に稼働した原発は茨城県の

東海村の1号炉で,1961年に着工し,1966年から稼働し始めました。

ここで興味深いのは,この原子炉の建設が政府によって正式に認可されたのは1959年12月というタイミングです。

1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれていることからも分かるように,当時の日本は戦後復興から新たな経済成長への道を

進み始めようとしていました。 政治的には安保条約によりアメリカの軍事的傘の下に入り,経済成長に没頭する方向に舵を切ろうとしていまし

た。この方針を実現するために政府は日米安全保障条約(通称「安保」)を改定しようとしていました。

この改定をめぐって翌1960年には国論が二分され,いわゆる「60年安保」と呼ばれる反安保闘争が全国で吹き荒れていました。


以上の大きな政治経済の転換期に,原発の建設がひっそりと決定され,着工されました。

1960年代といえば,日本の電力はおもに石油・石炭を燃料とする火力発電と水力ダムによって賄われてきました。

しかし,将来の電力需要の増加を見越して,原発の推進に踏み切ったのです。

もちろん,唯一の被爆国として原発に対する反対はありましたが,当時の騒然とした空気のなかで原発の問題はかき消されてしまったのです。

そして,原発は既成事実として根をおろし,その後,高度経済成長期を経て今日まで原発は増え続けてきました。


その経過をおおざっぱに見てみましょう。原発は着工から稼働までおおよそ5年かかることを考えると,時代背景が一層はっきりします。

原発は1960年代の後半から全国で建設が始められ,1970年代の前半に6基,後半には12基の計18基が一気に稼働し始めました。

そして圧巻は1980年代の原発ラッシュで,この10年間に25基が稼働を始め,1990年代に10基が新たに稼働し始めました。

70年代後半から稼働を開始した原発が急激に増え始めたのには理由があります。

経済成長の道を驀進していた日本に黄色信号が点滅したのは1973年の第一次石油危機でした。

エネルギーの大半を石油に依存していた日本は,直ちに他のエネルギー源を確保することに追い込まれました。

70年代後半に一気に12基もの原発が稼働し始めたのは,このような背景があったからです。

そして1979年には第二次石油危機に見舞われました。これも原発の建設に拍車をかけ,1980年代の原発ラッシュを生んだのです。

原発の建設は,1990年代にも続き,10基がこの期間に稼働し始めました。

ちなみに今回問題となった福島の第一原発の1号機は1966年に着工し1971年から稼働しました。首都圏の電力需要をまかなうため,

早い時期から建設が進められたのです。 以上の経過から,日本の原発は,高度成長を支えるエネルギーの供給源として建設が進められ,

それは二度の石油危機を契機に加速したといえるでしょう。こうして現在では日本の総電力発電の30%ほどが原発によるものです。

輸出立国を目指してきた日本の産業界にとって電力はいくらあっても多すぎることはなかったのです。


しかし,ここで忘れてならないのは,「もっと電力を」という欲望は,何も政官財だけではなかったことです。

日本人の多くは洗濯機,掃除機,冷蔵庫,テレビからエアコンなど,次々に登場する電気製品を買い,快適な生活を追い求めてきました。

最近では電気の館といってもいい,電力消費がきわめて高いオール電化の家が急増しています。

2002年には東京電力管内で1万3000戸だったオール電化の戸数は2010年には何と85万5000世帯、65倍にまで激増しました。

日本全体が,「もっと電力を」という尽きることのない欲望に突き動かされてきたといえます。

この点では,前の記事で書いたように,私たち住民も原発推進の共犯者であるといえます。
 

ところで,政官財はなぜ原発にこだわってきたのでしょうか?それは,原発のもつ見かけ上の安定性と効率性があるからです。

石油は輸入も価格も不安定であり,水力発電の場合には出力が小さい割にダムの建設・維持費や送電コストがかかるなどなどの理由も

あったと思われます。そして,現在の技術力や日本の気象条件では風力や太陽光発電では産業界や一般家庭の電力需要は

到底賄いきれないとも考えられたのでしょう。これに比べると,原子力発電は,桁違いに大きなエネルギーを生み出してくれます。
 
たとえば九頭竜川上流の巨大な九頭竜ダムは2基で計25万kw 足らずですが,福島の原発のもっとも古い1号機でさえ

1基で46万kw の発電量があります。最近の原発は1基で110万kw を発電しますので,水力発電の5倍以上になります。

また,100万kwの発電所を1年間運転するために必要な燃料の濃縮ウランは21トン,10トントラックで2台強ですが,

同じ発電量を石油で賄おうとすると,143万トン,20万トン・タンカーで7.2隻分が必要になります(『週刊現代』5月7・14合併号:53ページ)。

こういった数字をみると,原発はまさに救世主のように映るかもしれません。もちろん,政府も産業界も原発がもつ危険性について

まったく知らなかったわけではないのですが,その発電力の大きさ,効率の良さの魅力に勝てなかったのでしょう。

原発がけた外れに大きな発電力をもっていることは,以上の説明からもお分かりいただけると思います。

これと関連して,東電や政府が強調してきたのは,原発による発電コストが他の方法よりずっと安い,という点です。


原発の発電コストは安い?

たとえば,経済産業省が出している『エネルギー白書』の2008年度版をみると,1kwh(1キロワットの電気を1時間使用した場合の電気総量)

以下のようになっています。水力 8.2-13.3 円 石油 10.0-17.3円 LNG(液化天然ガス)5.8-7.1円 石炭 5-6.5円 原子力 4.8円

太陽光 46円  風力 10-14円 これで見る限り,原子力発電の発電コストはたしかに一番安いということになります。

ただし,この場合,なぜか原発はモデルプラントによる数値となっています。設備は年数がたてば老朽化するので,

効率はずっと悪くなるはずです。さらに問題なのは,この発電コストには,放射能廃棄物の処理コストや,原発の開発コスト,

住民対策費用などが計算されていなことです。とりわけ,放射能廃棄物の最終処理については現在でも見通しはたっていないので,

どれほどのコストになるのか見当がつきません。奇妙なことに,電力会社が提出した設置許可申請書によれば,

発電コストは1kwh平均で15円となっています。実際には,発電コストの比較というのはとても難しく,例えば火力発電のコストは

計算時の石油価格と為替レートによって大きく変動します。発電コストには,原発で働く労働者の健康被害などはまったく考慮されていないし,

まして,今回の震災のような事故発生時の人的・物的被害,損害賠償費などは計算に入っていません。

原発の発電コストは計算不能の部分があるので,単純に直接的なコスト計算だけで,

原発は安い(じっさいには上記の電力会社地震の計算でも決して安くはない)と主張するのは根拠がありません。



原発の推進派が強調してきた理由は経済性のほかに,奇妙に思えるかもしれませんが,環境保護という議論です。

まだ記憶に新しい,1997年12月に京都で開かれた,通称「地球温暖化防止京都会議」において,地球温暖化を防ぐために

炭酸ガスの排出を減らそうという申し合わせができました。


現在,発電の主力となっている火力発電は石油を燃料とし多量の炭酸ガスを排出するので,悪者視されています。

現在,日本全体の発電量のうち,原子力は約30%,残りのほとんどは火力発電(石油,石炭,LNGが含まれる)で,

すべて炭酸ガスが発生します。原子力発電は,温暖化の原因となる炭酸ガスを減らす「クリーン」なエネルギーであり,

したがって「環境にやさしい」エネルギーである,という主張が政府や電力会社からなされてきました。


温暖化の問題を持ち出されると,これに反対してきた環境保護団体が,原発をどのように位置づけるのかは,

かなり微妙な問題をはらんでいます。しかし,放射能廃棄物の最終処理の見通しさえたっていない原子力が「クリーン・エネルギー」である,

と言い張るのは納得できません。最近ではアメリカのオバマ大統領も,原子力をクリーン・エネルギーと位置付け,これから原発を増設してゆく,

と公言しています。フランスにいたっては,現在でも総発電量の80%を原発から得ていて,今から原発を減らす気はまったくない。

ただ,ドイツは原発の増設を見直すという態度をとっています。限りある化石燃料(石油・石炭など),温暖化防止,増大する電力需要,

効率的な発電という圧力のもとで,原発への誘惑はますます大きくなっているのです。


ただ,ここで考えなければならないのは,フランスには地震の心配はないし,アメリカにも地震の心配がない場所はたくさんあります。

これに対して日本列島は,丸ごと地震の巣の上に乗っているようなものです。だから,条件が違う国と単純に比較はできないのです。

それでは,日本の原発の管理体制はどうなっているのでしょうか?この問題は,今回の事故の対応にとって大きく関係しています。

次回は原発の管理体制について書きたいと思います。
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大木昌が思うこと⑤福島原発

2011年04月21日 | 震災について大木昌が思うこと

福島原発事故の背景と意味 ― ② 「 想定外 」 ということ ―


今回は,福島原発事故の背景や意味を,「 想定外 」 という視点から考えてみたいと思います。


現在,私たちの心に重くのしかかって気分を暗くしている要因のひとつは,福島の原発事故の処理がどうなるのか,

放射能被害がいつまで,どの程度続くのかといったことがはっきりしないことです。これらの問題に答えるには、

非常に専門的・技術的な知識が必要で,私はその知識をもっていないので,答えを示すことはできません。

それでは,専門家といわれる人たちはどうでしょうか?


現在日本には,原子力の利用に関するお目付け役として,内閣府の原理力安全委員会が設けられています。

ここには総理大臣によって任命される5人の委員と,その下の専門部会には390人の専門家集団がいます。

しかし,彼らが英知を集めても,現状と今後の解決策の見通しについて統一した見解は示されていません。

それほど,現在の事態には不確定要素と危険が多いからです。


私にできることは,原発事故の原因を分析し解決策を提言することではなく,事故の背景とその意味について考えることだけです。

今回は,原発事故に関連して,「 想定外 」 という問題をどのように考えるか,という点に注目してみたいと思います。

3月11日の震災・津波・原発事故に関して,「 想定外 」 という言葉がしばしば聞かれ,

それについて「 想定外という言葉は責任逃れだ 」,とマスメディアは政府や東電を批判しています。


私も,地震と津波の規模が「 想定外 」だったから「 未曾有 」の被害が出たと言い続けることには違和感を覚えます。

少なくとも原発事故にかんするかぎり,「 想定外 」 という言い訳は説得力をもちません。

しかし,後で書くように,その理由は,多くの評論家や批判者たちとは違います。

「 想定外 」という発言にたいする批判の背後には,今回のような規模の地震と津波が来ることくらい,

当然想定して対策を打っておくべきだった,という主張があるのだと思います。

批判は,その準備がなかったからこそ原発事故が発生し,それに対する政府や東電の対応が遅く場当たり的で,

後手後手に回っているという点に向けられているのだと思います。

これらの点については私も同感ですが,その点を考慮しても,マスメディアに登場するコメンテーターと称する人たちやアナウンサーたちが

政府や東電を批判する言葉を聞いていると,彼らの批判が,いかにも「 後出しジャンケン 」といった印象を強く受けてしまいます。


技術的問題について私はコメントするほどの知識はもっていませんが,最低限,つぎの事実だけは押さえておかなければなりません。

まず,現在福島第一原子力発電所の1号から4号機までの原子炉で起こっている危険な状態は,津波のさいに冷却装置を働かせるポンプと

それを動かす電源が機能しなくなってしまったことから始まりました。このような事態を想定して外部電源や

非常用ディーゼル発電機が設置されてはいたのですが,それらは津波で破壊され流されてしまいました。


ここがポイントです。原子炉は常に冷やされている限り危険はないのですが,冷却システムが作動しないと,

直ちに温度が上昇して水素爆発を起こしたり,核燃料棒が熱で溶ける溶融が起こる可能性があります。

こうなると,原子炉の格納庫や建屋から放射性物質が飛び散り人間や動物,土壌を汚染します。


それならば,そのような人たちは,震災前からこのような大規模な震災が起こることを想定していたのでしょうか,

あるいはそれを想定して準備しておくべきだ,ということを言ってきたのでしょうか? 


私には,このような人たちは,今は政府と東電をいくら叩いても,自分はまったく傷つかない安全な立場にいることを計算に入れて

高みから物を言っている評論家のように映ります。というのも,これらの人たちの言動からは,

もっと本質的な問題について深く考えているということが感じられないからです。


ここからは,「 想定外 」 ということについて少し深く考えてみたいと思います。

まず,大地震が起こる可能性ですが,専門家によれば今回のような東日本大地震が近い将来起こることは予想されていたし,

東南海地震が30年以内に起こる可能性は80%,関東大震災のような東京の直下型地震が30年以内に起こる可能性は

70%と予想されています。しかし,それが正確にいつ起こり,その場合どの程度の大きさになるのか,

津波が起こるとすると何メートルくらいになるのか,といった具体的な,私たちが最も知りたいことは分かりません。


分かっていることは,太平洋プレートとフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込んでいる状態では,

日本列島とプレートとの間に相当のひずみのエネルギーがたまっていること,したがって,いつ大地震が起こってもおかしくない,

ということです。加えて日本列島には無数の断層が走っています。これらの断層の中には活断層もたくさんあります。

11日の大地震の直後に震度6弱の「余震」が起こっています。これも,活断層のせいだという説もあり,

またアウターライズ地震( 陸地との接触面より外のプレートに生じたひずみから生ずる地震 )だという説もあります。


いずれにしても客観的にみれば,日本ではいつ,どこで,どれほど大きな地震が起こっても何ら不思議ではない,

言い換えれば「 想定外 」ではないのです。たとえば,阪神淡路大震災があの日,あの時間に,

あれほどの規模で起こることを専門家も想定できたでしょうか?たとえ大雑把に予想できたとしても,

正確に何日の何時何分に地震が起こるかが分からなければ,日常生活ではそのような事態につねに気を配っている人はごくわずかでしょう。

マスメディアで「 想定外 」だから対応が遅れたという説明を批判している人たちは,首都圏に直下型地震を想定して,

それに備えて日々の生活を送っている人はどれほどいるでしょうか? 


何度も地震や津波の被害を受けていてきたにも関わらず,三陸地域ではやはり多くの被害と犠牲者がでてしまいました。

過去に津波の被害を受けたため,高さ10メートルを超える世界一の堤防を築いた街も,今回の津波では

いとも簡単に乗り越えられ破壊されてしまいました。しかし私たちは,今回の津波で被害を受けた地域の人たちに,

「 想定外 」の事態に備えていなかったと非難することはできません。むしろ,想定できる最悪に備えて防波堤を築いてきたのです。


結論から言えば,そもそも私たちは自然の活動にかんして,将来起こるかもしれない,あるいは起こるであろうという可能性を

大雑把に予測することはできても,それが正確に,いつ,どの程度の規模で起こるかを「 想定 」することはできない,ということです。

あるいは,たとえ「 想定 」できたとしても,それを食い止めることができないこともたくさんある,ということです。


考えてみれば,地球が45億年前に誕生して以来,想像を絶する地殻変動や天変地変が起こってきました。

大陸が動いたり( ちなみにインド亜大陸はアフリカのあたりから移動してユーラシア大陸に衝突し,その圧力でヒマラヤ山脈ができた )

火山の大爆発,恐竜が絶滅した原因として有力視されている隕石の衝突( それに続く灼熱と大洪水),そしておそらく,

人類が経験したことのない大地震や大津波などなど,無数にあったはずです。どれほど破壊的な地球の動きであっても,

それらは宇宙や地球の歴史からすれば大したことではなく,「日常活動」にすぎないのです。


このような天変地変が,ここ数千年起こっていないからといって,近い将来起こらないという保証はどこにもないのです。
 
つまり,私たちはそもそも自然現象を「 想定する 」ことはできないのです。あるいは,想定できないこともたくさんある,と考えるべきでしょう。


もちろん,津波対策として防波堤をさらに強固に高くするとか,地球のひずみをくわしく計測して地震を予知するとか,

倒壊を防ぐようしっかりした家の建築工法を導入するとか,高台に家を建てるとか,できることは全てやっておいて,

被害を最小限に食い止める準備はしておく必要はあるでしょう。それでも私たちは,今までの経験則から、

とんでもなく離れた事態を「 想定 」することはできないのです。


たとえば,小松左京氏の 『 日本沈没 』 のように,日本列島全体がプレートに飲み込まれて沈没してしまう可能性だって,

あり得ないことではないのです。しかし,だからといって,その日に備えるというのは現実的ではありません。

つまり,私たちは理論的な可能性として起こる自然災害を「 想定 」して,それに完全に備えることには,最初から無理なのです。


以上の理由で私は,「 想定外 」という言葉で事態への対応が不十分だったり誤ったりすることの言い訳にすることに疑問をもちます。

たしかに,今回のように大規模の地震と津波が発生することは「 想定外 」だったかもしれません。自然現象である以上,

人間の知識を超える事態が起こることは十分あり得ます。


しかし,原発という人工的な施設に関しては、ある程度対応策を予め準備することはできるはずです。

問題は,それならば,想定内の事態にたいしては十分備えていたかどうか,です。私はそこに多くの問題があったと考えていますし,

今回の福島の原発事故ではこの点こそが厳しく問われなければなりません。


自然現象にかんして正確に「 想定 」することはできませんが,人工施設に関してはある程度対応策を考えることはできるはずです。

「 想定外 」 という言葉で説明することの問題は,自然現象と人工的な施設や設備にかんする対応策とを ごちゃまぜにしていることです。


もうひとつ,「 想定外 」という言葉で事態を説明することへ疑問を抱く理由は,人間には本来「想定外」の行動をすることがある、

という事実です。自然の活動も想定できませんが,人間の行動も同様に,あるいはそれ以上に想定できないのです。


原発の運行にかんするマニュアルは,全ての人がマニュアルどおりに冷静に正しく対処することを前提にしています。

しかしチェルノブイリの原発事故にしてもアメリカ・スリーマイル島での原発事故にしても,あれほど深刻な事態を招いてしまったのは,

関係者の「 想定外 」 の行動( ミス )があったからです。人は,「 こんなことをするはずがない 」ということを,

何かのきっかけでしてしまうことがあるのです。こんなとき,私たちはやはり「 想定外 」だと言います。

むしろ,人は,常識では考えられない「 想定外 」のことをすることがある,ということを「 想定内 」のこととして考えるべきでしょう。


「 安全神話 」 という言葉があります。

原発を作るとき政府も東電も住民や国民にたいして原発は絶対に安全です,と言い続けてきました。

それは,地震の大きさは一定の範囲内で,しかも原発の関係者は必ず冷静でベストな対応をする,ということが大前提です。

しかし,今回の地震・津波・原発事故では,どちらの前提も満たされていません。

どれほど科学技術が進歩しても,自然の前ではほとんど無力になってしまうほど,自然の力は大きいのです。


科学技術はたしかに自然のコントロールにある程度は成功してきました。しかし,その成功は自然のもつ力の,

ほんの一部にたいして有効であるにすぎません。自然にたいしてもっと,謙虚になる必要があります。

これについては,別の機会にくわしく書きたいと思います。


人類は,自然のもつ「 想定外 」 の力と,人間の行動からどうしても排除できない「 想定外 」の行動を,

何とか「 想定内 」にとどめるように努力してきました。それが成功する場合もあれば,失敗する場合もあります。


私たちは「 想定外 」と「 想定内 」 との間に成立している微妙なバランスの中で,かろうじて生かさせてもらっている、

という事実をいつも心にとどめておく必要があると思います。


次回は,福島の原発事故の背景として,想定外と想定内の事態がどのように作用したのかを検証してゆきたいと思います。
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大木昌が思うこと④原発事故

2011年04月17日 | 震災について大木昌が思うこと
原発事故の背景と意味 ― ① 原発事故を考える前に ―


3月11日の地震と津波により,福島第一原子力発電所の第1号機から4号機までの非常用電源が壊れ,

原子炉を冷やす冷却システムが機能しなくなりました。このため,炉内の冷却水が送れなくなり,

使用済みの燃料棒や炉心の温度が上昇し,化学反応によって水素爆発が生じてしまったのです。


爆発後,放射能物質が空中と海中に放出され,今や 「 福島 」 ( FUKUSHIMA ) は世界の放射能汚染の元凶と見なされています。

事故の原因やくわしい経過については,新聞でもテレビでも何度も説明しているので,ここでは繰り返えしません。


また,今回の原発事故に関連して,東京電力の対応が悪い,政府の対応が後手後手にまわっている,もっと情報を開示しろ,

などなど東電と政府にたいする不満や手際の悪さを責める声が巷にあふれています。たしかに,これらの声はすべて正当で

もまったく同じ不満をもっています。東電や政府を批判するのは簡単ですが,その前に,私たち一人一人が生活者として

考えるべきことがあるように思うのです。


現在日本には55基もの原子炉が存在しています。では,一体,いつからなぜこれほどまでに多くなってしまったのでしょうか?

ここで,もう一度,日本における原子力発電所の歴史を簡単に振り返ってみましょう。


日本の原子力発電は1963年,茨城県東海村の実験炉で行われたのが最初です。

その後,1970年に関西電力の美浜発電所( 美浜1号 )が建設され,翌1971年に東京電力の福島第一原子力発電所( 1号 ) が完成し,

発電を開始しました。これらの年代から分かるように,日本の原発は,高度経済成長期( 1954年 ~ 1973年 )に産声を上げたのです。

つまり,戦後の復興期を経て,日本全体が豊かさを求めてしゃにむに経済成長に突き進んだ時期です。

洗濯機,掃除機,テレビなど電気製品が家庭に行きわたるようになり,電気にたいする需要はうなぎ上りに増加しました。



しかし,当時の電気の大部分は重油による火力発電と,若干の水力発電でまかなわれていました。

事態を一変させたのは1973年の第一次オイルショック,1979年の第二次オイルショックでした。

それまで,お金さえ出せば石油を安くいくらでも買えたのに,価格の急激な上昇に加えて,

もはやアラブ諸国から欲しいだけ石油を買うことができなくなりました。


各家庭では既存の電気製品に加えてクーラーやその他の電気製品が家の中を埋め尽くすようになっていました。

しかも,石油は発電用に使われるだけでなく,増大しつつあった車の燃料として,

さまざまな化学工業の原料としても欠くことのできない資源でした。


オイルショックにより日本人は,「 豊かな生活 」 が 実は石油に支えられていたことを思い知らされました。

オイルショックの際には東京をはじめ大都市ではネオンサインを消すなど,一時的に節電に努め,

産業界では省エネルギーが合言葉となりました。


日本の省エネ技術はこの時から急速に発展し,今日まで世界でも屈指の水準に達しています。

それでも,日本人はもっと便利な生活を望み,産業界はもっと多くの製品の生産を望み,政府はもっと高いGNPを望んでいました。

こうして日本社会は,際限のないエネルギーの拡大を望んでいたのです。



こうした事情を背景として,もはやできるだけ石油に頼らないエネルギーの確保が急務に感じられました。

その解決策として,当時の自民党政権と産業界が一体となって原発の建設に拍車がかけられ,今日にいたっているのです。



ここで,どうしても忘れてはならないことが,少なくとも二つあります。一つは,原発の建設に対する反対は,

特に建設予定地では強くありましたが,それは原発推進を止めるほど大きな声にならなかったことです。

建設予定地以外の地域に住む大部分の日本人は,原発の危険性について多少の危惧をいだきながらも,

それはしょせん,他人ごとだったのです。それよりも便利な生活を捨てようとはしませんでした。

また,経済発展がもたらす豊かさも失いたくはなかったのです。


だから,原発を推進してきた自民党政権と電力会社,そして産業界だけを責めるのは,いかにもご都合主義だと言わざるを得ません。

私も含めて多くの日本人は原発推進の 「 共犯者 」 だということを忘れてはいけないと思います。


二つは,今回事故が起こった福島の第一原子力発電所は,東京電力管内ではなく,東北電力管内に位置しているという事実です。

つまり,現在,放射能汚染にさらされ避難を余儀なくされている人たちは,自分たちが使うためではなく,

首都圏の電力需要をまかなうために原発を受け入れてきたのです。同じことは新潟県の柏崎・刈羽の原発についてもいえます。


もし,東電や政府がいうように原発が絶対に安全なら,広瀬隆氏の 『 東京に原発を 』 ( 1981年 ) がいうように,

原発を何も遠い地方ではなく東京ないしはその近郊に建設すればいいはずです。しかし当事者は,

「 万が一 」 の危険性を認識していたからこそ福島や新潟に原発をもっていったとしか考えられません。


私も含めて首都圏に住んでいる私たちの便利な生活は,福島や新潟の原発近くに住む人たちの犠牲の上に成り立っていたのです。

東京電力管内の電気の実に28%近くを原発に依存しています。そのうち福島第一発電所の電気が途絶えただけで,

首都圏の生活が大混乱したことは,今回の 「 計画停電 」 で思い知らされたはずです。


]私も含めて私たちは,以上の事実を知っていながら,それを意識から追い出して便利さだけを享受してきたのではないでしょうか。

以上の2点をしっかり心に刻んだ上で,次回は,今回の原発事故の影響と意味を考えてみたいと思います。
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大木昌が思うこと③

2011年04月15日 | 震災について大木昌が思うこと
 地震・津波・原発事故―死あるいは生きること ③ 生きること ―


前回までの2回は,主に 「 死 」 について書いてきました。

しかし,最初にことわっておいたように,死について深く考えることは同時に「 生きること 」 について深く考えることでもあります。

同じことを今回は 「 生きる 」 という面から見てみたいと思います。



今回の地震と波津では,日本人の多くが直接間接に死を体験しました。

たとえ自分自身が直接に巻き込まれなくても,自分の親族や知り合いが被害者となった人も多くいるでしょう。

親類縁者がいない私たちもテレビや新聞などのメディアを通じて,

直接波が人や建物を飲み込んでいったときの詳細が次第に体験者の口から語られるようになりました。


  生き残った人の心情は  

それによると,地震直後に生徒を親に引き渡さないで集団避難しようとしたある小学校では,引きとめられた子供の大部分が亡くなりましたが,

学校の指示に従わず,車で帰った子供たちは全員助かった,という例がありました。

しかし逆に,日ごろの訓練で,高台に歩いて逃げる訓練をしていたため,いち早く集団避難した子供たちは全員無事でしたが,

車で逃げた家族は道が渋滞して車が動かなくなったために,ほとんどが津波に飲み込まれて家族ごと亡くなった例もありました。

このほかにも,ある人はたまたま海に近い場所にいて波に飲み込まれたり,その逆に高台にいて助かったり,

個々の事例をみてゆくと本当に生と死は紙一重だったことがわかります。

だからこそ,生き残った人たちはほっとしている半面,ほんのわずかの違いで身近な人を失ったことに対する悔しさと,

人の命のはなかさ,もろさを実感しているのではないでしょうか。


生き残った人たちが,悲しみを抱えつつ,これからの生活をどのように組み立ててゆくかという

現実的な問題に直面していることはいうまでもありません。

これとは別に,このような人たちの精神的な打撃も非常に大きい。

身近な人を亡くし,生き残った人たちの心情をさまざまな形で語っています。

ある人は,まだ3月11日から時間が止まったままです,と語っていました。

現実に起こったことの痛手があまりにも大きく,事実として受け止められないのでしょう。

また,多くの人は,死んだ子供たちの分まで,妻や夫の分まで,

あるいは仲間の分まで頑張って生きてゆかなければ,という決意を述べています。

この感情の背景には,そうでもしなければ亡くなった人にたいして申し訳ない,

そうすることが生き残った者の責務であるという気持ちが強いのだと思います。


  失ったものの大きさ 

生き残った人たちは改めて,失ったものの大きさに気づかされています。

まず,家財道具や車などを失った痛手が大きいことはいうまでもない。なにより,それらは生活を支える物質的な基盤だったからです。

これらは後で買い戻すことができますが,亡くなった人たちにはもう顔をみることもできません。

今回の震災で私が強く印象づけられたのは,津波で破壊された家の瓦礫の中を,思い出の品を探す人たちの姿でした。

子供のランドセルだったり,衣服だったり,そのほか何でも亡くなった家族が使っていた物を一生懸命探している姿でした。

思い出がいっぱい詰まった写真が収められたアルバムは特別な意味をもっています。

写真は他の物とは異なり,家族の歴史ともいうべき濃密な記憶が詰まっています。

子供の入園式,入学式,卒業式など成長の節目に撮った記念写真や,家族旅行をしたときの幸せな姿,

日常の何気ない様子など,写真が伝えてくれることは非常に多いのです。

このようなアルバムを見つけた時の人々に一瞬,笑顔がよみがえる。

今回の震災ではアルバムを探すことを主な活動としているボランティアの姿がありました。

また,泥で汚れた写真をきれいに洗い,再生して家族に送り届けている人もいます。

残された人が,過去の記憶をたぐり寄せる大切な手掛かりとして写真がもつ意味はとても大きいのです。

とりわけその写真に写っている家族や友人・知人が亡くなっている場合には,写真は唯一ではありませんが,

その人たちの姿をありありと伝えてくれるかけがえのない存在なのです。 


ある被災者は,なにげない 「 いつもの生活 」 がいかに大切なことだったか,

それを失ったことがいかに大きなことだったか,をしみじみと語っていました。

またある人は,震災後一カ月経った今でも朝起きると,また 「 いつもの生活 」 が始まるような錯覚にとらわれると言っていました。

この人にとって,現状は非現実で,記憶の中にある過去の生活こそが実感できる現実なのでしょう。

明るい未来への展望を描けない現状では,過去の記憶はとりわけ大きな意味をもつのでしょう。


しかし考えてみると,このように現実と非現実とが逆さまになったり,区別があいまいになることは,

震災に遭った人たちだけが抱く特別な感情ではないのかも知れません。

いうまでもなく,朝起きて食事をして仕事をして,という日々の具体的な活動こそが「 生きること 」 の実態であることは否定できません。

しかし,私たちの日々の生活とは,ただ体を動かし仕事をするといった活動だけで成り立っているわけではないのです。

誤解を恐れずにいえば私は,「 生きること 」 の本体は,現在の時点から振り返って脚色され,

再構成された過去の 「 物語 」 と,これからの人生に対する未来の 「 物語 」 だと考えています。


おそらく私たちは,自分の書いた過去 「 物語 」 の上に未来の 「 物語 」 を重ね合わせて生きているのではないでしょうか。

というのも,自分の 「 過去 」 の物語がなければ未来の 「 物語」 を書く手掛かりがないし,

未来の 「 物語 」 がなければ,海図のない航海をするようなもので,漂流するか,その場その場をせつな的に生きるしかないからです。


このように考えると,震災に遭った人たちの苦悩は,

過去の 「 物語 」 は書けても未来の 「 物語 」を描けないという点にあるのではないでしょうか。

これは人が生きることにとって,もっとも深刻な危機なのかもしれません。


ところで,ここまで 「 生き残った人 」 と表現したのは,震災で親族や友人・知人を失った人のことを念頭において書いてきましたが,

もう少し視野を広げてみると,「 生き残った人 」 の大きな群れが他にもいることが分かります。

それは,私たち直接に被災しなかった者全てです。

復興キャンペーンで 「 つながろう日本 」 というスローガンがしばしば登場しますが,

これを好意的に解釈すれば,生き残った者は,亡くなった人の分まで生きて,生きやすい社会を再建する責務があるということです。

今回,直接に傷ついたのは東北地方ですが,実は日本全体が傷ついたと考えるべきです。

このスローガンは,「 同じく 」 生き残った者として,

まずは遠く離れた想像力で被災者の皆さんとつながろう,という意味に解釈すべきなのでしょう。


私たちは今,日本全体の未来を展望した 「 大きな物語 」 と,

私たち個人個人のこれからの人生を見すえた 「 小さな物語 」 の両方を書き始める地点に立っているように感じます。

今回の震災は,日本の現在・過去・未来を根底から考えなおす絶好の機会を提供したともいえます。

少なくとも私には,今回の震災はそれほど根源的な問題を突きつけていると思えるのです。

そのことについては,次回から何回かに分けて書いてゆこうと思います。
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