ぼくたちの失敗

2023-09-25 06:26:06 | 森田童子
森田童子



春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだョネ

君と話し疲れて いつか黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった部屋に
きみの好きなチャーリー・パーカー
見つけたョ ぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だネ

春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
うもれていたぼくは 弱虫だったんだョネ




青春とは、青い春と書きます。

そしてこの2文字から浮かぶイメージは、若葉の芽吹き(青)、生命の躍動(春)、まさに人生においての春の季節、若く元気な時代と言ったところでしょうか。

しかし、反面、青春は、挫折と失意を、繰り返す時代だったと振り返る方もおられるかも知れません。

たしかに、振り返れば、恋人に振られたとか、志望校に落ちたとか、就職がなかなか決まらなかったとか、そんな「初めての失敗」の体験が、

立ち向かえないほどの挫折と失意として、感じ取ってしまったことがあったかも知れません。

でも、また、思いを巡らせば、そう、青春時代ゆえに、その失敗が乗り越えられたということを、そんな体験を繰り返し重ねて来たわたし達は自然に

学び取っていることも事実です。
 
ただ、青春(せいしゅん)から、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)という、めぐり行く季節と同じように、齢を重ねて来た世代にとっては、

残された時間を意識する分、その失敗に対する思いが、青春時代より深刻に、複雑に、挫折と失意を感じ取ることになります。

そして、これがストレスの多い現代社会において増幅され、中高年のうつの発症や自殺などが多発する一因ではないかと考えられてもいます。

しかし、よく、考えてみてください。

少なくとも、「ぼくたちの失敗」は、それがどんな失敗だとしても、とても日本の将来を絶望の淵に追いやるとか、未来の地球の滅亡につながるとか

いうほどのことはありません。

比べて、頂点を極め指導的地位に立っている人が、人のいのちを奪ってしまうような失敗をしていながら、のうのうと厚顔にも生き抜いているのも事実。

そう、そのような極悪非道な人達と比べるまでもなく、地上の星、いや地上の星にもなれなかった、地上の星屑のような「ぼくたちが犯す失敗」は、

所詮、たかがしれている程度の失敗なのです。

いつでも、やりなおせばいいほどの失敗です。

失敗を得意がる必要はありませんが、そうそうに、失意にうちひしがれるほどのことはないのです。

ぼくがだめになったのか、周囲が、環境が、時代が、だめになったのか、もともとから、ぼくがだめだったのか、これがほんとのダメモト?。(笑)

冗談はともかく、だから、失敗をおそれず、また、失敗しても思い悩まずに、ぼちぼちと、歩いていきましょう。

ほら、中高年のみなさん、思い悩まずとも、そう、彼岸のお花畑だって、もう、そんなに遠い道のりじゃないのですから。

 えっ、┐(´∀`)┌ハイハイこれは失礼、「ぼくの失言」でした。(笑)

















































































































この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 冬のかもめ  | トップ | 君は変わっちゃったネ  »
最新の画像もっと見る

森田童子」カテゴリの最新記事