村田英雄
石原裕次郎
やると思えば どこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨
あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
わかるものかと あきらめた
時世時節は 変わろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨
あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
わかるものかと あきらめた
時世時節は 変わろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界
早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花(ちんちょうげ)、人生意気に感じたら、びくともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。
崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士、町を見下ろす天辺で、意気に感じた若者が、夕日に向かって吼えていた。
春と一緒に青春の、波がドンドン押し寄せて、男子(おのこ)ばかりか女子(おなご)まで、杜の宴に酔いしれる。
この曲は、尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表されました。
作詞:佐藤 惣之助、作曲:古賀 政男。
小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されたもので、『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢幻篇』
崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士、町を見下ろす天辺で、意気に感じた若者が、夕日に向かって吼えていた。
春と一緒に青春の、波がドンドン押し寄せて、男子(おのこ)ばかりか女子(おなご)まで、杜の宴に酔いしれる。
この曲は、尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表されました。
作詞:佐藤 惣之助、作曲:古賀 政男。
小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されたもので、『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢幻篇』
『望郷篇』『蕩子篇』の各編から成り、任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。
昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。
『青春篇』は、三州(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、
昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。
『青春篇』は、三州(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、
放埒(ほうらつ)な青春を送り、学校騒動で主役を演じ、料亭の娘お袖と恋仲になるが、やがて学校も女も捨てる、という物語です。
歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客で、慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった
歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客で、慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった
穴太(あのう)の徳次郎vs.神戸(かんべ)の長吉(ながきち)+吉良の仁吉+清水次郎長の子分たちの大喧嘩(おおでいり)で命を落としました。
この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。
歌は、通常3番までですが、「幻の4番」といわれる歌詞があります。
(セリフ)
ああ夢の世や 夢の世や
今は三歳(みとせ)のその昔
十有余年がその間
いと懐かしき父母(ちちはは)と
朝夕眺めし山や川
春は花咲き夏繁り
秋は紅葉の錦織
冬は雪降るふるさとの
由緒正しき郷士(ごうし)にて
一人男子(おのこ)と生まれける
その運命のいたずらか
はかなき恋の戯れか
浮き立つ雲に誘われて
一人旅立つ東京の
学びの庭は早稲田なり
4 端(はした)役者の 俺ではあるが
早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道
人生劇場 いざ序幕
これは、マスターが在学してた頃、早稲田大学の第二校歌として、早慶戦の時や、その後の飲み会などでよく歌わされましたが、「幻の4番」は
この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。
歌は、通常3番までですが、「幻の4番」といわれる歌詞があります。
(セリフ)
ああ夢の世や 夢の世や
今は三歳(みとせ)のその昔
十有余年がその間
いと懐かしき父母(ちちはは)と
朝夕眺めし山や川
春は花咲き夏繁り
秋は紅葉の錦織
冬は雪降るふるさとの
由緒正しき郷士(ごうし)にて
一人男子(おのこ)と生まれける
その運命のいたずらか
はかなき恋の戯れか
浮き立つ雲に誘われて
一人旅立つ東京の
学びの庭は早稲田なり
4 端(はした)役者の 俺ではあるが
早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道
人生劇場 いざ序幕
これは、マスターが在学してた頃、早稲田大学の第二校歌として、早慶戦の時や、その後の飲み会などでよく歌わされましたが、「幻の4番」は
誰が何時、どう作ったかは知りません。
多分、尾崎士郎が早稲田出身、その自伝的小説の舞台が早稲田、義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという
多分、尾崎士郎が早稲田出身、その自伝的小説の舞台が早稲田、義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという
早稲田マンイメージ、などから誰かが作って継承されてきたものとは想像しますが・・・・。






