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僕の読書ノート「サピエンス全史(上)(ユヴァル・ノア・ハラリ)」

2019-05-26 21:14:45 | 書評(進化学とその展開)


歴史学者が人類史を論述した本でありながら、進化学に軸足を置いた批評家(佐倉統、橘玲ら)からはドーキンスなどの進化生物学の影響を受けていると言われていたし、仏教学者(佐々木閑ら)からは仏教のことがよくわかって書かれていると言われていて、そうした視点の持ち方は私の指向とも一致していたので、いつかは読もうと思っていたのである。副題は「文明の構造と人類の幸福」である。

250年前にホモ(ヒト)族が出現し、20万年前に東アフリカでホモ・サピエンスという種が生まれるところまでは、いわゆる進化の流れである。その後から、サピエンスに特異な流れが始まった。すなわち文化を形成し始めたのだ。そうした人間文化の発展を「歴史」という。歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。7万年前の認知革命、1万2000年前の農業革命、500年前の科学革命だ。本書は、これら三つの革命が、人類をはじめ、地球上の生物たちにどのように影響を与えてきたのかという物語である。上巻では、認知革命、農業革命、人類の統一の前半までが記述されている。下巻では、人類の統一の後半、科学革命が書かれている。

まずは、上巻からだ。
副題にある「幸福」という視点はときどき垣間見られるが、そこにフォーカスを絞った議論は下巻の最後に出てくるようだ。では、ポイントを下記に示したい。 

第1部「認知革命」
・サピエンスは過去10万年間で、食物連鎖の頂点へと飛躍した。しかし、つい最近までサバンナの負け組の一員だったため、自分の位置についての恐れと不安でいっぱいで、そのため残忍で危険な存在となっている。例えば、多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るまで歴史上の多くの災難は、この性急な飛躍の産物である。
・7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを「認知革命」という。その原因は定かではないが、遺伝子の突然変異により脳内の配線が変わり、新たな思考の仕方や新たな種類の言語による意思疎通が可能になったからかもしれない。
・認知革命の後、サピエンスは大きくて安定した集団を形成した。噂話によってまとまったのであるが、噂話によってまとまった集団の大きさの上限は150人であった。しかし、虚構が登場し、共通の神話を信じることによって、この人数の限界を超え、膨大の数の見知らぬ人どうしでも協力できるようになった。
・サピエンスは遺伝子や環境の変化を必要とせずに、自らの振る舞いを素早く変えられるようになった。その最たる例が、カトリックの聖職者や仏教の僧侶、中国の宦官といった、子供を持たないエリート層の出現である。このことは、自然選択の最も根本的な原理に反する。こうしたことは、例えば聖書のような物語を継承することで存続してきた。
・隆盛を極める進化心理学の分野では、私たちの現在の社会的特徴や心理的特徴の多くは、農耕以前の狩猟採集民の長い時代に形成されたと言われている。つまり、私たちの脳と心は今日でさえ狩猟採集生活に適しているが、現在の巨大都市や機械、コンピュータなどの環境との相互作用によって、食習慣や争い、性行動などをもたらしている。このことが、しばしば私たちに疎外感や憂うつやプレッシャーを感じさせているのだという。

第2部「農業革命」
・人類は250万年にわたって、植物を採集し、動物を狩って食料としてきた。それによって、たっぷり腹が満たされ、社会構造と宗教的信仰と政治的ダイナミクスを持つ豊かな世界が支えられていた。ところが、1万年ほど前に、いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたとき、すべてが一変した。これが農業革命である。
・かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣言していた。しかし、農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされたという。食糧の増加は、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながり、平均的な農耕民は狩猟採集民より苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。その責任は王でも聖職者でも商人ではない、小麦、稲、ジャガイモなどの一握りの植物種だったとしている。サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にサピエンスがそれらに家畜化されたのだという。そこが著者のユニークな視点だ。
・農業革命で余剰食糧ができると、多くの人が、大きな村落に、町に、最終的には都市に密集して暮らせるようになった。それには大規模な協力が必要だったが、進化(生物学的本能)は追いついていない。そこで、人々を結びつけたのは神話、つまり、神々、母国、株式会社といった物語であった。それは、「客観的」「主観的」「共同主観的」と分けたときの、「共同主観的」に相当し、想像上の秩序とも呼べる。それと、書記体系の考案が大規模な協力ネットワークの維持を可能にした。
・同性愛をどう捉えるか。一部の文化では禁じられているが、生物学的にはあらゆることが可能であるので禁じる必要がないとしている。血縁や種の存続にとって有用に作用するのであるならそういう主張も成り立つだろうが、私にはわからなかった。

第3部「人類の統一」の前半
・どの文化に属する人間も必ず、矛盾する信念を抱き、相容れない価値観に引き裂かれることになる。これを「認知的不協和」と呼んで人間の心の欠陥と考えることが多いが、じつは必須の長所であり、これがなかれば人類の文化を打ち立てて維持することは不可能だっただろう。
・歴史は統一に向かって進み続けている。紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが三つ登場し、その信奉者たちは、一組の法則に支配された単一の集団として全世界と全人類を想像することができた。その三つとは、貨幣、帝国、宗教であった。
・サピエンスは他の社会的動物と同様に、よそ者を嫌う生き物になった。サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。「私たち」は言語と宗教と習慣を共有していて、互いに対する責任を負うが、「彼ら」に対する責任はない。
・人類の文化から帝国主義を取り除こうとする思想集団や政治的運動がいくつもある。帝国主義を排せば、罪に汚されていない、無垢で純正な文明が残るというが、こうしたイデオロギーは、良くても幼稚で、最悪の場合には粗野な国民主義や頑迷さを取り繕う不誠実な見せかけの役を果たす。また、有史時代以降、そのような無垢な文化は一つもなかった。
・紀元前200年ごろから、人類のほとんどは帝国の中で暮らしてきた。将来の帝国は、真にグローバルなものとなる。全世界に君臨するという帝国主義のビジョンが、今や実現しようとしている。


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