京都へ

2012年03月03日 | 旅行
夜行バスは、予定通り、出立した。
どうにか、四時間程度は寝ることができた。

一日は、朝一で、石山寺へ向かった。白水日記の中で、登場するので、実際に見ておきたかったのである。石山駅前には、「宮本むなし」なる面妖な飯屋があった(入らなかったが)。一部社殿が改装中で、若干騒々しかったが、奥の方の紫式部像のあたりまで行くと、静かで、暫し沈思する。
紫式部開運おみくじを引いたら、大吉であった。ただ、健康の欄には「暴飲暴食はやめましょう」とあった。因みに、歌が付されていて、
めづらしきひかりさしそふさかづきはもちながらこそちよもめぐらめ
であった。『紫式部集』や『紫式部日記』にある歌で、確かに、詠まれた状況を考慮すると、そうなりますなぁ。
その後は、東海道線と山陰線を乗り継いで、嵐山へ出る。大覚寺清涼寺を廻る。大覚寺の、旧御所を下賜された、という殿舎の、右近は橘、左近は梅であった。平安初期までは、梅であったのが、いつの頃からか桜に変った、という話を、聞いたことがあったが、そういうことなのだろう。
そして、昼は、赤マンマという店に入った。おいしかった。
そこから、野宮神社落柿舎を廻って、仁和寺へ行く。こちらでは、左近桜、右近橘であった。
大体、当初の目的地は、廻ったが、まだ少し時間があったので、歩いて竜安寺金閣、と廻る。何度見ても、金閣の威圧感は凄い。ただ、キンピカであるのは、若干品がないような気がしないでもない。そういう意味で、銀閣の方が好きだな。
さてはて、京都駅へ戻って、夕食を摂ってから、宿へ。京都駅からほど近いところであった。受付の兄ちゃんは、恐らく朝鮮の人と思しいが、日本語はもちろんのこと、英語もぺらぺらで、すっ凄い(外国人向けの宿だったのである)。
十時くらいから、一人で飲み始めた。越乃景虎の四合瓶を半分くらい吞むつもりが、気がついたら、空けてしまっていた。そして、更に缶チューハイも一缶。完全に吞み過ぎである。朝のおみくじで、「暴飲暴食はやめましょう」とあったのに、さっさと無視している。

二日は、夜行でやってくる人々と合流するので、七時に京都駅であったが、六時にセットしたはずの目覚ましで目が醒めたのが、六時十五分!そこから、準備をして、二度寝をしたら、時間の五分前になっていて、慌てて出てきてしまったから、部屋は散らかしっぱなしである。申し訳なし。
すぐに合流でき、朝食をともにした。初めに、その日に泊る宿へ行って、にもつをあづかってもらう。天気は雨であった。
北野天満宮から、御所へ行く。御所は、内部も拝見した。ここのあたり、二日酔いで、なかなか身体がついてこなかった。
そこから、京都へ出て、宇治へ。鳳凰堂と源氏ミュージアムを見る。どちらも何度も見ているから、特に目新しいことはない。源氏ミュージアムで、性格判断的な遊びをやったら、薫と診断された。
夕食を四条河原町で食べて、宿へ。チェックイン時間のぎりぎりであった。そして、すぐに吞み始めた。四合瓶と赤ワインを吞む。宿のルールで、飲食は、共有スペースでのみ可であったから、共有スペースで吞んだのであった。迷惑な客だ。すると、亭主さまも呑み始める。気を遣わせて申し訳ない。N氏と来たら、偶々居合わせた見ず知らずの人にも酒を勧め始める始末。大丈夫かなぁ。消灯時間とほぼ同時に呑み終わり、就寝。亭主様の奥方様は、美人であった。

三日、今日は、八時くらいに起きて、下鴨神社の流しびなを見に行った。人が多すぎて、見ること能わず。ここのおみくじを引いたNの籤が誠に面白く、結局皆引くことに。というのも、おみくじによくある格言や歌がある部分に、プラトンのことばが引かれていたのである。その他、引いてみると、亮右衛門氏は、源平盛衰記であったり、と様々なところから引かれていた。私は、最後に引いたが、大吉で、北条民雄のことばであった。この後、銀閣を回った後は、どこともなくぶらついて、特に観光もせず、六時近くなって解散した。
私は、N氏と新幹線で帰宅。明日、八時間勤務なので、流石に夜行ではきついと思ったからである。新幹線券と夕食を買ったら、財布がすっからかんになった。車内で、二人してまた酒を吞む。といっても、合わせて三合ないくらいで、文字通り嘗める程度である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿