眼福

2015年11月21日 | 日記
木曜は朝から出仕。あまり調子はよくなかったが、どうにかなる。午後は士官学校へ行き、例のように。途中、衝撃的事実が飛来する。もう知らん。
夕刻の研究会は、私の担当回。可もなく不可もなくまとめたつもり。失敗作だと主張したら、指導教官様には小言を言われた。だが、家集には入っているとはいえ、ほかの同時詠とセットで入れていて、そこに価値判断があったかは微妙だと思う。それに本文を変えている(このあたりすべての伝本を精査したわけではないが)わけで、失敗の自覚があったというほかないのではないか。こうした部分(失敗、成功なる判断)は、解釈というより鑑賞が入り込むのだから、「現代の目」のない判断はあり得ない。ある程度までは割り切るしかないはずだ。結局、それぞれがどこで割り切るか、ということなのだろう(反論と自戒を込めて・・・・・・)。
と、ここまで書いてきて、何かしらの味気なさ、むなしさを感じた。

昨日は、出仕が変則で、午後の時間が空いたので、W先生の授業に潜った。引用の論の中にかなり胡散臭いところがあったので、質問した。
その後、神保町の古典会へ。目当てのものを見て回る。目玉(?)はなかなかよかった。村雲はカバーが掛けてあり、触ることは能わなかったが、よい品であった。そのほか、因幡切はKJ先生曰く、ホンモノらしいと云々。この二つがまさしく眼福。


今日は茶の湯大でお歌学会。珍しく平安が三本であった。一本目は司会のS先生から、誰も質問に立たなかったら当てるからそのご覚悟で、と予告があったが、幸い多くの質問がありお鉢は回ってこなかった。
それぞれに思うところあり。