きまぐれ和次朗日記帳

あわてないと思っていても
ついついあわててしまいます
酒でも飲んで唄でも歌いながら
ぼちぼちいきましょう

日本代表ありがとう

2010年06月30日 | ひとりごと
個人技の優れた南米パラグアイに対し日本は圧倒していたと思う
今のルールの中では仕方ないが
やっぱりPK戦で試合を決するのは互いのチームに酷だと思う

前監督オシムはPK戦になるとベンチから引き上げてしまった
当然それを無責任という人もいるのは確か
祖国ユーゴスラビアが内戦の最中 チームをまとめたオシム
1990年ワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦
PK戦で選手数人がPKを拒否した
失敗した場合祖国の家族の身が危ないという
戦争痛みを知りすぎているオシムは
それ以来目前のPKが見れなくなった

岡田監督も苦しかっただろう

選手の体調管理の問題もあろうが試合で勝負を決してもらいたい
延長、再延長になったら選手交代枠倍増するなどして
それでだめなら再試合‥‥過去にはあった
商業主義になっている現状では無理か

日本代表ありがとう! サポーター万歳!







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越後野積杜氏 ~米とぎ唄~

2010年06月29日 | 職人さん
5年程まえ姉から一枚のCDを譲り受けた
聞いてみたいと思いながらしばらく眠らせていた
「越後酒造り唄の世界」(日本コロムビア株式会社)
上越教育大学の茂手木潔子先生の監修解説で説明も面白い



越後杜氏は南部杜氏、丹波杜氏と並ぶ日本三大杜氏のひとつ
CDには越後杜氏の中でも
野積(寺泊)、越路、吉川、柿崎の酒造り唄が収録されていた



「唄半給金」と云われるほど 酒造りには唄が欠かせなかった
唄は厳しい仕事に張りをもたせる 杜氏が作業の流れを確認する
攪拌回数や時間を確認する 蔵人の息を合わせるため
などなど多くの役割を果たしてきたそうだ
しかし機械化や時計の普及でその必要性もなくなり廃れているのが現実である

50年くらい前は野積から200人以上が県内県外の酒蔵に晩秋から春に出向いた
残された者は女子供年寄り
長老集団が規律を作りみんなで里を守ってきた
今も女性は強い人が多い‥そうしていかなければならなかったからか

たぶん初めて野積地区の人々の会話を聞くとすべて喧嘩腰に聞こえるかもしれない
慣れればそれがここの人たちの愛情なんだと気づかされる
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夭折の詩人 矢沢宰をたずねて ~三条結核病院跡~

2010年06月27日 | 詩人・画家
合唱曲「光る砂漠」の中にもある曲
再会

誰もいない校庭をめぐって
松の木の下にきたら 秋がひっそり立っていた
私は黙って手をのばし 秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに 見つめ合った


多感な少年期を三条結核病院に併設する三条養護学校で学んだ
済生会三条病院の隣 ケアホーム三条の正門前に
まだ新しい石碑があった





奇跡的な回復で18歳で退院する
その春 栃尾高校に入学した
充実した2年間を送ることになる
初めてのアルバイト 初めての単身上京
彼にはまだやりたいことがたくさんあっただろう

高校二年の冬また病気が再発した
三条結核病院に再入院することになる





私が三条市に引っ越してきたのが4年前
彼を知ったのはその後ネット上で
彼が最後まで入院した三条結核病院は数百メートルしか離れていない所
済生会三条病院にあった

起き上がれない彼は手鏡で外の景色を見たという
その頃からあったであろう川沿いの木々



21歳
絶筆になる詩が彼の病室のベットの下にあった

小道が見える

小道が見える 白い橋も見える
みんな思い出の風景だ
然し 私がいない
私は何処へ行ったのだ
そして私の愛は


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貴婦人のけん玉

2010年06月26日 | コレクション

16世紀頃フランスでは
貴族や上流階級の間でビルボケ(Bilboquet)がはやったという
貴婦人たちが好んで遊んだそうです


日本の現在のけん玉の原型のようです

しかし形からして難しそうである

姪がパリのフリーマーケットで買ってきてくれたビルボケ
使用感がありなかなか気に入っている


知人がアメリカ生活の土産に買ってきてくれたビルボケ


インターネットオークションで手に入れた
ミシュランのビルボケ


さぁ私の腕前は 星いくつ?
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全快橋 ~貝喰川~

2010年06月25日 | 新潟からの便り
たぶん なにげない花に目をうつさなければ気づかなかっただろう
樹木に隠れるようにあった小さな石碑
「全快橋跡」



その先を覗いてみると確かに橋の土台の跡があった



本流信濃川へ流れる五十嵐川の支流「貝喰川(かいばみがわ)」を渡っていた橋の名前
矢沢宰のことを調べていく中で偶然見つけたものです
「全快橋」のことは三条結核病院の石碑の背面の書かれていました



「全快橋」から顧みた病院はどのように見えたのだろう


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