我が郷は足日木の垂水のほとり

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侵入は主権示すため中国、尖閣諸島問題で

2009年10月05日 | 記事紹介

 

Chinkoro中国の反日政策

http://poseidon.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/04/post_9598.html

(^_^;)記事の紹介です。 

37、侵入は主権示すため中国、尖閣諸島問題で200902171319


 新華社電によると、国家海洋局の孫志輝局長は17日までに、昨年12月に尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖で中国の海洋調査船が日本の領海に侵入したことについて「実際の行動で中国の立場を示した」と述べ、中国の主権を主張することが目的だったことを明らかにした。

 16日に北京で開かれた海洋局関連会議の中での発言。孫局長は、昨年1年間で中国が主権を主張する海域で延べ200隻余りの船舶、同140機余りの航空機を出し監視、警戒などの活動を行ったと指摘した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090217/chn0902171320004-n1.htm

 

12、尖閣諸島~日本が「領土」として支配、中国は承服せず200806161902


沖縄県の八重山群島の北方にある諸島。日本が領土として実効支配しているが、中国と台湾(中華民国)も1971年から「本来は中国領」と主張している。中国側は諸島全体を「釣魚島」と呼ぶ。
  西端にある主島の魚釣島から沖縄本島と中国の福建省福州市までの距離は、いずれも400キロメートル程度。八重山群島の石垣島への距離は約170キロメートル、台湾島北部の基隆(キールン)港までは約186キロメートル。
  魚釣島(中国名:釣魚台)は面積3.82平方キロメートルで最高部は標高362メートル。久場島(黄尾島)は0.91平方キロメートル、大正島(赤尾島)は0.06平方キロメートル。その他、北小島、南小島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬などがある。
  日本は1895年に尖閣諸島を「清国の支配が及んでいない」として日本領への編入を宣言。第二次世界大戦での日本の敗戦の後には、沖縄などと共に1972年まで米国が尖閣諸島を統治した。一方、中華人民共和国と台湾当局は1971年から直接、領土権を主張するようになった。
  日本では、中国などが領土権を主張するようになったのは、1971年に周辺海域で豊富な地下資源存在の可能性が指摘されるようになったことがきっかけとする見方が一般的。  一方、中国政府は「もともと中国領土であり、日清戦争により日本に窃取された釣魚島が沖縄とともに日本に返還されることは認められない」ことが、改めて領有権を主張した主な理由としている。

香港や台湾では1996年から釣魚島(尖閣諸島)の奪還を目的とする民間の「保釣運動」が盛んになった。活動家の多くは、尖閣諸島問題以外でも、反日的な「愛国運動」を繰り返している。
  写真は中国で使用されている地図。尖閣諸島付近の地図。「釣魚島」とあるのが尖閣諸島。その南側にある島の略地図は八重山群島。左側は台湾島。なお、中国では尖閣諸島と他所の距離で、「台湾は沖縄(本島)よりも近い」としばしば紹介されるが、八重山群島がさらに近いことが触れられることは少ない。
  尖閣諸島の領有権の日中の基本的な主張は以下の通り。

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●日本政府の主張

  尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式に日本の領土に編入することとした。
  同諸島はその後、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない(注)。
  したがって、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれた。
  尖閣諸島は、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)により日本に施政権が返還された地域の中に含まれる。

  以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示す。
  中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し、従来なんら異議を唱えなかったことからも明らか。
  中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も、1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするようになった。
  また、中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。
(注)台湾の沖合いにある澎湖諸島の日本への割譲は下関条約で決められたが、尖閣諸島は議題にはならなかった。


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●中国政府の主張

  明朝初期から釣魚島(尖閣諸島)は明らかに中国の領土だった。明、清の両王朝期、釣魚島は「無主地」だったが、中国の海防管轄の範囲内にあった。
  1895年、日清戦争(中国側呼称は甲午戦争)での中国の敗北が決定的になると、講和のための下関条約(中国側呼称は馬関条約)締結の3カ月前に日本は釣魚島を窃取した。  1943年12月、中国、米国、英国はカイロ宣言を発表。同宣言では、日本は中国から窃取した東北地方(旧満州)、台湾、澎湖諸島を含む領土を中国に返還すべきことが盛り込まれた。

  1945年に日本は、カイロ宣言の履行義務を含むポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。このことは、日本が釣魚島を含む台湾を中国に返還することを意味する。
  1951年9月8日に、日米はサンフランシスコ条約に署名した。この条約で日本は釣魚島を沖縄と同様に米国の統治にゆだねることになったが、当時の周恩来首相兼外相は「サンフランシスコ条約は中華人民共和国が参加しておらず、日本との不完全な講和条約であり、中国政府は法的根拠がなく無効だと認識する。絶対に承認することはできない」との中国政府声明を発表した。
  1971年6月17日、日米は沖縄返還協定に署名した。この協定では、釣魚島も「返還地域」に含まれていた。これに対して中国外交部は同年12月30日、日米両国政府に対して、「釣魚島を日本に返還するのは中国の領土と主権に対する明白な侵犯であり、中国人民は絶対に容認できない」と厳しく非難した。
  中国政府は同時に、釣魚島を「返還地域」に含めたのは完全に非合法であり、中華人民共和国の釣魚島など島嶼(とうしょ)に対する領土の主権を変えることは全くできない」と主張した。
  その後、米国政府の報道官も「沖縄の施政権返還は、釣魚島の主権問題には関係しない」と発言した。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0616&f=keyword_0616_001.shtml


こんな国が隣にあるのである。しかも誰も中国を規制できない。しからば、このことに対しては、自分で、自分の国は守ってゆかなければならないのである。それには、しっかりと対抗できるように守ることをしなければ、意味はない。即ち自主的核抑止力を持つということが必要となるのである。

(^_^;)紹介終わりです。

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