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20 Best U2 Songs

2020-04-21 18:29:38 | 音楽
私の子ども~十代のころ、洋楽アーティストが日本の歌番組に出演する際、いわゆる「口パク」でレコード音源に合せて歌・演奏の振りだけすることが多かったように記憶する。これはわが国に限らず、古い映像をYouTubeで漁ったりすると、海外のテレビでも生演奏はグレードの高い番組に限られていた様子。

1983年、私は高卒で電電公社(民営化前のNTT)に勤め、でもまだ実家から通って「子ども部屋おにいさん」となっていたが、秋に家の風呂釜が壊れ、2日に1度の入浴の2日目なので銭湯に行かなければならないが、夜のヒットスタジオにU2が出演するというのでそれを見届けて夜11時近くにようやく銭湯へ出かけたことがあった。そのとき彼らは生演奏でNew Year's Dayを歌った。

実家は76年、私が小6のとき幡ヶ谷にマッチ箱のような狭小住宅を建てて横浜の団地から引っ越してきたのである。風呂釜が壊れるまでの7年で小6から就職まで。音楽をめぐる風景も一変。70年代後半、フォークやロック系のミュージシャンをまとめて「ニューミュージック」と呼び、テレビ露出のない彼らに化粧品のCMソングを歌わせたり夜のヒットスタジオに出演させたりして一気にスターダムに乗せる動きが起った。

1977年の12月、熱心なライブ活動や小ヒット「今はもう誰も」で知られたアリスが夜ヒットに「冬の稲妻」で出演、ちょうど翌78年頭から始まったザ・ベストテンにもハマって瞬く間に全国的な人気を獲得。ベストテンでは他にも世良公則・渡辺真知子・八神純子・原田真二らニューミュージック系歌手がアイドル歌手を上回る人気を獲得。アリスは「冬の稲妻」「涙の誓い」で毎週のように出ていたが続く「ジョニーの子守唄」を前に谷村新司さんが過労で入院。これを埋めるように堀内孝雄さんの「君の瞳は10000ボルト」が大ヒット。アリスとしての出演は少なくなったが「ジョニー~」もロングヒットとなり、12月の彼ら最大のヒット「チャンピオン」へとつながる。この間わずか1年。私がいまでも毎週チャートを更新したり飽くことなく音楽を漁るのは、この年のザ・ベストテンとアリスがきっかけなのだ。



ひらつらまさる子ちゃん【公式】 @hiratura 4月18日
大魔神 1966年4月17日公開
大魔神怒る 同年8月13日公開
大魔神逆襲 同年12月10日公開
おかしいでしょこれ

時間が速かったのと、娯楽の種類が少ないのと両方でしょうね。↑の棒グラフの色分けは左から1976⇒79年を表す。2曲目から10曲目までがオリコン1位。4曲目から8曲目までが100万枚超。そんな売れ方をした音楽は前代未聞。栄光と失墜。ピンク・レディーは馬車馬のように働いたが、作詞作曲をしていない2人にお金は残らなかった。

ベストテンが始まったのは、あるいは歌手・アーティストをとっかえひっかえして順位を競わせれば、テレビや芸能界やレコード産業は儲け続けることができる思惑があったのかも。電通やリクルートや秋元康やベネッセや、メディアを使った日本人の商売はそんなのばかりで、暗に連携した既得権が膨張し、スピードは失われ、変化を拒む、そのまま女・若者・非正規・外国人労働者を縛って搾取してればいいじゃないのという時代錯誤な国になってコロナ禍を迎えたのである—




Out of Control (1980 - Boy)
I Will Follow (1980 - Boy)
U2はアイルランドの首都ダブリンを拠点とする4人組ロックバンド。当初はジョイ・ディヴィジョンの影響下にある沈んだ空気を切り裂くようなギターサウンドを特色とするポストパンクであったが、正攻法な演奏と熱心なライブ活動で英⇒米国⇒世界へと人気を獲得。



October (1981 - October)



New Year's Day (1983 - War)
Sunday Bloody Sunday (1983 - War)



The Electric Co. (1983 - Under a Blood Red Sky)



Pride (in the Name of Love) (1984 - The Unforgettable Fire)
The Unforgettable Fire (1984 - The Unforgettable Fire)



Bad (1985 - Wide Awake in America)



With or Without You (1987 - The Joshua Tree)
I Still Haven't Found What I'm Looking for (1987 - The Joshua Tree)
Where the Streets Have No Name (1987 - The Joshua Tree)
Bullet the Blue Sky (1987 - The Joshua Tree)
84年からスティーヴ・リリーホワイトに代わりブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデュースを担当。骨太で宗教的な荘厳さの漂うサウンドによりアルバムと1st・2ndシングルが米1位となる人気爆発。ローリングストーンズから「世界一のロックバンド」の称号を奪う。



Mysterious Ways (1991 - Achtung Baby)
One (1991 - Achtung Baby)
私の毎週のチャート前期(1980⇒91)最後の1位となったのがOneであった。ライブの動員力やBonoの社会的発言・慈善活動など影響力は依然として大きいが、このアルバムより後は音楽的には保守化・低迷。セレブ気取りの糞ロックバンドと化してしまう。



Passengers / Miss Sarajevo (feat. Luciano Pavarotti) (1995 - Single)



Beautiful Day (2000 - All That You Can't leave Behind)



The Hands That Built America (2002 - Gangs of New York OST)



Vertigo (2004 - How to Dismantle an Atomic Bomb)



I'll Go Crazy If I Don't Go Crazy Tonight (2009 - No Line on the Horizon)


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