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20 Best Queen Songs

2020-07-16 17:16:33 | 音楽
これ自体私の偏見ですが、若いころクイーンやチープ・トリックの来日公演で黄色い声援を送っていたような、いま主婦になっている女の大半は同性愛者を差別しAIDSに偏見を持っていると思う。彼らのホテルを訪ねるような熱心なグルーピーはともかく、白人ロックバンドのファン女性にとって彼らは少女漫画的ファンタジーであり現実とは別なのである。




sa @syachikuha_heki 7月12日
ところで今日のインテ、目の前のスペースはこんな感じです
ジャンルは分からないけど…(私は鬼徹)
目の前じゃなくて後ろ側はそれなりに参加してる気がするからジャンルによって本当にばらつきはあるけど、全体的に島の一辺で3〜4サークル参加、壁も欠席のところが半分以上かなぁと


この日大阪で行われた同人イベントは欠席が目立ったようだ。いわゆる腐女子、女のオタクはほとんどの場合ハードな男性同性愛を題材としているため家族に、あるいは職場で自らのオタク活動を隠している場合が多い。なので万一会場でコロナ感染となった場合非常に困るわけだ。もちろん非常時なので家族・友人・同僚のためを思って趣味・遊びを控える気持ちの方が強いと思いますが。

家庭と会社。人間関係と利害関係が不可分に連なった「世間」。ツイッターで「家族を守るため私は差別をします」というのが回ってきて、もちろん私は即ブロしましたが、親が子どもに危険な地域に行ってほしくないとか良い学校・会社に入って良い人たちと付き合ってほしいと願うのは自然。中流階級は下を遠ざけ、願わくば上流に加わりたい。ロック本来の黒人音楽の要素が希薄でクラシック、とくにオペラ的な歌謡の流れを汲むクイーンの音楽はまさにリスクを避け貴族的な白人に近づこうとする昭和の日本女性にふさわしい。




Keep Yourself Alive (1973 - Queen)


Seven Seas of Rhye (1974 - Queen II)
The March of the Black Queen (1974 - Queen II)
ロック的な見地からはこの2ndと次のSHEER HEART ATTACKが世評高いようだ。クイーンはギターのブライアン・メイとドラムスのロジャー・テイラーが在籍したスマイルというバンドを母体としボーカルのフレディー・マーキュリーとベースのジョン・ディーコンが加わって1971年に結成。以来不動のメンバーで活動、ギターとボーカルを何重にも重ねた華麗なサウンド、またメンバーのルックスもよく、ライブパフォーマンスに定評があり世界的な人気を誇った。1991年にマーキュリーが死去してからもゲストのボーカルを迎え断続的に活動している。



Killer Queen (1974 - Sheer Heart Attack)
Stone Cold Crazy (1974 - Sheer Heart Attack)



Bohemian Rhapsody (1975 - A Night at the Opera)
You're My Best Friend (1975 - A Night at the Opera)



Somebody to Love (1976 - A Day at the Races)
Teo Torriatte (Let Us Cling Together) (1976 - A Day at the Races)
You Take My Breath Away (1976 - A Day at the Races)



We Will Rock You (1977 - News of the World)
We Are the Champions (1977 - News of the World)



Don't Stop Me Now (1978 - Jazz)
FM東京のポップスベスト10で1位になったこれを聞いたのが出会いでしたね。当時洋楽がテレビで流れることは少なかったがラジオでは多く、クイーン、キッス、イーグルス、レッド・ツェッペリンはとくに人気があり、洋楽のヒット曲は売り上げ以上に中高生の人口に膾炙していた。米国でも大きく成功したTHE GAMEからの2ndシングルSave Meはオリコン96位に過ぎなかったが上記FM番組では80年の年間1位に。



Crazy Little Thing Called Love (1979 - The Game)
Another One Bites the Dust (1980 - The Game)



Queen & David Bowie / Under Pressure (1981 - Hot Space)
Body Language (1982 - Hot Space)
前作から当初マイケル・ジャクソンのために書かれたというディーコン作曲の4thシングル「地獄へ道づれ」が米1位の成功を収め、80年代の彼らはソウルの要素なども取り入れてより総合芸能化してゆく。このアルバムに収められたBack Chatもソウルフルであったが日本で人気のあったジャパン初期のAdolescent Sexの盗作ではないかといわれ、またBack Chat自体も翌年の田原俊彦「シャワーな気分」をはじめいくつものパクリ疑惑を呼ぶことに。



Radio Ga Ga (1984 - The Works)



The Show Must Go On (1991 - Innuendo)
85年に英米同時中継で行われたライブ・エイドでは再結成のザ・フーとレッド・ツェッペリンが共にふるわず、商業的に成功しても軽視されがちだったクイーンはフレディー・マーキュリーの圧倒的なパフォーマンスによって音楽的にも尊敬をかち得る。しかしAIDSを引き起こすHIVの潜伏期間は数年と長く、このときすでにマーキュリーの肉体を蝕んでいたと思われる。91年11月、スポークスマンを通じて闘病中であることが公表された翌日24日に死去。遺作となったこのアルバムもヒット中であったがさらにBohemian Rhapsodyが2度目の英1位、エルトン・ジョンらを迎えた追悼コンサートも大反響を呼び、近年の映画も各国でヒットして伝説的ロックバンドの座に。



Freddie Mercury / Living on My Own (Remix) (1993 - Greatest Hits III)


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