
@渋谷シネマライズ、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督。
「その曲を本気で聴いた者は、悪人になれない…」
1984年、東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省シュタージ局員のヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)と舞台女優である恋人のクリスタ(マルティナ・ゲデック)が反体制的であるという証拠をつかむよう命じられる。成功すれば出世が待っていた。
しかし予期していなかったのは、彼らの世界に近づくことで監視する側である自分自身が変えられてしまうということだった。
国家を信じ忠実に仕えてきたヴィースラーだったが、いつの間にか反体制のはずのドライマンとクリスタの自由な思想、音楽、文学、生活、そしてクリスタに忍び寄る権力のみにくい姿などに触れるうち、今まで知ることのなかった新しい人生に目覚めていく。
ふたりの男女を通じて、あの壁の向こう側へと世界が開かれていくのだった…。
たとえ日本代表が『フラガール』でなくて『嫌われ松子の一生』だったとしても、アカデミー外国語映画賞はこの映画のものだったかもしれない、それくらい「本当のことをいかに映画という形で伝えるか」ということに心をくだいた様子がうかがえる。
主演のウルリッヒ・ミューエは東ドイツ出身で、自身も監視の対象であったとか。
もう歴史の1ページやけど、確かに東ドイツと西ドイツがあって、もう東ドイツはオリンピックで異常なまでに強くてよお。
東ドイツ=ドイツ民主共和国、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国、子ども心にも「どこが民主やねん!」とツッコミを入れたくなったものである。
西欧と共産圏のはざまに位置していたドイツが敗戦の後に分断国家になってしまったことよりも、日本でなくて朝鮮半島が今現在も同じ民族で分断されていることになんとなく釈然としないっすよ、ほんのわずかでも後ろめたさとか覚えずにいられるだろうか。
「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による(従軍慰安婦の)いわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との答弁を閣議決定。
「いわゆる」とか「直接」とかに苦しさにじんでるにしてもよお、日本人からしてみたら「バカが総理大臣をやっている」で済まされるけど、外国人には「これが日本人の公式見解」と思われてしまうからね。
50年とか100年のスパンで歴史を大づかみに見るってことができないのな、日本人は。
6者協議でも拉致のことばかりにこだわって、すっかり日本だけ蚊帳の外に。
あんな「日本国」と「オウム真理教」の中間みたいな怪しげな国が、拉致を認めて被害者の一部を返したこと自体、ちょっと驚き。大韓航空機爆破とかしてるんだぜ。
しかしドイツ人もこれほどすごい作品を作るまでに、統一から15年を要したのである。
過去に苦しいことのあったほうが、未来により多い実りをもたらすとも言えるのかもしれない。苦しみを直視することをいとわなければ。








