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1991 — 東京世界陸上

2019-09-25 19:13:12 | メディア・芸能
陸上競技の第3回世界選手権東京大会は1991年8月23日から9月1日まで行われ、43種目のうち3種目で世界新、15種目で大会新記録が生まれた。とくに男子走幅跳ではオリンピック連覇中のカール・ルイスと、同じ米国代表のマイク・パウエルが稀にみる水準で激闘を演じ、パウエルが5回目に跳んだ8m95は1968年のメキシコ五輪でビーモンが記録した8m90を23年ぶりに破るもので、この世界記録じたいも現在まで破られていないという歴史的なものとなった。ホスト国の日本からは谷口浩美が男子マラソンで優勝、女子マラソンでも山下佐知子が2位となって駅伝マラソンの人気をさらに高めたが、男子400mの高野進が決勝進出して「ファイナリスト」という言葉を一般化させるなど、それまでの駅伝マラソンに偏った強化・観戦が一般種目にも広がるきっかけとなる成功を収めた。


30歳となったカール・ルイス。同じクラブの後輩リロイ・バレルに男子100mの世界記録を更新され、世界陸上3連覇に黄信号が灯ったが、9秒台6人の決勝を9秒86の世界新記録で制す。この後の走幅跳の激闘、最終日には4×100mリレーも世界記録で制し、3つの世界記録すべてに絡むという千両役者ぶり。


マラソンは暑さを避け早朝にスタート。折り返し点手前ではソウル五輪覇者のロサ・モタ(595)、ポーランドのワンダ・パンフィル、日本の山下佐知子(右)と有森裕子らが先頭集団を形成。モタはその後棄権し、終盤パンフィルが逃げ切り優勝。


男子10000mは日本の3選手が決勝進出。この年の2月に初マラソンで優勝した森下広一(右)が10位、浦田春生が11位。ケニアのモーゼス・タヌイが優勝。


女子400mで優勝したフランスのマリージョゼ・ペレク。スーパーモデルのよう。


男子棒高跳は王者セルゲイ・ブブカ(ソ連)が苦戦。5m90を1回目失敗すると残りをパスして5m95に賭けたが1回目失敗、5m90を成功させたイシュトバン・バジュラ(ハンガリー)の番狂わせかと思われた。しかし最後のチャンス、ブブカは見事な集中力でバーを大きく超え、バジュラが失敗したため3連覇を決めた。ソ連でクーデターが起り、故国ウクライナが独立を宣言するなど政治情勢が影を差す辛勝。



8月30日の男子走幅跳。ルイスの8m91は2.9mの追い風参考ながら2番目の8m87は向い風(0.2m)で、ほかも見事な跳躍。彼の最後が8m84と表示されると、パウエルはルイスの肩を抱き、審判に抱きつき、喜びを爆発させて絶叫しながら駆け出した—


男子マラソンは有力者のワキウリやイカンガーが直前で欠場することになり、日本の3人の前に立ちはだかるのはジェリンド・ボルディン(イタリア)とスティーブ・モネゲッティ(左画像の51・オーストラリア)かと思われた。東京の猛暑は彼らのスタミナを奪い、中山竹通も棄権、先頭集団はみるみる絞られ、35km付近からジワジワ差を広げた谷口浩美が会心の勝利。補欠から出場することになった篠原太も5位と健闘。


最終日の男子4×400mリレーは米国と英国が終始接戦。アンカーに400m優勝のペティグリューを据えた米国が逃げ切るかと思われたが最後の直線で400mハードル3位のアカブシが逆転、英国が劇的な優勝(以上の画像は陸上競技マガジン1991年10月号などから)

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