1978~79年にかけ、世の中は沢田研二にウンザリしていた。彼が77年に「勝手にしやがれ」でレコード大賞を受けたとき、シングル盤の売り上げではピンク・レディー、保守的な歌謡曲リスナーの支持では石川さゆりがまさっていたものの、過去の実績が圧倒的なことでこれはすんなり決まった。
しかし翌年にザ・ベストテンが始まり人気を集めると、後輩歌手に交じって常に1位を狙う沢田のやり方はあざとさを増してゆき、早くも人気が落ちてきたピンク・レディーのレコード大賞受賞を阻もうと、こってりした不倫スローバラードの「LOVE(抱きしめたい)」で歌唱力をアピールする沢田に対し「渡辺プロのゴリ押し」という批判が起り始める。
いや、表立ってはそういう批判は聞こえなかった。しかし翌79年秋に彼がまたもや賞レースを意識したスローな曲「ロンリー・ウルフ」をリリースすると、世間は完全にソッポを向き、悪い曲ではなかったが10位以内にも入らない惨敗。同じころ、世界を舞台に同じように飽きられ、6曲連続米1位の絶頂から次のリリースは惨敗という経過を辿ったのが今回のビージーズである。
Spicks and Specks (1966 - Bee Gees 1963-1966)
To Love Somebody (1967 - Bee Gees' 1st)
映画『サタデーナイトフィーバー』の主題歌などで一世を風靡したビージーズ。1946年イギリス生まれの長兄バリー・ギブ、3年後に双子として生まれたロビンとモーリス・ギブがビージーズの創設メンバー、ほか姉と後にソロデビューしたアンディ・ギブの5人きょうだい。子ども時代に父の仕事の都合でオーストラリアへ渡り、そこで音楽活動を開始。60年代初めから3兄弟以外のメンバーも含むボーカルグループ、ビージーズとしてテレビやラジオの番組を持ち、63年にレコード・デビュー。オーストラリアでの高い人気がイギリスの音楽産業の目にも留まり、67年にポリドール、米アトコと契約。ブリティッシュ・インベイジョンの波に乗り快調なスタートを切る。
Massachusetts (1967 - Horizontal)
Words (1968 - Horizontal)
I've Gotta Get a Message to You (1968 - Idea)
First of May (1969 - Odessa)
初期のソフト・ロック調の親しみやすい曲は日本でも人気を呼び、「マサチューセッツ」は草創期のオリコン誌で洋楽初のヒットチャート1位に。70年代に入ってやや人気が低迷したが、69年のアルバムODESSAからMelody Fairが映画『小さな恋のメロディ』で使用され、主演の子役マーク・レスター人気にも煽られわが国のみで大ヒット(71年)
Lonely Days (1970 - 2 Years On)
Al Green / How Can You Mend a Broken Heart (1972 - Let's Stay Together)
Run to Me (1972 - To Whom It May Concern)
Jive Talkin' (1975 - Main Course)
Nights on Broadway (1975 - Main Course)
1973年から74年、売り上げ不振におちいった彼らは75年、アリフ・マーディンをプロデュースに起用して大胆にソウルミュージックに接近したアルバムMAIN COURSEを成功させて一線に返り咲く。特徴ある裏声ハーモニーもこの頃から。
You Should Be Dancing (1976 - Children of the World)
How Deep Is Your Love (1977 - Saturday Night Fever)
Yvonne Elliman / If I Can't Have You (1977 - Saturday Night Fever)
Stayin' Alive (1977 - Saturday Night Fever)
Night Fever (1977 - Saturday Night Fever)
Andy Gibb / Shadow Dancing (1978 - Shadow Dancing)
1977年から78年にかけディスコ・ブームを呼んだ映画『サタデーナイトフィーバー』サントラ盤の中心となった彼らの歌声は世界を席巻、末弟アンディ・ギブも歌手デビューし、ほか提供した曲も含め、1977年最終週から32週にわたって米1位を占めた。78年暮れのSPIRITS HAVING FLOWNからもサントラ盤に続いて3曲の米1位ヒットを生むものの、さすがに耳につく裏声コーラスは飽きられ始め、以降はアメリカでの大ヒットからは遠ざかることに。
Frankie Valli / Grease (1978 - The Definitive Pop Collection)
Tragedy (1978 - Spirits Having Flown)
Barbra Streisand / Woman in Love (1980 - Guilty)
Barbra Streisand / The Love Inside (1980 - Guilty)
Living Eyes (1981 - Living Eyes)
Dionne Warwick / Heartbreaker (1982 - Heartbreaker)
Kenny Rogers & Dolly Parton / Islands in the Stream (1983 - 21 Number Ones)
Diana Ross / Chain Reaction (1985 - Eaten Alive)
You Win Again (1987 - E.S.P.)
One (1989 - One)
For Whom the Bell Tolls (1993 - Size Isn't Everything)
Alone (1997 - Still Waters)
Feist / Inside and Out (2004 - Let It Die)
80年代以降、彼ら自身は英国で依然ヒット曲を出し続けたものの他アーティストへの楽曲提供の方で好成績が目立つように。80年にバリー・ギブとバーブラ・ストライサンドが全面共演したアルバムGUILTYに収録されたThe Love Insideの流麗なメロディーからは、長兄バリー・ギブの作曲能力こそビージーズのサウンドの核なのではないかと察せられる。バリーとバーブラは2005年にも共演を果たすが2003年にモーリス・ギブ、12年にはロビン・ギブも亡くなり、ビージーズとしての活動は終止符を打った。
☂2013年11月の記事「作曲家ギブ兄弟 — 30 Best Bee Gees Songs」を改題改稿しました。
3兄弟、英国生まれだったんですか!
それは知りませんでした。
メロディがいいんですよね!
『サタデー・ナイト・フィーバー』、当時、劇場で観たのですが、そのときはトラボルタのダンスに目を奪われてしまったんです。
後でテレビで観直したときに、すごくいい青春映画だった事に気づきました。
裏声はともかくビージーズはいい曲いっぱいあって初期にも隠れ名曲とかあるっぽいです。サウンド的に斬新というわけでないのでヒップホップのサンプリングとかでは使われませんが、専業歌手的な人に正面からカバーされることが多いようですね。
マーク・レスターも「マー君」!?
子役をうまいこと脱皮できずに映画界を去った…