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私はあなたのニグロではない

2019-06-05 17:52:24 | 映画(映画館)
I Am Not Your Negro@早稲田松竹/監督:ラウル・ペック/原作:ジェームズ・ボールドウィン/出演:キング牧師、マルコムX、メドガー・エヴァース、ジェームズ・ボールドウィン、シドニー・ポワチエ、ボブ・ディラン、マーロン・ブランド、ジョーン・クロフォード、ロバート・F・ケネディ、バラク・オバマ/ 2016年アメリカ・フランス・ベルギー・スイス

差別が当たり前だった時代から、 人々はどのように声を上げ世界を変えていったのか―?

2017年初頭。トランプ政権がスタートしたアメリカで、一本のドキュメンタリー映画が異例のヒットを記録した。黒人文学のレジェンドであり、公民権運動家だった作家ジェームズ・ボールドウィンの原作を映画化した『私はあなたのニグロではない』だ。本作は、ボールドウィンの未完の原稿「Remember This House」を基に、彼の盟友であり30代の若さで暗殺された公民権運動の指導者メドガー・エヴァース、マルコムX、キング牧師の生きざまを追いながら、60年代の公民権運動から現在のブラック・ライブズ・マターに至るまで、アメリカの人種差別と暴力・暗殺の歴史に迫る。

監督のラウル・ペックは、映画で語られる言葉のひとつひとつをボールドウィンの本、エッセイ、インタビュー、講演など彼が実際に発言した言葉を使って構成した。60年代と現在を交互に映し出す映像に、アメリカの現状を嘆き、鋭く批判するボールドウィンの言葉が重なり、50年経った今でも人種差別をめぐる状況が変わらないことが明るみに。テレビCFやハリウッド映画が刷り込む「正しく美しい」白人の姿と歪められた黒人のイメージ。意図的に黒人への偏見が定着させられ、無知や先入観による差別が再生産される、米国の正体が解き明かされるさまは衝撃的だ。

「差別とは何か」を語るボールドウィンの、火のように熱く、知性的で明瞭なスピーチが置かれたラスト。不寛容が広がり、分断が危険なまでに深まる時代。この映画はわれわれに、よりよい未来へと歩む道しるべを与えてくれる。


私がささげた その人に
あなただけよと すがって泣いた
うぶな私が いけないの
二度としないわ 恋なんか
これが女の みちならば 宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」1972

3番の歌詞では、暗い坂道をゆこうとも、きっとつかむわ幸せを~となるのですが、純情な処女が、男に捨てられて泣く歌詞の曲が、この4年後くらいまでわが国で最も売れた大ヒットだったのである。

演歌・歌謡曲は不倫の曲がまことに多い。しかも男の歌手が女の立場で女言葉で歌う。クールファイブのヒット曲はほぼすべて。沢田研二や西城秀樹の曲は逆に若い男の立場で、年上の人妻が不幸にならないよう身を引くという、いずれにせよ不倫だ。

水商売の女を探す男~というテーマの「昔の名前で出ています」と「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」も大ヒット。水商売の女はお金のため多くの男に媚びを売らねばならない。恋愛に発展する場合もあるとは思うが、一途に男を待ちながら、いや待つためにも水商売を続けるなんてことがあるのだろうか。女は無知で純情な処女であってほしい身勝手な男の幻想では。

シロート童貞の印象論に過ぎないが、女って元彼の悪口をけっこう言いますよね。モテる子なら二股三股を掛けて、結局縁談は別口から~なんてこともざらでしょ。女だって性欲あるよ。女が社会の主導権を握れば、痴漢なんかは絶対に許さないが、イケメンから接客や性的サービスを受けられる水商売が林立するでしょう。女が泣く不倫の歌は小学生でも歌えて、そういう現実は大のオトナからも隠されがちなのが男尊女卑ニポン低国—😛 


俺は犬を扱わないだろうよ(おまえが俺を扱ったようには) Bobby "Blue" Bland / I Wouldn't Treat a Dog (The Way You Treated Me) (1974)

この映画の中ほど、ボールドウィンがTV出演して、作家だか何らかの文化人である白人男性と討論する。白人おじさんが「私は無学な白人よりはあなたのような教養ある黒人に親近感を覚える。あなたもそうである筈だ。白人だからとか黒人だからとかではない」と言うのに対し、ボールドウィンは「大戦後すぐ、私はパリへ渡った。アメリカでは身の危険を覚えるからだ。街でもどこでも必ず悪意ある視線を浴びる。黒人というだけで襲われ、最悪殺される。警察も黒人には偏見と悪意をもって対する。白人には見えないこの国の現実だ」と返し、客席から拍手が起こる。

女も、女というだけで悪意ある視線を受けることがある筈だ。男には分らない。だから米国の黒人音楽は、現実には男尊女卑であるが、せめて歌の中では、男が弱い立場で女をかきくどく、哀願するような歌詞・ボーカルが多数である。ジェームズ・ブラウンのMan's Worldは男根原理そのものがテーマながら「男がすべてを作った。でも女がいなければすべては虚無だ」と悲痛。

私と同年代の漫画家さんと酒を飲む機会があって、音楽好きの彼が若い友人知人と話をすると、彼が良いと勧めるマイルス・デイビスのマイナーなアルバム、あるいはストラングラーズやバズコックスといった今では流布していない英パンクを、どうせつまらないに決まってる!という風に決めつけられてしまうのだという。自分が知らないのは、相手に価値がないから。ネットやバカホの普及によって玉石混交の情報があふれ、かえって狭い檻に囚われたままでよしとする人が増えたような昨今である—📲 
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