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エクス・マキナ

2016-10-13 19:37:48 | 映画(映画館)
EX MACHINA@早稲田松竹/監督:アレックス・ガーランド/撮影:ロブ・ハーディ/編集:マーク・デイ/出演:ドーナル・グリーソン、アリシア・ヴィキャンデル、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ/2015年・イギリス、アメリカ

正直なのは人間か? 人工知能か?

検索エンジンで有名な世界最大のインターネット会社“ブルーブック”でプログラマーとして働くケイレブは、巨万の富を築きながらも普段は滅多に姿を現さない社長のネイサンが所有する山間の別荘に1週間滞在するチャンスを得る。 しかし、人里離れたその地に到着したケイレブを待っていたのは、美しい女性型ロボット“エヴァ”に搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能のテストに協力するという、興味深くも謎めいた実験だった…。

意識・感情・性、そして真実と嘘。
全てがアップデートされた、最新のSFスリラー


IT企業のCEOが所有する山あいの邸宅に招かれ、人工知能のテストに協力することになったプログラマー。しかし実験は次第に怪しげな心理戦と化し、人間と人工知能の主従関係は崩壊していく――。 『28日後...』『わたしを離さないで』で脚本を務めるなど、数多くの話題作を手掛けているアレックス・ガーランドが満を持しての監督デビューを果たし、インディペンデントの低予算作ながら本年度アカデミー賞視覚効果賞を受賞、脚本賞にもノミネートされた話題作が『エクス・マキナ』だ。

『アバウト・タイム ~愛おしい時間について~』 のドーナル・グリーソン、『リリーのすべて』のアリシア・ヴィキャンデル、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』のオスカー・アイザックという、いまハリウッドで最も注目される若手実力派の3人が、物語の鍵を握る人間&人工知能を巧みに演じる。優れたスリラーであると同時に、人間存在の根源的な意味を問う本作。スタイリッシュなヴィジュアルや音楽で彩られた、新感覚の作品の誕生である。




夜のうどん職人トンダ ‏@R18Tonda 10月11日
スケベ漫画読んで「お尻に突っ込んだちんちんをそのままマ◯コに突っ込むと危ない」とかしたり顔で言う大人になんてなりとうない!

ぽっこら @poccora_ 10月11日
「ちんちんがすでに危ない」って出鼻挫いてくる輩もいるんだよ信じらんない。


生でアナルに挿入すると病気になる可能性が高い。逆に、病気になる筈なのに、なぜ登場人物たちが平気でそういうことをしているのか、気になって読み進められない神経質なタイプの人もいる筈だ。エロ漫画に対していちいち指摘するのは野暮というものだが、大事なことだから、いちいち言う役割の人もいてよい。

気にならないのは、不都合な真実に蓋をする「ご都合主義」が、エロ漫画のみならず、あらゆるものごとに蔓延しているからだ。ジョージ・ルーカス監督は「宇宙では音はしない筈では?」と問われ、「僕の宇宙ではするんだ」と答えたとか。なかんずくSFにおいて、ご都合主義というか、科学的な裏付けがなくとも、この作品の中ではこうなんです、というお約束が多すぎる。

ドラえもんの秘密道具に、一度でも裏付けが与えられたことがあるだろうか。とうてい不可能なことだらけ。これは科学でなく、魔法である。オカルトだ。オカルトの語義は「隠す」。この世のことわりを解き明かす科学とは、そもそも方向性が真逆。




きら星のごとき、ユダヤ系の音楽家たち。特筆すべきは、ボブ・ディラン、イギー・ポップ、スティーリー・ダン、ビースティー・ボーイズなど多くの場合、彼ら自身が既に一つのジャンルであるといえるくらい独創的で、その後フォロワーはいても、ずっと抜きん出た存在であり続けていること。

まるで生物の進化のようだ。はるか太古から同じ姿をしているトンボやゴキブリもいれば、大いに繁栄したが一転絶滅してしまった種も。人類は地球の新参者だが、いまや満ち溢れ、化石燃料を燃やし、生命と似たものを自ら作りだそうとまでしている。

この営みは成就するだろうか。ホーキング博士が警鐘を鳴らすように人工知能はやがて自ら進化して人類を駆逐するのだろうか。この映画は、かつて見た『チャッピー』ほど、その困難さをSF特有のご都合主義で解決してしまってはいない。もっとシリアスだ。人工知能が、その優秀さを自ら証明できるよう、開発者のブルーブック社長はそれに美しい女の義体を与え、優秀だが独身のオタク的な男社員を誘惑させる。社長は「検索エンジンのシェアを握ることで人の欲求を完全に理解した」と驕りたかぶるエゴイスティックな男で、東洋人に似せた別の義体を酌婦兼夜伽として侍らせている。キョウコという名だ。

この驕りが油断につながり、クールで鮮やかな結末を招く。日本人ならオタク社員と人工美女を結ばせるだろうが、もちろんそうはならない。甘くはない。甘くないが、それでもやはりSFのご都合主義から逃れ得ているわけではない。人の、表面に現われているあらゆる情報を解析すれば、人を凌ぐ人工知能が生まれるだろうか。私はこれは、生命の長い歴史を無視し、ある部分に特化して人に似せた(一例として囲碁や自動運転)稚拙な道具に過ぎないと思う。命や人体や脳は、まだ完全に解き明かされたわけではない。ユダヤ人の音楽には、彼らの苦難の歴史が反映され、凝縮されており、人工知能が例え音楽だけに特化したとしても生み出せるものではない。

しかしこの映画には教訓がある。科学には実験が不可欠だ。グーグルになぞらえたブルーブックのように、グローバル化した大企業は、さらなる優位を築くため、人を実験材料とするのに躊躇しないだろうということ。キョウコは英語が分からない設定の性奴隷ロボット。「VRのポルノ早く」と待ち焦がれる日本のオタクは格好の被験体となることでしょう—


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