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日本幻景 #10 - 着色写真

2014-10-31 20:42:51 | Bibliomania
このシリーズが「日本幻景」と称しているのは、1974年、横尾忠則の装丁により出版されたバートン・ホームズ氏(Burton Holmes, 1870-1958)の写真集から想を得たものである。

ホームズはシカゴの銀行家の家に生まれ、十代でアマチュアのカメラマンのグループに加わって、各地を旅行して撮った写真をスライド上映して解説を加えるという講演会を発案、長じてそれを「トラヴェローグ」と名づけ、専門の写真家となった。
彼が旅したのは欧米に限らず南米、シベリア、インド、ビルマ、エチオピアなど世界中に及び、特にわが国には22歳で初めて訪れて以来、明治から昭和まで計10回の訪日を重ね、さまざまな風景や人びとの様子を撮影、日露戦争では政府から従軍取材を許されるほど親日家として知られた




富士山。「扇子の形を逆にした」というのがホームズの見立て




大きな階段道路の左右に温泉宿が密集する上州・伊香保。明治期すでに浴客が一日1500人を数える繁盛だったという




日光東照宮詣ではもっぱら徒歩。外国人や金持ちを乗せた人力車が追い越してゆく




「天の橋立」は股間から見ると絶景とされる




向島の小料理屋で芸者をあげて楽しむ夫婦(右側)。撮影時、マグネシウムの光で女中が驚いたという。 –(以上すべて『日本幻景』より、読売新聞社・1974)




ホームズの旅行写真は、モノクロ写真に職人が彩色してカラー化され、講演でスライド上映された。
この手法は、音楽CDのカバー写真でもしばしば見かける。多くは古い作品の編集盤だが、↑左下はナイジェリア系の英バンドによる今年の作品で、人物の衣服の一部のみ着色しレイアウトしている




後年には東洋の民芸品・骨董品を集めた部屋でお香を炊いてくつろぎ、そこを「ニルヴァーナ」と呼んでいたという、バートン・ホームズ。
彼が各国を訪れて残した写真のうち、日本のものには説明文(キャプション)が添えられていないというが、彼にとって日本の写真は自己の分身のような創作物の面があったのかもしれない。

10月19日、NHKスペシャル枠で、過去のモノクロ動画に最新のデジタル技術で彩色したという『カラーでよみがえる東京 -不死鳥都市の100年-』なる企画を目にすることができたが、ホームズのような趣味性・作家性を感じることはできなかった–
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