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おたすけ人走る!にみるアスリートの商品価値

2012-08-13 22:25:54 | マンガ
「人類は4年に1度夢を見る」って、昔どこかの凡庸な映画監督がのたまったとか。
いや今回ほど、最初から最後までその夢をほとんど共有することなく終えたオリンピックもなかったなと。
日本人だからといって代表選手が勝って「勇気や感動をもらえました」なんて気持ちはさっぱり湧かないし、負けたってぜんぜんどうでもいい、水泳や柔道なんかむしろせいせいするくらいだ。関係ないよ、体育会の奴らなんか。
というか、体育会の連中にしたって、同じ時期にインターハイとか夏の全国高校野球が開催され、そこに出てる選手や家族や関係者はオリンピックどころでなく、金メダルを獲った選手の顔も名前もろくすっぽ関心ないだろ。
いずこも「夢を見させる側」はそんなものか。




弓月光さんの『おたすけ人走る!』(1~3・集英社)は、少女マンガ時代の代表作『エリート狂走曲』の翌1979年週刊マーガレットに連載され、生徒数の減少に悩む女子高がスポーツしか能のない少数の男子を特待生として受け入れ、学校の宣伝役として急造野球部で夏の甲子園大会出場を狙うという、学歴エリートに代わってスポーツ馬鹿を扱うだけに、よりドタバタ色やエロス&ヴァイオレンスの強く表れた作品となっている。
学校の名は「PR学園」といい、他にも対戦する校名や選手・指導者のキャラクターなど、随所に当時の野球界・スポーツ界の様子が反映されて興味深い。






完成度では劣るとしても、このマンガにも『エリート狂走曲』と同様の先見性が。
聞いた話では、アメリカの高校生は1つのスポーツに専念することを法律で禁じられ、やるとすれば複数掛け持ちでってことなんだそうな。それは人格の偏りを招くからなのかは分からないが、本作の主人公・織田助作もさまざまな種目をこなす“器用貧乏”ながらも、こと勝負となると手段を選ばないたくましさを発揮する一方、ライバル・キャラの加藤は野球一筋で、PRを甲子園に導くも、逆境におちいるとひ弱さをのぞかせるという設定だ。
↑に掲げた2つのコマの下の方も秀逸。出場が決まっただけの段階で「(甲子園大会の)優勝旗を担保に借金」する発想があるとすれば、後に横綱・輪島が花籠部屋を継ぎ、自らの年寄株を担保に借金するくらいは自然な成り行きだといえよう。
甲子園や大相撲はもちろん、子どもにスポーツをやらせるのは何かとお金がかかる。中産階級のお稽古事。
その意味で、例えばこのたび金メダル・ラッシュに沸き、TV観戦のため酒やつまみも盛んに売れたという韓国では、全国高校野球のような地域に根付いた裾野としてのスポーツのあり方は考えにくい。政財界を地縁・血縁で結びついたパワー・エリートが牛耳るのと同様、ごくわずかな才能ある選手を国が選んで養成する仕組みのようだ。
お稽古事としての学校・地域スポーツには、上意下達のタテ社会に耐えられるハートの強さをはぐくむ面もあろうが、そもそも韓国には兵役もある。すなわち、男子サッカー3位決定戦で日本を破った直後の韓国選手は、兵役免除という特権を得たことを覆い、私もみなさんも“一つの韓国”なんですよという「いつわりの夢を見せる側」に回って無意識的に行動したとも考えられよう。
今どきのグローバル経済で、ことさら「国の単位で争う」なんてのが強調されるのはスポーツと領土問題くらいだ。オリンピックほど利権にまみれて政治的な場もそうそうないと思えば、近年興味が薄れてきたのにも合点がいく。それではみなさん、8年後にイスタンブールでお会いしましょう。


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