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軍隊めし

2010-05-29 22:27:54 | 読書
『海軍めしたき物語』高橋孟(新潮社)
徳島から東京へ出て製図工として働いていた著者は日中戦争たけなわの昭和15(1940)年に徴兵検査を受けることになり、さっそうとした水兵の姿に憧れて第一志望を海軍・機関科、第二志望を同・主計科とする。そして翌年、海軍主計科に入隊することになるのだが、主計科といっても事務にたずさわるには相当の学校を出ていなければならず、彼が従事することになったのは“烹炊(ほうすい)作業”、つまり「飯たき兵」で、しかも艦が大きいほど軍規が厳しくなるといわれて♪死んでしまおか霧島いこか、とまで歌われた戦艦『霧島』に乗艦することになった。
霧島は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など日米開戦の主たる作戦にも就くが、鬼のような旧三等兵からビンタをくらいながら烹炊所にいた彼にとって、戦況を知ることはほとんどできなかった。やがて彼は海軍潜水学校を経て海軍経理学校へ入校し、卒業後に砲艦『武昌丸』に乗り組むことになる。フィリピンやベトナムにも寄港するが、戦況はだんだんと悪化し、南シナ海で米潜水艦による魚雷攻撃を受けて武昌丸は沈没する─。



沈没して4時間ぐらい過ぎた頃だったか、眠るまいと努力し、例によって腹に力を入れたり星を数えたりしていた時だった。私の右足に、突然バットで思い切り殴られたようなショックを受け、飛び上がるほど驚いた。私の右手が反射的に水の中の足(右の膝小僧の上)を押さえたら、ゴボリと凹んで肉がなくなっているのだ。
私はとっさに「フカだァ!」と大声で叫んだ。叫んだというより悲鳴だった。私はフカだと直感したからだ。と同時に、「バタ足しろ!」と誰かが言って、みんなが力一杯バタ足を始めた。
寒さをこらえるのが精一杯で、フカの警戒など思いもよらぬ事だった。いっぺんにみんな、目を覚まされてしまった。私は左の手で筏を持ち、右手で傷口を押さえたが、掌では押さえきれないほど大きく窪んでいる。それでも掌を反らすようにして傷の底を押さえるようにしたら出血は相当ひどいようで、ちょうど血管から吹き出す血が、掌でチョロチョロ出ている水道の蛇口を押さえているような感触だった。痛いというより右脚全体がシビレたようになって、すごく重い。
筏は元の状態にもどって、チャプチャプと波の音がするだけである。バタ足も、みんなはこれ以上続ける気力もないのだ。暗くて表情はわからないが、私同様、うつろな目をして精一杯筏にしがみついているに違いなかった。誰一人、声を出す者もない。私が「フカだ」と叫んだからバタ足をしただけで、私が重傷の状態であることを知るはずもないのである。知らせたところで、誰も助けてくれる者などあろうはずもない。



著者・高橋孟氏が田辺聖子の作品にイラストを提供していたのが縁で、彼女が『面白半分』誌の編集長を務めた際に勧められて執筆。昭和54(1979)年に単行本化されて、かなりのベストセラーになったように記憶している。
親がよく図書館から売れ筋の本を借りてきたので読むことができたのだが、当時中坊で衣食住すべて親がかりの身では、切実に感じることは少なかったろう。
ただ、こういう本がある、と感知しただけで。
このほど、かわいくて速い福島千里選手目的で陸上専門誌6月号を買うのに、写真のテンションなどからいつもの『陸上競技マガジン』でなく『月刊陸上競技』をチョイス。前者は日本陸連の、後者は実業団の公式機関紙となっており、自動車のスズキが実業団を脱退したと報じられた昨今としては、商品として出資を受けなければならない!!との切迫感の漂う月刊陸上競技。
「アスリートのための食事学」という選手向けの連載記事で、20年ほど前に男子短距離で活躍した不破弘樹さんが、法政大学で入寮したとき寮母さんがいなくて1年生が交代で朝・夕食とも全員の食事を作った経験を書いていたことから、本書を思い出したというわけ。
ご覧のとおり、2段組でビッシリ文字と絵が詰まって情報量が多く、すべて実体験に基づいているので価値も高い。花輪和一さんの『刑務所の中』などにも先行する貴重な記録といえよう。



シロウトが商品先物に手を出すというのは、体重が同じクラスだからといって灰原がボクシングの世界チャンピオンに挑戦するようなものだと、帝国金融・金畑社長は言うが、相場にドシロウトのオラでも確実に言えるのは、これからは所蔵していた人もどんどん死んでいきますから、急がなければ古本は必ず安く入手できまっせ─。
著者も平成9(1997)年に亡くなっており、戦争中に実際に従軍した人の声を聞くことが難しくなりつつあるなか、米軍、中国人民軍、朝鮮半島情勢、自衛隊などについても妥当な判断を下せるものかわれわれに問われる。



↑亡くなったイトコの姉ぇーちゃんの法事のとき列席者からもらったんですけどさ。保存期限を2年ほど過ぎた、自衛隊の備蓄食糧。【使用法─沸騰湯中で約25分間以上加熱すれば、通常3日間は喫食できるが、食前にあたためればさらによい】とある。
直径10センチほどで、少食のオラにとっては1缶3食分くらいに相当、けっこうイイ米使ってやがんなァ─おいしくいただきましたとも。期限を過ぎれば、新しいものに交換されるんでしょ。潤沢な予算で。
考えていただきたい。先の大戦中、物資が窮乏し始めるのは開戦からかなり経ってからのことで、少なくとも本書に出てくるような海軍の船上では餓死などとは無縁だった。そうでなければ、とうてい戦争など遂行できない。
それなのに、国民に餓死者も出ているらしき北朝鮮がコブシを振り上げるとすれば、きたる金正日死後に向け、軍幹部が主導権を握って自分たち中心の軍事政権にすることで、食糧などの権益を確保する狙いがあるのではないだろうか。
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