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2024-03-28 16:11:26 | 音楽
Eluviumはアンビエント界の数少ないビッグネームの1つだが、これまでチェックしたことがなかった。そして今チェックしてみて、このバンドがこれほどまでに評価されていることに率直に驚いている。これはアンビエントとしては基本中の基本で、文字通り高校生がサウンドクラウドに投稿する習作レベルのものだ。ほとんどの場合、基本的なオーケストラの楽器がかわいらしいトイ・ピアノの曲を演奏しているだけで、バックのノイズのようなざわめきは次第に大きくなっていく。ときおり間抜けなボーカルの断片や退屈な工業音がループし始める。空間と時間に関わる遊びの要素は最低限で、音のレイヤーに深みはまったくなく、トータル1時間以上の演奏時間があるがバラエティ的には10分くらいの1曲で済ませられる筈だ。Washer Logistics(洗濯機の物流)というトラックを収めるこのアルバムは、ラジオのクラシック音楽をBGMにして真っ白な洗濯機を眺めるのと同じくらい刺激的だ。無難なBGMと言えるかもしれないが、同じジャンルにはもっといい選択肢が何百とあるだろう。

以上はエルビウムの2016年のアルバムFalse Readings Onに対してRate Your Musicに寄せられた酷評。気になるのが「短い時間で済ませられる筈」という、音楽を聞くことのみならず人生すべてにわたる根本的な問題。会社員時代の若いころ、睡眠に充てる7時間ほどをカウントせず若いままで後で自由に使えるよう返してくれないかなどと妄想したことがある。



松本人志は私より2歳上かな。彼が40歳くらいのころ、もう人生を半分生きたという前提で「これからの半分は薄いですよォ~」と語ったのが印象的だった。年寄りの時間は薄いと決めつけ、カリスマとしていつまでも濃い時間を生きなければという強迫的な考えも、筋トレと悪い遊び、彼を失墜させて惨めな余生を送る結果に導いたのではないだろうか。あるいは老害がのさばって若者を搾取しているというような、世代や男女の対立、偏見や差別を煽る発言がメディアでことさら取り上げられる傾向。

そう考えると、先ほどの「トイピアノの曲を演奏するだけで、バックのノイズのようなざわめきは次第に大きくなっていく。ときおり間抜けなボーカルの断片や退屈な工業音がループし始める」が賛辞に変わる。生き急ぐ現代人の睡眠を助ける。



Loscil / Endless Falls (2010 - Endless Falls)
アンビエント/ドローンのビッグネームながら最近まで知らなかったロスキル。雨の音で始まるのが良い。



John Abercrombie / Night (1984 - Night)



Brian Eno / Dunwich Beach, Autumn, 1960 (1982 - Ambient 4: On Land)



Robin Guthrie & Harold Budd / A Minute, a Day, No More (2007 - Before the Day Breaks)



Marconi Union / Weightless Part 1 (2012 - Weightless: Ambient Transmissions Vol. 2)
英マンチェスターのアンビエント/ミニマルテクノ系グループ。前段で述べたことと矛盾するが8分ほどのこの曲を半分に縮めたバージョンがある。



Steve Roach / Quiet Friend (1984 - Structures From Silence)



Harold Budd & Brian Eno / The Plateaux of Mirror (1980 - Ambient 2: The Plateaux of Mirror)



Darshan Ambient / The Dreamer Slept but Did Not Dream (2010 - A Day Within Days)



Robin Guthrie & Harold Budd / Seven Thousand Sunny Years (2007 - After the Night Falls)



Harold Budd / Bismillahi 'Rrahman 'Rrahim (1978 - The Pavilion of Dreams)
「私は高校一年生で、家庭の問題が原因でうつ病がひどくなり、学校でも社会的にもうまくいきませんでした。(中略)これを聞くと、かなりの時間を費やしたことがわかります。 きらめくグロックから、はためくピアノの鍵盤、静かで優しいハープ、そして美しい合唱団までここではすべてが独自の調和のとれた方法で機能します。(中略)このアルバムはうつ病だった時期の私の避難所でしたが、音楽的に自分の快適ゾーンから抜け出すよう導いてくれたアルバムでもありました。 素晴らしい仕事、そしてハロルド、安らかに眠ってください。 ありがとう」。RYMレビュー

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2001 ─ 50 Best Songs

2024-03-19 13:15:28 | Year End Charts
50) 倉木麻衣 / Stand Up
49) Starsailor / Alcoholic
48) くるり / ばらの花
47) LOVE PSYCHEDELICO / Last Smile (2000)
46) Lamb / Gabriel



45) Ladytron / Playgirl
44) Daft Punk / Harder, Better, Faster, Stronger
43) Tehosekoitin / Maailma on sun (2000)
42) Old 97's / Question



41) Aerosmith / Jaded
40) Babasónicos / Fizz
39) The Hives / Hate to Say I Told You so (2000)
38) Saiko / Limito con el sol
37) The Avalanches / Since I Left You
36) Texas / Inner Smile
35) Los Piratas / Años 80
34) Manu Chao / Me gustas tu
33) Super Furry Animals / Juxtapozed with U
32) New Order / Crystal
31) Janet Jackson / All for You
30) Pulp / The Trees
29) Gabriel o Pensador / Até quando?
28) Röyksopp / Eple
27) R.E.M. / Imitation of Life
26) Sparklehorse / Piano Fire
25) Alicia Keys / Fallin' (2000)
24) The (International) Noise Conspiracy / Capitalism Stole My Virginity
23) The Microphones / The Moon


22) La Habitación Roja / El hombre del espacio interior
21) Nick Cave and the Bad Seeds / As I Sat Sadly by Her Side
20) Frejat / Segredos
19) The Shins / Sphagnum Esplanade
18) CAKE / Short Skirt/Long Jacket
17) Pato Fu / Eu
16) Destiny's Child / Survivor
15) Radiohead / Pyramid Song
14) The Strokes / The Modern Age
13) Weezer / Island in the Sun
12) Babasónicos / El loco
11) System of a Down / Chop Suey!
10) Björk / Pagan Poetry 
9) Mariza / Oiça lá ó Senhor Vinho
8) The Strokes / Last Nite
7) Daft Punk / Digital Love 
6) Destiny's Child / Bootylicious 
5) OutKast / Ms. Jackson (2000)



4) Radiohead / Knives Out 
3) Missy Elliott / Get Ur Freak On
2) Eminem / Stan (feat. Dido) (2000)
1) The Shins / New Slang

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2024-03-10 18:54:25 | 音楽
大きな影響力を誇った歌番組ザ・ベストテンが終了するとき、一貫して司会を務めた黒柳徹子は「長い曲が増えて1時間に収めることが難しくなった」ことを終る理由として挙げた。視聴率やスポンサーの意向など大人の事情に触れられない、いかにも苦しい言い訳と思うが、80年代後半から90年代にかけ日本の商業的に主流の楽曲は5~6分と長いものが多くなっていたのも事実。

逆に現在各国で主流になってきているストリーミング・サービスによる再生では、30秒以上で1再生とカウントされ、未満はスキップとみなされてその比率も記録されるため、再生数イコール報酬であるインセンティブがはたらいて最初の30秒にフックを多くして全体でも3分台前半に収まる曲が大勢になってきている。日本では依然としてCDをはじめフィジカル再生が過半であるため、以前の「分断と囲い込み」記事で触れたような、あいみょん・髭男といった一部の売れ筋アーティストに人気が集中して多様性や新陳代謝が不活発になる現象は、それらがいち早くストリーミングに合せた曲作りを行った結果、それらを好む日本の若者層が各国に比べ怠惰・受動的・思考停止のように見えてしまうが、実際はどの世代においても日本人はその傾向が強いのだろうと想像できる。


自分をかえりみて、こうすればああすればと考えるような者はストレスから逃れることはできない。常に保険を探し、心安らぐことはない。行列に並べば必ずご馳走にありつけると信じて疑わず、1時間でも2時間でも並んでいられるような者が多いから日本人、特に女は人口の多い種族としては世界一長命になったのだろう。

青木病院に入院していたころ(1999~2001年)、私と世代の近い入院患者にはクラシック音楽の愛好者が多かったことを思い出す。やたら長い曲もあれば、1~2分の短い曲もあり、歌詞のないインスト曲が大半で、作曲者は遠い過去に死去しているクラシック。主流のポピュラー音楽が突き付けてくる「みな同じように感じ、考えてください、そうすればわたしは都合いいです」というエゴから自由でいられる。

タラちゃんは永久にでちゅーとか言ってるのか。みんな一緒がいいね!と思考停止を求めてくる番組が日曜は多いのかな。武家政権の支配を補完する、日本の〝世間〟によるヨコの監視は、欧米列強に先んじる監視資本主義として繁栄と長寿を保障してきたが、スマホとSNSによってグローバルな監視と利潤追求が制度化した今日、日本人の均質性と〝保険のなさ〟は文明の終着駅とでも言いたくなるディストピアの様相。今さら洗脳を解くのはかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない(山上母)。3分台前半の、アーティストのキャラによってしか認知できない同じような曲は世界の日本化を示しているのではないか。



J.S. Bach: Orchestral Suite #2 in B minor, BWV 1067 - 7. Badinerie (Arr. for Four Hands) (1739) 1:19



Cimarosa: Sonata #42 in D minor (Late 18c) 2:24



Beethoven: Piano Sonata #30 in E, Op. 109 - 2. Prestissimo (1820) 2:16



Schumann: Carnaval, Op. 9 - 12. Chopin (1835) 1:27



Chopin: Waltz #6 in D-flat, Op. 64/1, "Minute" (1847) 1:55
人生どん底の20~25年前はショパンのピアノ曲をこのアシュケナージのCDで聞いていた。今はクラシックも商品として洗練されてきているけれども逆にこういう昔のジャケの感じにほっこりします。



Saint-Saëns: Le carnaval des animaux, R. 125 - 7. Aquarium (1886) 2:31



Scriabin: Prélude in E-flat minor, Op.16/4 (1895) 1:14



MacDowell: Woodland Sketches, Op. 51 - 1. To a Wild Rose (1896) 1:31



Khachaturian: Gayaneh - Sabre Dance (1942) 2:33



Herbie Hancock / Main Title (Blow-Up) (1967) 1:33



The Beatles / I Will (1968) 1:46



Soft Machine / Priscilla (1969) 1:03


水原弘 / 忍のテーマ (1969) 1:56



Tyrannosaurus Rex / The Misty Coast of Albany (1969) 1:40



Jethro Tull / Cheap Day Return (1971) 1:19



Billy Cobham / The Moon Ain't Made of Green Cheese (1974) 0:58



Todd Rundgren / Izzat Love? (1974) 1:55



Brian Eno / In Dark Trees (1975) 2:29



Van Halen / Eruption (1978) 1:43



Pixies / The Thing (1990) 1:58



Glass: Orphée - Act 1: 3. La chambre d'Orphée (Arr. for Piano duet) (1991, 2024) 1:59



µ-Ziq / 27 (1994) 1:18



Boards of Canada / Rodox Video (demo) (1996) 1:09



Björk / Frosti (2001) 1:42


Burial / Night Bus (2006) 2:13
このHYPERDUB 10.3というコンピレーション(2014年)には同レーベルの短い電子音楽がたくさん収められているがやはりベリアルの2曲が多く聞かれているようだ。



Anat Fort Trio / If (2010) 1:18



The Beach Boys / Our Prayer (2011) 1:04



Hilary Hahn & Hauschka / Stillness (2012) 1:43


A Winged Victory for the Sullen / The Haunted Victorian Pencil (2019) 1:29


Slow Attack Ensemble / Ninety Seconds for Celeste (2020) 1:31

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ポーランドの50曲

2024-03-04 12:13:42 | 世界の音楽
受け売りや知ったかぶりでも何度もやり直して改善するのが当ブログのモットー。2017年にRate Your Musicを利用し始め、RYMのポーランド人ユーザーは自国の音楽紹介に熱心で、それまで知らなかったチェスワフ・ネーメンやズビグニエフ・プライスネルなどの名曲を教わり、国別音楽紹介のやり方が定まっていなかった2019年頃に20曲ほどでポーランドを記事化。当時の印象から今なら50曲は軽いだろうと思ったのだが…

RYMユーザーから教わった同国の主要なアーティストは米英のオルタナティブ/インディーロックを小粒にした感じが多く、かつ80年代から時代が下るにつれその傾向が強まる。英語圏で成功したキャラクター商品であれば、人口3700万の独自言語圏で同じことをやればポジション確保して食っていける。そういう閉鎖的で利己的な匂いがする(これをもっと強めればゲロ以下のJ-popになる)。既にiTunesから削除してしまった曲、一度も加えたことがなくこれからも聞かないであろう曲をポーランドではビッグネームだからということでかき集めてどうにか50。モットーが空しい。

1) Chopin: Etude #3 in E, Op. 10/3, "Tristesse" (1832)
2) Chopin: Impromptu #4 in C-sharp minor, Op. 66, "Fantaisie-Impromptu" (1835)
3) Wieniawski: Scherzo-tarantelle, Op. 16 (1855)
4) Paderewski: Miscellanea, Op. 16 - 4. Nocturne (1894)
5) Karłowicz: Symphony in E minor, Op. 7, "Odrodzenie" (Rebirth) - 4. Allegro maestoso - Allegro ben moderato - Meno mosso - Allegro ben moderato - Allegro vivo (1902)
6) Szymanowski: Variations on a Polish Folk Theme, Op. 10 - Var. 5. Andantino (1904)
7) Lutosławski: Concerto for Orchestra – 1. Intrada (1954)



8) Penderecki: Threnody for the Victims of Hiroshima (1961)



9) Krzysztof Komeda / Cul-de-sac (1966)
本名クシシュトフ・トルチンスキ、医師とジャズ音楽両方を志したので大学卒業後に芸名としてコメダを名乗る。コメダ・クインテット名義による65年のアルバムAstigmaticは欧州ジャズの最も重要な作品の一つとされる。『ローズマリーの赤ちゃん』などポランスキー作品の映画音楽でも知られる。68年米国でのパーティーの最中に無頼派作家マレク・フラスコに崖から突き落とされ、昏睡状態のまま翌年死去。37歳。



11) Ewa Demarczyk / Karuzela z madonnami (1967)
12) Skaldowie / Wszystko mi mówi, że mnie ktoś pokochał (1968)
13) Czesław Niemen / Bema pamięci żałobny – rapsod (1970)
14) Breakout / Kiedy byłem marym chłopcem (1971)
15) Marek Grechuta & Anawa / Dni, których nie znamy (1971)
16) Tadeusz Woźniak Zegarmistrz światła (1972)
17) Mira Kubasińska & Breakout / Wielki ogień (1973)



18) Tomasz Stańko Quintet / Boratka & Flute's Ballad (1973)
ヨーロッパのジャズってあまり必要ないなと思い↑のコメダも映画音楽から選んでいるが、これは白人ジャズらしくない、マイルスOn the CornerやHハンコック70年代の系統の長尺曲として退屈させない優れもの。

19) Górecki: Symphony #3, Op. 36, "Symphony of Sorrowful Songs" - 2. Lento e largo – Tranquillissimo (1976)
20) Maanam / Szare miraże (1980)
21) Perfect / Nie płacz Ewka (1981)
22) Brygada Kryzys Centrala (1982)
23) Lady Pank / Wciąż bardziej obcy (1983)
24) Republika / Nowe sytuacje (1983)
25) Klaus Mitffoch / Jezu jak się cieszę (1984)
26) Anna Jurksztowicz / Stan pogody (1986)



27) Siekiera / Nowa Aleksandria (1986)
ポーランド語で斧を意味するシエキエラは80年代半ばの短期間しか活動しなかったがキリング・ジョークの影響を受けた攻撃的なサウンドにより同国のポストパンクを代表する評価を受けている。

28) Dezerter / Spytaj milicjanta (1987)
29) Kult / Arahja (1988)
30) Bielizna / Stefan (1989)
31) Jacek Kaczmarski / Sen Katarzyny II (1989)
32) Kobranocka / Kocham cię jak Irlandię (1990)



33) Zbigniew Preisner / Les marionnettes (1991)
正式な音楽教育を受けずにクラシック系の、多くは映画音楽を手がける異才ズビグニエフ・プライスネル。セザール賞作曲賞を2度受賞。デビッド・ギルモアのソロ・アルバムでオーケストレーションを担当。

34) Renata Przemyk / Babę zesłał Bóg (1991)
35) Księżyc / Verlaine, Pt. 1 (1996)
36) Pidżama Porno / Ezoteryczny Poznań (1997)
37) Myslovitz / Długość dźwieku samotności (1999)
38) The Cracow Klezmer Band / Aide Jano (2000)
39) Paktofonika / Jestem bogiem (2000)
40) Lenny Valentino / Trujące kwiaty (2001)
41) Warsaw Village Band (Kapela ze Wsi Warszawa) / U mojej matecki (2001)
42) Skalpel / Sculpture (2004)
43) Świetliki i Linda / Filandia (2005)
44) Lunatic Soul / Adrift (2008)
45) Stachursky / Dosko (2009)
46) Łona i Webber / To nic nie znaczy (2011)
47) Riverside / The Depth of Self-Delusion (2013)
48) Sławomir / Miłość w Zakopanem (2017)
49) Dawid Podsiadło / Let You Down (2022)


50) czubibubi / Anime Dziefczynka (2022)
落ちぶれ帝国臣民のネトウヨ化、指針になるのは日本のアニメ、という構図が米国や東欧はじめ一部の国々にみられるようなのだが、それらしき音楽の歌詞や背景を網羅的に調べたわけでなく、私の偏見による妄想かも分らない。


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February 2024

2024-02-29 11:29:01 | Monthly Best Songs


10) Sunday (1994) / Tired Boy (2024 - Single)



9) Mk.gee / Alesis (2024 - Two Star & the Dream Police)



8) BICEP / CHROMA 001 HELIUM (2024 - Single)



7) Jane Penny / Wear You Out (2024 - Surfacing)



6) The Last Dinner Party / Portrait of a Dead Girl (2024 - Prelude to Ecstasy)


5) Ibibio Sound Machine / Got to Be Who You Are (2024 - Pull the Rope)



4) Camera Obscura / Big Love (2024 - Look to the East, Look to the West)



3) Shlomo Artzi, Peer Tasi / נהר הדמעות (2024 - Single)



2) Bat for Lashes / The Dream of Delphi (2024 - The Dream of Delphi)



1) Beth Gibbons / Floating on a Moment (2024 - Lives Outgrown)

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ポルトガルの50曲

2024-02-23 16:30:07 | 世界の音楽
【ファドはポルトガルに打ち寄せる海の波の音】
ファドはポルトガルを代表する音楽として知られる。だが民謡と言ってよいかどうかは疑問がある。しかし現代の都市大衆歌謡と定義づけるにはいささか歴史が古すぎ、起源が定かでない。
ポルトガルの首都のリスボンに、アルファーマという地区がある。この貧しい一画がファドの故郷だと思い込んでいるポルトガル人は多いようだ。それにしてもファドはリスボンの内側から生まれて来たというよりも、15世紀このかた海外に広く船で出て行ったポルトガル人の流浪の暮らしを映し出す歌だと、誰しも認める。中には、遠い島に送られた囚人の望郷の念がファドに歌われたという人もいるが、囚人の歌が一般の人に共感され広まるものだろうか。
ファドを作ったのはポルトガルではなくブラジルだというのが、ブラジルの学者たちの間では定説だ。ポルトガル人はそれを認めたがらないが、大いにあり得ると思う。アレン・ダニエルーは、マレイ系文化の影響は無視できない、とし、ジャワやカンボディアやビルマの古典芸術がポルトガル音楽の影響のもとにファドと非常に近い音楽(クロンチョンなどを指す?)を生み出していると指摘する。ケルト人の影響を指摘する説さえある。
いずれにせよ、ファドはポルトガル人が海外進出の結果として異文化との出会いの中で生み出した混血音楽、と見てよかろう。
フアドはリスボンだけのものではない。この国の北のほうにあるコインブラという町は、1290年に創立されたヨーロッパ最古の大学を持つ歴史的な文化都市だが、この町の学生たちは、黒いマントを羽織り、ギターなどを弾きながら合唱して、石畳の道を練り歩く風習があった。その歌は恋人に捧げるセレナーデだ。それがコインブラのファド。従ってリスボンのファドが人生の苦しみを訴える調子をもつものが多いのに対しコインブラのファドは明るいラヴ・ソングで、テノールの男性が歌う。 ─(ミュージック・マガジン1994増刊『ミュージック・ガイドブック』より中村とうようの記述)



1) Amália Rodrigues / Uma casa portuguesa (1953)
2) António dos Santos / Partir é morrer um pouco (1961)
3) Alfredo Marceneiro / O Amor é água que corre (1961)
4) Adriano Correia de Oliveira / Trova do vento que passa (1963)
5) Amália Rodrigues / Estranha forma de vida (1964)
6) João Ferreira-Rosa / Embuçado (1965)
7) Maria Teresa de Noronha / Fado das horas (1966)
8) Carlos Paredes / Canção verdes anos (1967)
9) Quarteto 1111 / Todo o mundo e ninguém (1970)



10) Amália Rodrigues / Gaivota (1970)
不世出のファディスタ、アマーリアが49歳のときにリリースした名盤Com que voz。12の歌によりポルトガルの風景と人びとに命を吹き込み、ファドを刷新。



11) José Afonso / Grândola, vila morena (1971)
1933~74年と長期にわたったエスタード・ノヴォと呼ばれる独裁政権時代、音楽は比喩や象徴を通して自由・平等・民主主義について主張する手段として左翼レジスタンスによって広く利用された。 多くの作曲家や歌手が有名になり、政治警察によって迫害され、ホゼ・アフォンゾ、パウロ・デ・カルヴァーリョ、セルジオ・ゴディーニョ、ジョゼ・マリオ・ブランコ、マヌエル・フレイレ、ファウスト(グループ)など中には逮捕や追放された者もいる。 彼らの音楽はポルトガルの民俗要素と欧大陸におけるシンガーソングライターの伝統に基づき、「政治に介入・抗議する」意味からムジカ・ジ・インテルベンサオと総称されるように。

判事の父と小学校教師の母を持ち、アンゴラやマカオなど旧植民地滞在も経たホゼ・アフォンゾはポルトガルのルーツ・リバイバルを主導した、ムジカ・ジ・インテルベンサオの代表格。左翼的な活動のため教職の解雇や逮捕・懲役を経験。このGrândola, vila morenaは1974年のカーネーション革命においてクーデター勢力と国民を鼓舞するテーマとなる。82年に筋萎縮性側索硬化症を発症し、87年に57歳で死去。

12) José Mário Branco / Mudam-se os tempos, mudam-se as vontades (1971)
13) Sérgio Godinho / A noite passada (1972)
14) Paulo de Carvalho / E depois do adeus (1974)



15) Banda do Casaco / Morgadinha dos canibais (1976)
バンダ・ド・カサコは1974~84年に活動したフォーク・グループ。ポルトガルの民俗要素とプログレッシブ・ロックを融合し、社会批判を含む風刺的な歌詞と合せ現代の都市化とポルトガルの農村の歴史を交錯させるというユニークなアプローチ。

16) Carlos do Carmo / Lisboa, menina e moça (1976)
17) Fausto / Como um sonho acordado (1982)
18) António Variações / Canção de engate (1984)
19) GNR / Dunas (1985)



20) Rui Veloso / Porto Côvo (1986)
同国のロックの父と称されるルイ・ヴェローゾ。「政治的な要素がなくなり社会的な側面がポルトガルのポップスに入ってきた。ルイ・ヴェローゾで私たちは聴くのをやめポルトガルで作られた音楽を感じて踊り始めた」と評される。96年にホルヘ・パルマらとスーパーグループ「リオ・グランデ」に参加 (31)。

21) Mler Ife Dada / Zuvi Zeva Novi (1987)
22) Rádio Macau / O anzol (1987)
23) Sétima Legião / Por quem não esqueci (1989)



24) Madredeus / O pastor (1990)
25) Jorge Palma / Frágil (1991)
26) Resistência / Nasce selvagem (1991)
27) Mão Morta / Budapeste (1992)
28) Dulce Pontes / Canção do mar (1993)
29) Pedro Abrunhosa & Os Bandemónio / Tudo o que eu te dou (1994)
30) Quinta do Bill / A única das amantes (1996)
31) Rio Grande / Postal dos correios (1996)
32) Clã / Problema de expressão (1997)
33) Ornatos Violeta / Ouvi dizer (1999)
34) Mariza / Oiça lá ó Senhor Vinho (2001)



35) Sérgio Godinho / Lisboa que amanhece (with Caetano Veloso) (2003)
86年の曲をカエターノ・ヴェローゾとのデュエットにより再演。反ファシストの家庭に生まれたセルジオ・ゴディーニョは青年時代、独裁と兵役を避けるためジュネーブ・パリ・アムステルダム・バンクーバーなど世界各地で音楽・演劇・心理学などを学び創作を志す。革命成就後に帰国、ムジカ・ジ・インテルベンサオの系統で最も長期にわたって人気と名声を持続。

36) Humanos / Quero é viver (2004)



37) The Gift / Fácil de entender (2006)
38) B Fachada / Tempo para Cantar (2009)
39) Diabo na Cruz / Os loucos estão certos (2009)
40) Deolinda / Um contra o outro (2010)
41) Dead Combo / Esse olhar que era só teu (2011)
42) Carminho / Lágrimas do céu (2012)
43) Ana Moura / Desfado (2012)
44) António Zambujo / Pica do 7 (2015)
45) Capitão Fausto / Amanhã tou melhor (2016)



46) Bruno Pernadas / Anywhere in Spacetime (2016)
トータスやフアナ・モリーナといった一時「音響派」と呼ばれた系統の音作り、かつ日本の青葉市子のようにRate Your Musicで持ち上げられるタイプの作風。実力あると思うが1曲選ぶとなると決め手に欠ける。

47) Samuel Úria / É preciso que eu diminua (2016) 
48) Gaiteiros de Lisboa / Roncos do diabo (2017)
49) Salvador Sobral / Amar pelos dois (2017)
ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト2017にポルトガル代表として参加、同国に初めての優勝をもたらす。甘口のポップスでポルトガル色は希薄。



50) Toy / Coração não tem idade (Vou beijar) (2017)
ピンバ(Pimba)と呼ばれるポルカやクンビアと似たアップテンポで、歌詞に性的な比喩の多い、90年代に人気沸騰した労働者階級向けジャンルにおける近年の代表的ヒット曲。


※番外(外すに忍びない曲とクラシック)
Bomtempo: Requiem à la mémoire de L. de Camoes, Op. 23 – Sanctus (1820)
António Calvário / Mocidade mocidade (1977)
Manuela Moura Guedes / Foram cardos, foram prosas (1981)
Lena d'Água / Demagogia (1982)
Rão Kyao / Fado bailado (1983)
Nuno Canavarro / Untitled (track 9) (1988)
Três Tristes Tigres / O mundo a meus pés (1993)
Expensive Soul / O amor é mágico (2010)
Ricardo Ribeiro / Fadinho Alentejano (2016)
Bernardo Sassetti / Simplemente Maria (2019)
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AVALON14号

2024-02-21 14:44:29 | 書肆(しょし)マガジンひとり
10氏参加の合同誌です。ふとしSLIMさんが11号以来の復帰。

■Tarosuke/表紙+イラスト6P
■ベルリアック「ゼペットシンドローム」漫画10P
■ふとしSLIM「私たちの逸脱」漫画9P
■大仏「望月ファンクラブ⑦」漫画20P
■同人作家が選ぶ名曲名盤⑬/楼ファイ/選曲12P
■afunai「こどものたべもの⑤」漫画4P
■KIYO「妄想エロ空間⑦」イラスト4P
■カクガリ兄弟「グッバイボルケーノハイってどんなゲーム?」レビュー2P
■清水清/自選イラスト6P
■シリーズ路地裏⑬/はぶもと/イラスト1P



紙本発行2024年2月(COMITIA147)。A5判76ページ。電子書籍版は74ページPDF、ピクシブBOOTHにて紙本ご購入の方は電子版もご覧いただけます。2月25日(日)に行われるコミティアの配置は【う25a】となっています。よろしくお願いします。

📚BOOTH https://magazine-hitori.booth.pm/items/5515744
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🐯とらのあな https://ec.toranoana.jp/tora_r/ec/item/040031136434/
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アニメとJ-popにみる分断と囲い込みの完了

2024-02-18 19:08:02 | マンガ
米サイトPolygonが4000人を超す18歳以上のアメリカ人を調査した結果によれば、週に1度以上日本アニメを視聴する団塊世代が3%に過ぎないのに対し、Z世代では42%。Z世代に限ってはアニメはNFLを上回るポピュラーな娯楽であり、人種・階層的にも黒人・ヒスパニック・アジア系・LGBTQと広く親しまれている。若者やマイノリティーにとってアニメは従来の娯楽よりも感情移入がしやすく、ストーリーに説得力があると考える人の割合が高い。アニメファンの44%がアニメのキャラクターに恋したことがあると回答し、Z世代のアニメファンでは58%。




日本アニメが世界的に人気定着しているのに対し、音楽の消費という見地では逆に日本の、特に若い世代ほど「孤立・引きこもり」現象がみられるという分析結果を示し、ヤフー掲載され話題を呼んだ松谷創一郎氏のヒットの固着──Spotifyチャートから見えてきた停滞する日本の音楽

ストリーミング全盛となり、2014年を底に各国の音楽産業売り上げが復調をみせているのと対照的に、日本ではCDなどのフィジカル消費が依然として過半を占めるため、ストリーミング国内シェア2位であるSpotifyの再生回数には若者層の動向がより強く反映される。その結果、毎週の再生回数において200位までにランクされたことのある楽曲・アーティストが他国に比べ極端に少なく、あいみょん「君はロックを聴かない」256週、Official髭男dism「ノーダウト」246週(いずれも2022年末時点)などのロングヒットをはじめAdo・YOASOBI・藤井風といったJ-popが他を圧倒、一部のK-popを除き「洋楽」の存在感が希薄。未知の音楽を探そうとせず、少数のお気に入りアーティストばかりを延々と聞き続ける日本の若者。 



やがて、2000年代になると、日本からの応募者の数はゼロになってしまいます。これは、中国、韓国、台湾からの応募者の動向と鋭い対照をなしていました。なぜ日本だけが、こんなに少なくなってしまったのだろうか。(中略)中国の学生からは、自分の志望を私の学科で満たすことができるかと聞いてくる連絡が毎年少なくとも十数件はあります。ところが、日本からの連絡も1990年代には数件あったのが、2000年代にはほぼゼロになってしまいました。例外はありますが、総じて日本からくる学生の一般学力が低下してきていて、中国、韓国、西ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、台湾、インドなどからくる学生と競争することが難しくなってきている ということが観察できます。
(中略)(冷戦に対応するため日本を従属させて援助し、その軍国主義を経済高度成長という形で成功させた、日本が従うべき国際秩序の家父長的なリーダー=)パックス・アメリカーナが凋落の微候をみせ始めたのです。ところが、1990年代初頭のバブル経済の破綻以来の日本社会は、新たな国際秩序を構想し模索するどころか、むしろ過去の高度成長の「良き時代」の夢想に捉えられてしまったように見えます。この20年間で次第に明らかになってきたのは、日本社会の多くの人々が積極的に自分の力で未来を切り開く進取の精神を失い、「夢よ、もう一度」とでも総括したらよいのでしょうか、過去の安泰を支えていた道徳的権威と良き時代の幻想にしがみつこうとする、ほとんど強迫的な態度であるといってよいでしょう。 ─(酒井直樹/ひきこもりの国民主義/岩波書店2017)

なぜならば!
いや、まあ、例の松本人志の件でスピードワゴン小沢の事務所が…。カドカワや小学館や日本テレビ、いずれも公式声明が稚拙だったり感情的だったり、それ以前に森加計桜やオリンピックや統一教会や日大やジャニーズ事務所や裏金などなど日本でネガティブな話題が広がる場合、既に囲い込まれた一般人の集団、それによって儲ける既得権者、内部の接待やセックスや同種の集団と連携するための汚職、ほぼすべて同じパターンを繰り返していて実にくだらない、生産性ゼロである。

芸能ニュース的な字面が視界に入ると咄嗟に焦点をぼやかす。テレビやマンガ、日本語の情報に触れていると気が狂う。しかし、経済のグローバル化とネット・スマホの普及に伴って世界中の人間がシステム的に監視され時間当たりの貢献を求められるようになると、中世以来武家政権による支配を補完するべく、農民や町人=被支配層の相互監視と選別・排除を担う〝世間〟が形成され、狭い檻に囲われて依存的に生きることで安心長生きを実現してきた日本人特有の「バリエーションの狭さ」を求める人びともまた世界中にいると分る。

スーパーマンや悟空が空を飛ぶ。どうやって。不可能だ。ドラゴンボールを見たことないが映画やマンガでこの種の不可能性は説明されない。武家政権の支配、政治家の世襲や脱税について問うてはならない。どうせ変らない。心が苦しいだけだ。そういう下で生まれた娯楽なので。監視資本主義が一人歩きし、優秀な女や有色人種が男や白人を圧迫する、あるいは韓国・中国・東南アジアなどに対して日本の後進性が目立ってくる、すると被害者意識と怒りから日本人的な狭い娯楽をさらに尖鋭化したような娯楽=暇空とか私人逮捕とか現れて分断がますます進みヘイトがはびこる。そもそも安倍やトランプ、各国のポピュリスト政治家やFANGのような企業にとってみても分断とヘイトこそ最大の資源なのである。
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世界の音楽 — フィリピン

2024-02-14 18:26:44 | 世界の音楽
ランズデールが考案した「心理作戦」の別のものでは、フィリピンの田舎で信じられていたアスワングという神話上の吸血鬼が利用された。政府軍が、フク団の占拠しているある場所を取り返したいとする。すると、心理戦部隊が近くの町に入り、フク団が潜伏している山岳地域にはアスワングが住んでいるとの噂を流す。町のフク団シンパにこの噂が浸透しそれが山にも伝わるのを待って、2日ほどしたら、部隊はフク団が通る道で待ち伏せ攻撃をしかける。フク団の斥候が通り過ぎるのを確認して、気がつかれないようにして最後の一人を捕まえる。そしてこの兵士の首に吸血鬼に襲われたかのように穴を二つ開け、血が抜けるまで逆さに吊るしておくのである。血が抜けると遺体を道に置いておく。他のフイリピン人と同じくらい迷信深いフク団がこの血を吸われた仲間を発見すれば、この部隊はこの地から逃げ出していってくれるのである。 ─(ウィリアム・ブルム『アメリカ侵略全史』の項目「フィリピン アメリカの最も古い植民地」より)



Rogelio de la Rosa / Dahil Sa Iyo (Because of You) (1938)
フィリピンの伝統的な音楽は、同国が地方それぞれ別の言語を持つことや、100年にわたるアメリカナイゼーションのため受け継がれることが難しくなっている。そんなアメリカ化を象徴する甘いメロディーを持つこの曲は在米フィリピン人コミュニティーで今も人気があり、贅沢な生活ぶりで知られるイメルダ・マルコス元大統領夫人のお気に入りでもあるという。
※ジャケは1964年に米国でリリースされたカバー・バージョンのシングル



Freddie Aguilar / Anak (1977)
フレディ・アギラーはフィリピンのミュージシャンとして最も世界的に高名な存在。成長して悪い道へ進もうとする息子へ呼びかける内容のAnakは同国のコンクールで優勝後に大ヒット、やがて日本・香港・マレーシア・ヨーロッパの一部などでもヒットし、訳詩を付けてのカバーも盛んに行われた(日本では杉田二郎のカバーが原曲を上回るヒットに)。音楽的には米英のフォークロックの影響を受けつつ自国の伝統精神を音楽で受け継ごうとするピノイロックの系統に属し、貧困のため売春せざるをえない少女、ミンダナオ島におけるキリスト教とイスラム教の衝突など社会的政治的テーマにも取り組んだ。80年代にはマルコス政権に対する抗議の一環として独立闘争時代に作られた愛国歌Bayan Koを集会などで歌い、1986年のピープルパワー革命に至る機運を高める。

Anakが日本でヒットした翌年、共通するテーマながら死ぬほど気持ち悪い歌詞のさだまさし「親父の一番長い日」が12インチシングルとして異例のオリコン1位。ザ・ベストテンの始まった70年代終り、文化的経済的没落の因子は日本のあちこちに見られるようになっていた。言語化できた人は誰もいなかったが。



CLIPPER / BOY (1978)
女1男4の姉弟グループとして活動していたのを日本に呼び寄せ、都倉俊一作曲で長男デニスのボーイソプラノが美しいこの曲などシングル4作・アルバム1作をリリース。BOYは都倉のユニット「ウインズ」としてセルフカバーも。



Jose Mari Chan / Beautiful Girl (1989)



Eraserheads / Ang Huling El Bimbo (1995)



Christian Bautista / The Way You Look at Me (2004)



Jennylyn Mercado / Sa Aking Panaginip (2005)
同国のトップ女優で歌手としても活躍。トライアスロンや格闘技をたしなみ、子どもの頃の被虐待経験から女性の権利や反暴力についても積極的に発言。



Charice / Pyramid (feat. Iyaz) (2010)



Up Dharma Down / Tadhana (2012)
現状同国で最も人気のあるオルタナティブ系のポップグループ。この代表曲はSpotify再生回数が2億超となっており、韓国のK-popがそうであるように、1980~90年代のソウル・ヒップホップ・ディーバ系・シンセポップ・日本のシティポップなどの要素を公約数的に集めたレトロかつ凡庸(※必須条件)な曲であることが、教育や消費やインターネットを通じて分断と囲い込みが完了してしまったポストモダンにおけるヒットの公式なのではないか。



Juan Karlos / Buwan (2018)
これも1億5千万回と聞かれているが、前項のような東アジア的なマーケティングというよりは北米のインディーロックに近い作風。


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読書録 #37 — 土と内臓、ほか

2024-02-10 16:56:24 | 読書
D・モントゴメリー+A・ビクレー/土と内臓 微生物がつくる世界/築地書館2016・原著2016
「死んだ人間や動物を土に埋めると、病気の種類によっては、あとで病原体が少ししか、あるいはまったく見つからなくなることがある。土壌中に棲息する微生物に、外来の病原体を殺す力があるのだろうか。前にも登場したローレンツ・ヒルトナーとサー・アルバート・ハワードは、植物の世界ではこれがおおむね事実であることを発見していた。非病原性微生物がひしめく土壌中は、病原体が生きていくのに最悪の場所だと、彼らは認識していた。すぐにワクスマンらは、ヒトの病原体との戦いに使える化学物質を土壌から探そうとした」。
「過去50年に研究者が見てきたのは、腸機能障害のただの上昇傾向ではない。40倍の増加だ。私たちがこのような病気にかかりやすくなったのには、遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている。腸機能障害と、喘息やアレルギーのような自己免疫疾患は、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきている。こうした病気にはすべて、度を越した免疫反応が自分自身の細胞や組織を傷つけるという特微的な症状がある。(中略) 来る日も来る日も、体内外が微生物で飽和することによって、さまざまなフィードバックループが活性化されたり鋭敏になったりし、免疫系は微生物が敵か味方かを見 分けることを覚えるのだ。きれいすぎる環境、極度に殺菌された食物や水、抗生物質のくり返しの服用、土や自然との接触の少なさ、こういったことはすべて私たちにとって不利益となる」。
「1950年代初めには、農業用化学製品の普及により収穫量が大幅に向上し、作物に害を与えるさまざまな病原体が制圧されていた。こうした奇跡のような成果があったので、化学製品の使用量は増加した。ちょうど同じ時期、医療分野で抗生物質の使用量が増えたのと同じように。生物学は、しかし、植物や動物のエネルギー消費のことになると、残酷なほど効率的だ。なぜならエネルギーを保持し、手に入れることは生存の中心だからだ。化学肥料を与えられた植物は、栄養を手に 入れるために、それほどエネルギーを消費する必要がない。そこであまり根系を伸ばしたり、滲出液を作ったりしなくなる。こうなると根圏の菌根菌や有益細菌の数が少なくなる。その結果、植物の健康と病原体からの防衛に必要な栄養素交換、ミネラルの吸収、フィトケミカルの生産が不活発になる」。




中井久夫/新版 分裂病と人類/東京大学出版会2013・原著1982
「しかし、 大規模な変化は、いかに原始的なものであれ、農耕牧畜とともに起こったというべきである。
〝今日なお旧石器時代に生きる〟ニューギニア山地民(中略)の写真集は一瞥ただちにわれわれに強烈な感銘を与える。整然たるタロ芋畑、そのみごとな畝、それをめぐる水路、水路建設の共同作業、精巧な網袋作製の技術、村境にかかるおどろおどろしい仮面、 火の祭儀、そして死者の1、2人を出して終わるところの村境の「戦いヶ原」における真剣な隣接部族との定期的戦争。整頓、清潔、少なくとも清めの儀式、整序された世界の裏側にうごめく魑魅魍魎の世界とそれへの呪術的干渉、そして間歇的な攻撃性の奔騰、権力の支配と秩序──これはまさに強迫症の構造そのままである。『文化にひそむ不快なるもの』(フロイト)は、もっとも早い農耕社会とともにすでに成立したというべきであろう。
狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。農耕社会は計量し測定し配分し貯蔵する(とくに貯蔵、このフロイト流にいえば〝肛門的〟な行為が農耕社会の成立に不可欠なことはいうまでもないが、貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物である。その維持をはじめ、農耕の諸局面は恒久的な権力装置を前提とする。おそらく神をも必要とするだろう」。
ハチミツ男。1ヵ月もすれば話題には上らなくなるかもしれないけれども「ほら、あの、職場で…」人の記憶にはとどまり続ける。私の会社員時代のストーカー事件も、もしスマホとツイッターのある時代ならもっと立ち直れないような事態に発展したかも。おそろしや。本書は、統合失調症者が世界のどこにおいても必ず1%前後現れるという現実に着目した著者が、その元になる分裂親和型(分裂気質)とは狩猟採集時代の認知や意識のあり方が、農耕牧畜以降の執着・強迫的な心理が圧倒する時代にあっても一種の保険として遺伝し続けているのであろうとの見方を示す。3章「西欧精神医学史」では宗教・政治経済・文芸・日本史など縦横無尽に援用しつつ人間社会の病理を追求。サクサク読める本ではないが(未読了)日本人の著書としては稀なスケールの大きい文明批評の名著。


エレーヌ・フォックス/脳科学は人格を変えられるか?/文春文庫2017・原著2012
原題Rainy Brain, Sunny Brain。悲観と楽観の違いが単に心境だけでなくどれほど当人の現実を左右しうるか、といったことを前置きに、恐怖や快楽の支配力、性格の遺伝、脳の可塑性などについて考察。「脳科学者」にうさん臭い人物が少なくないのは、そもそも睡眠はなぜ必要不可欠なのかさえ解明されていない、知るほどに未知の領域も増えていくような駆け出しの学問において権威を装わねばならないから。文春から文庫化される人文系の書物には一貫してネオリベ臭があるという経験値も併せ、読み始めて次第に否定的な感情が広がり、以下ナナメ読み、特に得るところなく読了即処分。




ビタリー・テルレツキー/サバキスタン①/トゥーヴァージンズ路草コミックス2023
長く鎖国状態にあった謎の独裁国家「サバキスタン」が指導者「同志相棒」の葬儀に伴い国境を開いて各国ジャーナリストを招くことになり─。犬を擬人化して描く、平板でステレオタイプなディストピアもの漫画。退屈に感じられる理由として、スマホの登場以降は個人が自ら概念なり集団なりに囲われて分断とヘイト工作を買って出る、そのメディアを意識した色と欲がここにはない、20世紀のアルバニアや北朝鮮を想起させる一方的で動きのない類型化にとどまっている。


ネルノダイスキ/ひょんなこと/アタシ社2023
同人誌出身、文化庁メディア芸術祭マンガ部門受賞経験のある著者による3作目となる短篇集。300ページ超。サブカル風ながら反発を催させない味のある絵柄。題材は動物の変形・擬人化が多く、既に分断と囲い込みが完了してしまったポストモダンの日本漫画市場に寄せて無難にまとめた印象。


みなもと太郎/お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ/河出文庫1997・原連載1976-79
和田誠の映画コラムを模倣した体裁でいにしえの漫画の数々を論評。みなもと氏独特の簡略化したイラストに味わい。最近は手塚治虫・萩尾望都を筆頭にむかし好きだった漫画にも幻滅することが多く、私の知らない作品を含め昭和の漫画の流れを一貫した視点で概観・参照できることは有難い。



石井正己/関東大震災 文豪たちの証言/中公文庫2023
内田魯庵「鮮人襲来の流言蜚語が八方に飛ぶと共に、鮮人の背後に社会主義者があるという声がイツとなく高くなって、鮮人狩が主義者狩となり、主義者の身辺が段々危うくなった。此騒ぎを余所に大杉は相変らず従容として児供の乳母車を推して運動していた。
『用心しなけりゃイカンぜ、』と或時避遁った時に云うと、
『用心したって仕方が無い。捕まる時は捕まる、』と笑っていた。後に聞くと、大杉に注意したものは何人もあったが、事実此頃の大杉は社会運動からは全く離れて子守ばかりしていたから、危険が身に迫ってるとは夢にも思ってないらしかった。
或るタ方、夜警に出ていると、警官が四五人足早に通り過ぎながら、今二人伴れて来るから殴っちゃ不可んぞと呼ばわった。其頃の自警団は気が立っていて、警吏が検挙して来たものにさえ暴行を加えて憚らなかったからだ」
吉野作造(の親交ある朝鮮紳士)「それから先き色々の目に遭ったが、結局同行の二人は所謂行衛不明のリストに入って最早此世の人ではないらしい。自分の斯うして生き残ったのが不思議な位いだ。そして出て見ると、乱暴だと思ったのは、下級の××官ばかりでなく、平素その親切を頼みとして居った純朴な一般内地人が、故なく我々同胞を減多切りに切り捲ったという。あの親切な純朴な日本人が一朝昂奮すると斯の惨虐を敢てすると知っては、どうして我々は一刻も安心してこの地に留まることが出来よう。内地の諸君は済まなかったと云って呉れる、民情も鎮った、これからは心配はないと慰めても呉れる。けれども我々のかくして日本内地に留まるのは、恰も噴火山上に一刻の苟安(こうあん)を愈(たのし)むような思いがする。戦々競々夜の目も合わぬとは此事だ」


服部雄一/ひきこもりと家族トラウマ/生活人新書2005
「ひきこもりを見る場合、日本人と外国人は目のつけどころが違います。多くの日本人は『外に出ないこと』『働かないこと』だけを問題にして、専門家も含めて、トラウマ性の症状──人間不信、対人恐怖、自殺願望、不眠、感情マヒ──に目を向けません。こうした症状を無視すると、ひきこもりは働きもせずに部屋でテレビゲームばかりする怠け者に見えてきます。これに対して外国人は、ひきこもりが何年も人を避けて部屋に閉じこもったり、自殺願望をもったり、人間不信や感情マヒの症状があることに注目します。この視点では、ひきこもりは病気に見えてきます」。
「トラウマ性の病気は『過去に目を向けない』と治らないのです。もし体罰をつかって集団訓練するならば、『人間を警戒するひきこもり』はもっと人間を信用しなくなります。(中略)私は、1991年にソビエト連邦が崩壊したように、日本社会もやがて崩壊すると考えています。ソ連の崩壊は経済崩壊でしたが、日本は文化崩壊です。ひきこもりの増加はその文化崩壊の一部ではないでしょうか。物が豊かになり、日本人が昔からもっていたコミュニケーションの病理、親子関係の弱さ、家や組織が個人の感情を抑圧する文化的問題が形となって表れてきています。日本社会は今後、ひきこもり、恋愛能力のない若者、子どもを育てられない若い親の増加によって『人口の減少』という形で急激に衰退すると思います」。




後藤基巳・駒田信二・常石茂/中国故事物語/河出ペーパーバックス1963
「臥薪嘗胆」「呉越同舟」「四面楚歌」「天網恢恢疎にして漏らさず」など中国の故事に基づく名句や思想家の金言を格調高く紹介。読みものとして面白い。この河出ペーパーバックスというシリーズは1960年代によく売れていたらしく、ビニールカバー付きの装丁なのでカバーを外せば現在でもきれいな状態で入手可能。作家別の文芸読本も最初はシリーズ内シリーズであったらしい。特に優れているのは本文と異なる紙質の口絵が必ず付いていること。↑画像・右は、弱冠20歳で長編小説『地上』によりデビュー、一躍寵児となるも女性スキャンダルをきっかけに失墜、精神病院で最期を迎えた島田清次郎の生涯を描く傑作評伝『天才と狂人の間』の口絵。90年代の文庫化に口絵はなく、文庫を捨ててこちらを愛蔵。


小野寺拓也・田野大輔/検証 ナチスは「良いこと」もしたのか/岩波ブックレット2023
「ナチ体制下では、地方保健機関の発行する『婚姻健康証明書』で遺伝的健康が証明できなければ結婚できなかったし、子どもを産まない『繁殖拒否者』には罰金が科されていた。さらに障害者に対しては、まずは強制断種(40万人)、さらには『安楽死』(30万人)という名の殺害が行われた。同性愛者も迫害を受け、5万人に有罪判決が下されている。そのうち強制収容所に送られたのが5000~15000人、死者は3000人程度とされる。ナチスの家族政策は、こうした人種主義的な『民族共同体』を構築するための手段のーつだったのだ」。
「こうしたなりふり構わぬ施策によって、国家の財政支出は爆発的に増大した。軍事支出は1933年に7億RM(約5千億円)だったのが、34年に41億RM(約2兆8千億円)、36年に103億RM(約6兆9千億円)、38年には172億RM(約2兆3千億円)にまで急増した。これは国家支出の61%、国民所得の21%に相当する額である。およそ資本主義体制のもとで、国家支出を平時にこれほど軍備へと振り分けた国は存在しない。これによってドイツ経済は1936年頃から軍需産業を中心に好景気に沸き、労働市場も37年には事実上の完全雇用に至ったが、膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力の増大に直面することになった。しかも従来からの資源不足と外貨不足に加えて、軍需産業では労働力不足も深刻化し、軍備拡張をさらに推進する上での足かせとなった。こうした事態に危惧を抱いたシャハトは民需拡大への転換を訴えたが、政府首脳部に聞き入れられることはなかった。ヒトラーにとっては、武力による領土拡大と占領地からの収奪以外の選択はあり得なかったのである」。
話題の一冊。2次安倍政権はいくつもの意味でナチスに学び、模倣し、その結果日本は戦争をせずに戦争に負けたような状態に陥りつつあるのだろう。
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