妻を追ってタイへ(タイ田舎暮らしの日々)

サザエを追って日本からバンコクの北500キロの所にあるルーイヘ来て、妻の仕事を手伝うマスオがブログでストレスを発散を。

サワディー・ピーマイ

2007年12月31日 | 日々の暮らし
タイトルはサワディー・ピーマイですが、新年の挨拶ではありません。

29日の夕方から店を閉めて家と実家に1泊づつしました。
行く時は何の用事で行くのかよく分かりませんでしたが、行ってみても大した用事だとは思いませんでしたが、妻にとっては大事な用件だったのかもしれません。

タイの正月の挨拶は「サワディー・ピーマイ」ですが、日本の「明けましておめでとう」とは使い方が少し違うようです。
「サワディー・ピーマイ」は新年になってから挨拶ではなく、1週間前ぐらいからの挨拶のようです。
実家に行っても顔見知りからは「サワディー・ピーマイ」と挨拶をされました。テレビでも1週間前ぐらいから芸能人が「サワディー・ピーマイ」と挨拶をしています。元旦の前後の数日間の挨拶として使われるようですね。

実家に行くと周りの家々から音楽や大きな声が昼間から聞こえていました。もちろん深夜まで続いています。
バンコクなどの都会で働いている人が帰省して宴会をやっているようです。タイでは4月のソンクラーだけかと思っていましたが、正月も帰省してくるようです。家族の結びつきが強いので、きっかけがあればすぐに戻って親に会いたいのだと思います。

我が身内は特にそういう人もいないので宴会はありませんでしたが、お兄さんのルン・デーが酔っ払って家に戻ってきました。歩くのもフラフラしています。病気も完治していないので、妻や母親から随分叱られていましたが、あっちこっちの宴会に顔出し飲んでいたようです。  私にお金をせびっていたようですがタイ語が分からないのでよかったかもしれません。
夜またフラフラ出かけていつ戻ってきたか分かりませんが、今日の午後帰るときに起きてきていました。
私もお酒が大好きなので飲みたい気持ちは分かりますが、あそこまで酔っ払わなくてもと思いますがタイ人はグデン・グデンに酔う人がとても多いです。
また、お兄さんのロアン・ルンにも叱られることでしょう。

ロアン・ルンは仕事で実家の村に来ていました。昨日の夜と今日の朝にお坊さん9人が来て、実家の村のお寺でお経をあげていました。今日の朝は、妻とバー君といっしょに私も行きタンブンをしてきました。毎日のお経とは違うのでピーマイ用のお経なのかもしれません。
村の人が女性を中心に50人ぐらい着ていましたが、若い人もいたのでおそらくバンコクあたりから帰省していた人かもしれません。
妻はこれに参加したかったのかもしれません。
タンブンは3種類あり、一つ目は実家の村のお寺を修理するための寄付で専用の封筒に入れました。
二つ目は受付で払うタンブンで名前を書きます。受付の人が、難しそうな顔をして私の名前と金額をマイクで言っていました。
三つ目はお皿が回ってきてそれにお金を入れました。
大した金額ではありませんがビックリです。


今日は大晦日、明日は元旦、これで2年続けてタイで迎えています。

特に変わった料理を食べるでもなくいつもと同じような1日が終わりそうなので、自分のためにウイスキーとPringlesのポテトチップスを買ってきました。
今日はこれをチビチビ飲んで寝ることにします。 


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店の袋

2007年12月29日 | 日々の暮らし
今日は土曜日、日本語の勉強の日ですが何となくサボってしまいました。ピーマイも近いし、日本では昨日が御用納めだったのでたまにはいいかな~。

昨日1ヶ月ほど前に頼んでいた店の袋が出来上がって送ってきました。店の名前、住所、電話番号が書いてあるビニール袋です。


3000枚入っている包みが4つです。
重いのでナッが学校から帰ってきてから2階へ運んでもらいました。
腰を痛めるとまずいので・・・。

値段は10000枚で13500バーツです。1枚あたり1バーツ強になります。
既成の袋を買っても1枚1バーツします。

店の袋を作りませんかとセールスマンが来て作りましたが、最初は10000枚で25000バーツが料金でした。妻も店の袋が欲しいと以前から思っていましたが、1枚当たり2.5バーツは高すぎるのでと断ると、最終的には10000枚で13500バーツまで下がり注文することにしました。代金の支払いはまた私に借りるつもりです。

送ってきたのは頼んだ10000枚ではなく12000枚でした。妻はラッキーといっています。

支払いは銀行振り込みですが、名義がセールスマンの口座になっています。
タイ人は悪い人が多いからと妻は確認のためにセールスマンに電話をしましましたが、他の人がでるので支払いを慎重にしています。
結局、セールスマンから電話がきてから振り込むことにしたようです。


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年賀状

2007年12月28日 | 日々の暮らし
今日はインターネットが朝から立ち上がらず夜の8時にやっとつながりました。
大した用事もありませんがやっぱり嫌ですね。

今年は日本の友人等に年賀状を出すことにして今日郵便局へ出しに行きました。 
以前に記事で書いたダンサイのピーターコン祭りの絵葉書を使いました。
前から用意をしていたのですが、家族のみんなも私の両親宛にピーマイのカードを送ると言うので待ってたら今日になってしまいました。とても元旦には着きません。

家族のみんなは、私が平仮名で書いたものを見て自分たちで書きましたが、妻のものはそれなりに読める字です。オーちゃんは勉強しているので妻よりも上手に書いてありました。ガティはそれなり、ゴイの字は判読が難しいと思います。  アリちゃん夫婦の分はオーちゃんが代筆しました。
ロアン・ルンはカードだけ持ってきたので名前だけ書いてあげました。

郵便局は店のから歩いて5分ぐらいのところにあります。いつも混んでいて番号札を取って待つようになっていますが、タイ人でも番号札が分からなくてウロウロしている人もいます。
郵便料金は葉書が1枚15バーツ、カードを6枚入れた封書が44バーツでした。日本からタイへ出すより安いです。



先日買ってきたチェンマイ風の洋服を着たバー君です。
2才用を買ってきたのですが、お腹だけがきついようです。
最近、カメラ目線をするようになりました。


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チェーンカーンのイミグレを2往復

2007年12月27日 | 日々の暮らし
今日は、ティアとミャンマー人の奥さんのオーイを連れてチェーンカーンのイミグレーションを2往復しました。  

ミャンマー人のオーイもビザの関係では苦労しています。
まず、ミャンマーで取ってきた観光ビザで入国して、滞在期間を間違えて1万バーツ以上の罰金を払い、   妻とビエンチャンに行き再び観光ビザを取ってきました。
今度はその観光ビザをバンコクの出入国管理局で3ヶ月のOビザに取り直しました。そのOビザの滞在期間が1月の初めに切れるので、今日はルーイ県のチェーンカーンのイミグレに行き滞在期間延長の申請をしました。
ティアもオーイも場所が分からないので私が運転していくことになりました。

私の場合とはかなり条件が違うようです。銀行の残高証明も不要のようです。

9時にイミグレに着いて申請を始めましたが、係官に役所の証明をもらう必要があると言われ出直すことになり、妻の店のある街を通り過ぎプーカドゥンの役所まで行きました。  
役所で必要な書類をもらい午後再びチェーンカーンのイミグレへ行き、何とか申請が出来ました。
欲しいのは1年の滞在期間の延長ですが、まずは15日間の滞在期間が与えられ、15日後に再びイミグレに出頭することになりました。
問題がなければその時に1年の滞在期間の延長がもらえるということです。

係官は前回私と妻が行った時に袖の下を要求した係官でした。
私の顔を覚えていて、見てはニヤニヤーとして、日本へ行ってきたのかと聞いていました。いい感じはしませんでしたが、今後お世話になるかもしれないので笑顔を挨拶をしました。ムカムカムカムカ



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バー君の服

2007年12月26日 | 日々の暮らし
今日は平日ですが、ウドンに仕入れに行きました。
出発がいつもより遅かったので帰りは8時近くになってしまいました。

妻の方は街で市場があったので、売り上げがあまり芳しくなく資金もないので少しだけしか仕入れませんでしたが、アリちゃんの方は下着や普段着などを大量に仕入れていました。ピーマイ用に売れるのだと思います。

妻とウドンの服の市場を歩いていると、今度ウボンに行くからバー君の服を買ってくれと言われました。ピーマイが終わったらウボンにいくらしいです。
ウボンまではかなり遠いのでチョッと心配ですが・・・。
可愛いバー君なので上下の服を4着も買いました。アリちゃんの店で売っているものより数段良い品物です。
1着はチェンマイ風の黒い上下で、私が気に入って買いました。
着せたら是非写真を撮りたいと思います。


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日本風の味

2007年12月25日 | 日々の暮らし
日常の食事の8割ぐらいは家族同じ物を食べていますが、何か物足りなさを感じるときがあります。やはり日本の味がほしくなります。
冷蔵庫には醤油、みりん、日本酒(バンコクで買った「忍」)、味噌が入っています。その他に棚にはインスタントスープの素、固形のカレーとホワイトシチューの素、ウドン、そば、スパゲッティーの麺類が入っています。

先日、ビエンチャンに行った帰りにウドンのロータスによってマヨネーズ(タイで製造)、マーガリンそして麺を買ってきました。
麺は他のブログにもよく紹介されている「麺だけ」です。


隠れていますが「麺」の字の右上に「だけ」と書かれています。

インスタントスープの素の中に「中華スープ」があったので、ラーメンにして食べました。   買ってきた「麺だけ」は美味しいとは言えませんが、まあ、普通の麺でした。中華スープの素で作ったスープがいまいちで、不味いラーメン屋のラーメンとという感じでしたが、日本風の味を味わうことが出来ました。

50年も日本の味を食してきているので、これからもたまには自分で作って日本風の味の物を食べていくつもりです。


イサーン人から教えてもらったタイ米の炊き方でご飯を炊いて食べました。
かなり日本で食べるご飯に近くなりました。
食べている間に、急に牛丼が食べたくなりました。
ご飯が出来たので、今度は牛丼にトライしてみようかな~


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選挙当日の様子

2007年12月24日 | 日々の暮らし
選挙の前日は店を早く閉めて家に行きました。   

我家で選挙権のあるのは妻とアリちゃんと旦那のナッテインの3人ですが、妻とナッティンは住所の登録が家のあるホイデュア村で、アリちゃんは実家のあるサムハイ村で投票します。

選挙投票日の朝、妻とナッティンは家の近くの学校へ行って早々と投票を済ませました。アリちゃんは投票を済ませた旦那とノンヒンの店を開けに行き、旦那に店を任せ妻とゴイとバー君を連れて投票のために実家に行きました。
私とナッとガキ3人組みは家で留守番です。
妻からは芝生にタップリと水を巻いておくように言い付けられました。

子供たちに日本語を教えましたが、新しいことを教えるテンポが速すぎるようで、
カウチャイ・ニノイでした。


勉強が終わると早速食べていました。真ん中にあるのは熟したマラコーを凍らせたものです。臭いの強いアイスキャディーのような感じでした。


3ヶ月前から家の駐車場にポンコツ車があります。


年代もののトヨタ・コロナです。


塗装が浮き上がっています。

この車はロアン・ルンの車です。2年前にバンコクの郊外で他のお坊さんからもらったものです。よくルーイまで運転して運んできたものだと思います。
お寺にずうとあったのですが、何故か3ヶ月前から家の駐車場にあります。屋根のあるところに置きたいのかもしれません。
日本だったら当然廃車ですが、いつまで置いておくつもりなんでしょうか。一応動くらしいです。ナンバーも付いています。


「タイで田舎暮らし」のみそのさんの記事にもあったブーゲケンビリアです。大きくなりすぎて困ります。これでもたまに切っているんですが。赤、ピンク、白の3色の花(実は葉)が咲きますが、今はピンクと白が咲いています。


中にある白いものが花だと思います。周りのピンク色は葉だと思います。
注意深く見たことがなかったので知りませんでしたが、みそのさんの記事へのhitoshiさんのコメントで教えてもらいました。 確かに・・・・。

我家の庭にはカヌンの木がありました。


この木ですが、よく見ているのになんの木かは知りませんでした。単なる日除けの木かなと・・・。


下の方を見ると小ぶりなカヌンの実がありました。まだ木が大きくないので食べられる実が生るにはしばらく年月がかかりそうですが確かにカヌンです。

自分の家ですがまだまだ分からないことがありそうです。


妻に言いつけられた芝生への水巻をやっていると、ナッが廃物利用で簡易スプリンクラーを作ってくれました。


裏の畑の隅に廃材やガラクタが置いてあるのですが、それを利用して作ったようです。本当に器用です。
芝生の下にはスプリンクラー用のパイプが通っています。芝生を張った時に通したのですが、水圧が弱いのに4個もつけたので水がチョッロ・チョッロしか出ませんでした。
草刈機で芝生を刈っていたときに切ってしまったので外してしまいました。
スプリンクラーは2個作ってくれましたが、時々位置を動かさないと芝生全体には水を巻けません。


選挙はタクシン前首相派のパラン・プラチャーチョン党が過半数に近い議席を獲得しそうで、第1党になるようですが、私の1日は選挙と全く関係ありませんでした。


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コンサート

2007年12月22日 | 日々の暮らし
お姉さんは今日の午前中に市場が終わったティアの車でサムハイ村に帰りました。

お姉さんが帰るとすぐに今度はロアンルンがオー、ボー、ビィアの3ガキを連れて店に来ました。ということは日本語の勉強は今日はまたお休みです。明日は選挙の関係で家に行かなければならないので、出来たら明日やるつもりです。
今週の後半は人が入れ替わり来て賑やかな週になりました。

市場は1週間だと思っていましたが10日間やりました。


お姉さん、息子のティアとミャンマー人の奥さんのオーイです。
美人のオーイも疲れ気味で目の下にくまが出来て落ち込んでいました。

市場が開かれている期間の後半には、毎晩コンサートが開かれていました。
出演者も日によって変わり若い人と向きの時は、深夜の店の前は見終わったて帰る若者でとても騒がしく警察官も出て大変でした。若者はキーマオ状態の人が多かったと思います。
怖いもの見たさの妻は窓を少し開け覗いていました。

昨日は最後ということで、妻、ゴイ、お姉さんとモータサイで駆けつけたガティとでコンサートを見に行きました。
私とナッはバー君の面倒をみながら留守番です。
昨日はかなり年配の歌手が出演したようですが、それでも若者も見に行っていて帰ってきた妻は喧嘩があって大変だったと話していました。
妻たちは8時過ぎに行って12時過ぎに帰ってきました。バー君はおとなし寝ていたので今回は楽な留守番でした。
これで味をしめた妻が、バー君を置いて何処かに行くのが増えるような気がします。

いつも同じことの繰り返しですが、本当に暑いです。


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ビエンチャンでの1泊

2007年12月21日 | 日々の暮らし
今日も朝から日が差して少し動くと汗が出るほど暑いです。
明け方もあまり気温は下がらず、半ズボンとTシャツでOKです。
妻の言うことはあてにはなりませんが、今年のナー・ナオはもう寒くならないと言っています。お店としてはジャンバー類が売れなくて困ります。

昨日は、お姉さんが2人の娘と遊びに来ました。遅い昼ごはんを食べて娘2人は帰りましたが、お姉さんは泊まって朝から息子のティアがいる市場に行っています。声が特に大きいお姉さんでいるととてもにぎやかです。


今回のビザ取得のビエンチャン行きはラオスでの初めての泊まりとなりました。


泊まったホテルです。前回オーイと妻が泊まったホテルで朝食付きで一部屋700バーツでした。ホテルの入り口はレストランになっています。


ホテルの看板です。ホテルの名前はkham khounと書いてあります。
おせいじにもキレイなホテルとはいえませんが、寝るだけだったので問題ありませんでした。貴重品は常にバックに入れ持ち歩いていました。
お客さんはほとんどファランとタイ人かラオス人のようでしたが、1人日本人のお客さんがいました。30歳ぐらいで一人旅をしているようでした。

タイ大使館でビザの申請を終えすぐにチェックインして昼食を食べました。
朝から何も食べいなかったので妻は3品注文していました。


名前は忘れましたがタイにもある料理だそうです。味はチョッとタイのものよりマイルドでした。


豚肉とハーブ系の炒め物。


とろみが少しある野菜炒め、酢豚風(肉抜き)
とても食べやすかったです。

私は昼からビールを飲みました。


癖もなくとても飲みやすかったです


食べ残しであまり残っていませんが、私はビーフステーキを注文。硬い肉のようでやわらかくするために叩いて繊維が無くなっていましたが、かかっていたぺッパーソースはまずまずでした。


ビエンチャンは3年前に来た時に観光をしたので、暑かったこともあり観光はしませんでした。
ホテルのすぐそばに大きな2階建てのショッピングモールのようなものがあったので2回も見に行きましたが、衣料品関係の店が多く値段も高めでした。ショッピングモールでは何も買わずに外で店に飾る商売繁盛のための置物を買いました。

ビエンチャンでも車はトヨタが多かったですが、韓国の「現代」(ヒュンダイ)の車も目立ちました。トヨタ車はやはりタイでもお馴染みのヴィーゴが一番多く走っていました。左ハンドルですが、タイで作っているのかな~

今度、ビエンチャンに来る時は少し下調べをして観光もしたいと思います。しかし、ビエンチャンは1年中暑いのかな~。


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タイ大使館 イン ビエンチャン

2007年12月20日 | 日々の暮らし
18日は朝5時15分に店を出発しました。

シッカリ者のティアが商品が減ってきたので服の仕入れに行きたいというので途中のウドンまでいっしょに行きました。帰りはバスで帰るそうです。

8時過ぎにノーンカイに着き、いつも車を預ける駐車場に車を預けラオス側に到着しました。妻が前回、ティアの奥さんのオーイと行ったときにビエンチャンまで乗せてくれたトゥクトゥクのおじいさんがいたので、それに乗ってビエンチャンのタイ大使館まで行きました。
ラオスには、とんぼ返りの入国を4回していますが、ビエンチャンまで行くのは3年ぶりです。3年前は車をチャーターしてやはり妻と日帰りの観光をしましたが、ビエンチャンまでの道が良くなっていたので驚きました。ビエンチャンも変わっているんですね。
車だと20分ぐらいで着きますが、40分もかかってタイ大使館に到着しました。
乗ったトゥクトゥクのおじいさんは安全運転で、他のトゥクトゥクにも抜かれていました。


タイ大使館の入り口です。

大使館はファランの人でいっぱいでしたが、まず入り口の前にいた代書屋おばあさんに申請書の代書を頼みました。初めて行った人はこのおばあさんが代書屋だとはおそらく分からないと思います。代書はこのおばあさんがするわけではなく、そばで水やジュースを売っているお姉さんがやります。申請書は日本のタイ大使館のものとは随分違っていました。

くま君さんのコメントで添付書類を教えてもらいましたが、参考のためにもう一度紹介します。これはあくまでも今回私がOビザ(家族ビザ)を申請した時のものですからあくまでも参考までとしてください。

●自分のバスポートのコピー
 写真が載っているページです。
●妻のIDカードのコピー
 表と裏の両面で、余白に妻のサインをしました。
●妻のタビアンバーンのコピー
 表紙と1ページ目で、余白に妻のサインをしました。
●結婚証明書
 本物も持っていましたが、コピーで大丈夫でした。
●写真2枚
 3センチ×4センチ 申請書に貼り付けます。 少しぐらい大きさが違っていて 大丈夫な感じでした。

代書してもらった申請書とパスポートに添付書類をつけて申請します。
申請するところは、入り口を入って左側の屋根だけの建物でした。

申請が終わったら今度は入り口の右側にある建物で名前を呼ばれるのを待ちます。


この建物中で名前を呼ばれるのを待ちます。

30分ほどしてやっと名前が呼ばれ、2000バーツを支払いパスポートの引換証を貰いました。引き換えは翌日の13時からです。


翌日、12時15分に大使館へ行きましたがすでに10人ほどが並んで待っていました。ファランの中に日本人も1人いました。
くま君さんから帽子を持っていったほうが良いとアドバイスされていましたが忘れてしまい、頭にハンドタオルを置きましたが、帽子は必ず持っていったほうが良いです。
妻は暑い暑いといってトゥクトゥクの中で待っていました。
13時には30人、40人ぐらい並んでいました。ファランはキチンと並んでいましたが、ラオス人らしき人が5、6人割り込んできました。国民性ですかね。
申請した屋根だけの建物で引換証と交換にOビザが張られたパスポートをもらいました。

ビエンチャンのタイ大使館でのビザの取得は比較的簡単なのかもしれません。
申請の時のチェックも早く、流れ作業的な感じがしました。
それでも業者のような人もいて、ファランを引率してきているようでした。引換証をもらうときに、名前を呼ばれたファランにお金を渡し、引換証をもらうと預かっていました。

これで3ヶ月のタイ滞在が出来るようになりましたが、滞在期間が切れる前に滞在期間延長の申請をやるつもりです。 
先日、ルーイ県のチェンカーンにあるイミグレで話を聞いた時にそこの係官が訳の分からないことを言っていたのでバンコクでやろうと思っています。


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