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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

家族のなまの声で

2025-05-06 | 書評欄拝見
5月4日(日曜日)の産経新聞読書欄で
瀧井朝世氏による村田喜代子著「美土里倶楽部」(中央公論新社)の
書評を読みました。
書評では題して「夫を亡くした女たち」となっておりました。
ちょうど前日の3日一回忌の法要があり、それもあってか気になり注文。
今日読み終える。
80歳の夫を亡くした70歳代の美土里が主人公。
葬儀は葬儀屋にたのんですませたのですが、
檀那(だんな)寺をもたないので、娘夫婦との
こういうやりとりがある。

『 初盆の翌月は、すぐ一周忌ですからね。
  お寺を探して早めに予約しておくか、
  それともネットでお経を頼みましょうか 』(p179)

ネットでお坊さんの派遣員にお経を頼むかどうか、
そんな会話を重ねての、その結論はというと、

「 『 最後にはこんな方法がありました。
    自分たちでお経の練習をして本番をやる 』

  『 本番って、お坊さんのように経文を読み上げるの? 』

  『 そうです。シロウトは当然下手だけど、
    テープより家族のなまの声ですから、
    一番心がこもっているんですね。
    ぼくらで声を合わせて一生懸命に唱えれば、
    お義父さんだって喜んでくれると思いますよ 』

  そうかもしれない、と美土里は思った。・・・・・

   『 ただそのためには何回かぼくらで集まって
     練習する日にちがいります。・・・・
     その練習の努力もお義父さんへの
     回向(えこう)になるかもしれませんね 』 (p180~181)

 こうして練習するお経のタイトルは
 『 妙法蓮華経 如来寿量品(にょうらいじゅりょうほん)第十六 』


はい。こんな場面をはさみながら、あと
伴侶を失くした60代の美子さん。
追悼の句集をつくりたいとパソコン教室を訪れた辰子さん。
大分の友人。それに、
30代の教子さんを交えた交際の顛末。それが第八章まで
つながって織りなされておりました(全241ページ)。


うちは日蓮宗です。ちょうど法事の3日には、
坊さんに合わせて経文を読んおりました。
それで小説の『回向(えこう)』の場面は身近でした。

はい。そんな感じで読み終えました。



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もしは・・にても。

2025-05-04 | 地域
昨日5月3日は法事でした。
日蓮宗のお坊さんの読経にあわせて、経本を読んでゆく。
今回はあらたに「妙法蓮華経。如来神力品。第二十一」を読経。
その最後の箇所を引用しておくことに。

「・・・解説書写し。説のごとく修業し。
 もしは経巻所住の處あらん。もしは園の中においても。
 もしは林の中においても。もしは樹の下においても。
 もしは僧坊においても。もしは白衣の舎にても。
 もしは殿堂に在っても。もしは山谷曠野にても。
 是の中にみな塔を起て供養すべし。

 所以はいかん。まさに知べし是の處は。
 すなはち是れ道場なり。

 諸仏ここにおいて。
 阿耨多羅三藐三菩提を得。
 諸仏ここにおいて。
 法輪を転じ。
 諸仏ここにおいて。
 般涅槃したまふ。               」

それが終ると、ほんの10メートルほどの地元の料理へ。
今回は電車で来てくれた人もおり、心置きなく楯野川酒造の生酒を
カラフルに三本ならべて利き酒をしながらの会話となりました。
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地元地震参考本②

2025-05-03 | 安房
貝塚爽平著「富士山はなぜそこにあるのか」(丸善株式会社・平成2年)

この本に掲載されている図が印象深く紹介させていただきます。

日本地図で、東北から西は淡路までの範囲が図にあります。
そこに、日本海溝・伊豆小笠原海溝・相模トラフ・駿河トラフ
そして、フォッサマグナの線がひかれています。

最近は、テレビの天気予報で日本地図が出る際に、
太平洋の日本海溝が太平洋に深く黒ずんで描かれております。
あれは、東日本大震災後から出るようになったのでしたっけ?

それはそうと、相模トラフは、普通は線で表現されますが、
貝塚爽平氏のこの地図は、違っておりました。

相模トラフの陸地側を帯のように塗りつぶされおります。
そこに、『 プレート境界の褶曲帯 』とあります。

( 『褶曲帯(しゅうきょくたい)』とは、
  「 地層の側方から大きな力が掛かった際に、
    地層が曲がりくねるように変形する現象のこと 」とあります )

はい。よく見れば、地元安房は相模トラフの褶曲帯の上にある。
つまり、私たちはその褶曲帯の上に暮らしているのがわかります。

図での表現には、いろいろありますが、普通には、
相模トラフは、線で表現され指摘されております。

はい。知識として相模トラフを線で知るのと、
相模トラフの褶曲帯の範囲を理解するのとは、
私みたいな素人とって、直下型地震の理解を、
眼前につきつけられるような助けとなります。

もどって、貝塚氏の本文を引用しておきます。
『相模トラフ』・『駿河トラフ』について、こうありました。

「 この二つのトラフとそれにつづく南海トラフは
  深さが4000メートル前後以下であるから、
  日本海溝や伊豆小笠原海溝の深さにくらべると半ば以下しかない。

  しかし、これらのトラフ沿いでは、
  1946年南海地震、1923年関東地震など、
  いわゆる巨大地震が繰り返しおこっている。   」(p95)

『 これらのトラフ沿い 』が貝塚氏の図では一目瞭然なのです。
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地元地震参考本①

2025-05-02 | 地震
「地元安房の関東大震災」。その参考本①は、

武村雅之著「関東大震災 大東京圏の揺れを知る」(鹿島出版会・2003年)。

p14~15には、2つの縮尺地図が並べてあります。
同じスケールで、関東地震と兵庫県南部地震の断層の大きさを比較している。

「 兵庫県南部地震の直後、私が被害調査のために
  兵庫県西宮市の激震地に足を踏み入れたときの衝撃・・・
  ・・・・
  もっと大きな衝撃は、激震地からわずか数百メートルしか
  離れていない六甲山地の山麓には、ほとんど被害のない
  地域が続いていたことだった。・・     」(p127)

ここから、地盤構造に着目して語られているのですが、
そこには、こうありました。

「・・・大正12年の関東地震そのものを想定している例も多いが、
 関東地震による被害のデータを調査整理し利用している例は少ない。」(p128)

そして、こう指摘されるのでした。

「これはいったいどうしたことだろう。震災は繰り返すのに、
 せっかくの過去の経験が生かされていない。その原因は、
 過去の経験が容易に利用できるようになっていない
 からではないだろうか。・・・  」(p128)  


ということで、昨年の新聞の関谷直也氏への聞書き
( 読売新聞・2024年2月1日 )の見出し脇にはこんな言葉が

「 地域ごとに特性がある災害の記憶を防災にどう生かせばいいか 」

「 まず、各地域で災害の特性が違うことを理解しなければいけない。 」

「 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ。 」 


はい。今年の講座『地元安房の関東大震災』では、
記録資料を正確に引用したテキストを用意することにします。
関谷さんの語りにはこうもありました。

「 災害は忘れられることを前提に、
  地域で起きた過去の災害を知り、
  よその災害を学び、語り継ぐことが、
  真の防災だと思う。 」


はい。とりあえず、参考本のはじまりに武村雅之氏の本をもってくることに。
残念なのは、吉村昭著「関東大震災」もそうなのですが、そのどちらにも、
本の最後に載る参考文献に、安房郡役所編纂の『安房震災誌』がないこと。
はい。これは、地元でとりあげます。


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唯一の遺産として。

2025-05-01 | 本棚並べ
「アルバム・シベリアの日本人捕虜収容所」(朝日新聞・1990年)。
この古本を200円で購入。帯付でカバーも本文もきれいでした。

本を買ってもしばらくして、これをなぜ買ったのかを
すっかり忘れてしまっている自分に何度もでくわしたことか(笑)。
ここはひとつ備忘録として3冊を並べておきます。

①曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)
②蓮井秀義著「シベリヤの月 わが捕虜記」(かもがわ出版・2014年)
③「アルバム・シベリアの日本人捕虜収容所」(朝日新聞社・1990年)

①にはこうありました。

「・・・神が見えもせず、沈黙している、というところにこそ、
 初めて人間が見えざるものへの忠誠を尽くす、
 という信仰の証しがなり立つのであって、

 神が野球のアンパイヤのように、即刻、
 私たちの行為がストライクかボールか、判断する、
 ということになったら、人間は
 神のご機嫌をとるためだけに行動するようになる。  」
             ( p33 「心に迫るパウロの言葉」 )

②に、『日本新聞』という箇所(p152~)がありました。

「ハバロフスクで発行される捕虜の教育のための新聞は、ソ連は天国
 のように豊かな、世界一文化の進んだ国のように言うが、現実に目に
 見るソ連は貧しく文化の遅れた国で、どうしても信用できなかった。

 スターリン大元帥閣下への感謝署名運動がおこる。
 『 私たちは資本主義の牢獄から解放され、シベリアに来たおかげで、
 社会主義者の祖国・労働者の祖国の再建にたずさわることができた。
 こんなありがたいことはない。 』というのである。
 全員が署名する。署名しない人は反動と見られ転属になる。
 捕虜が敵の国の元首に感謝の決議文を掲げた例はあっただろうか。
 私は帰還命令が出るごとに感謝文を捧げた。・・・  」(p152~153)

 この前には、蓮井秀義さんの短歌が載っております。

   日本はあらゆるものが悪くしてこの国のものはすべてよろしと

   新聞でみるこの国の現実は遠い異国の如く違えり

   この国の捕虜になったを感謝して決議文だす日本の捕虜

   人間はかよわきものよ捕まった捕虜は捕えた国を讃える


このあとに、古本で③を手にしたわけです。
ソ連側から撮った写真に、ソ連側から発行された日本新聞。
収容所で、活字に飢えていた捕虜がその新聞を開いている写真。
そんな中に、ありました『感謝決議文』。写真ですが読めます。

ある決議文のとなりには写真があり、その下にこう説明がつきます。

「 『感謝決議文』朗読。帰国を前にしてソ連政府への『感謝決議』に
  拍手する抑留者たち。『感謝決議』は梯団ごとに行われた。 」(p106)



こうして本の引用をところどころ引用していると、
そういえばと思い浮かんでくる本があるのでした。

 
➃  『 The  Art of  Gaman 』

これは、平成24年から25年にかけて日本で開催された展覧会で、
その頃にテレビでも放映されておりましたから、ご存知の方もおられるかと。

すっかり忘れてましたが、私も気になりこの展覧会を観にゆきました。
この本には気になった新聞記事とパンフレットがはさんでありました。
まったく忘れていましたが、記事は朝日新聞2012年11月21日文化欄。
ここには、パンフレットのデルフィン・ヒラスナさんのメッセージの
はじめを引用してみます。

「 私が、第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人の
  芸術作品に初めて興味を持ったのは、2000年に母親を亡くした後でした。
  
  ある日、両親の収納部屋を物色していた私は、隅の方でほこりをかぶった
  木製の宝石箱を見つけました。・・・・

  日系二世である私の両親やその友人たちは、第二次世界大戦に12万人もの
  日系アメリカ人が強制収容された事実について、あまり語ろうとしません
  でした。・・・・皮肉にも、私には強制収容に関する知識がほとんど
  ありませんでした。

  そこで、本の執筆用に芸術作品を収集するにあたり、
  私は収容所や出所後の生活について、作品の所有者の
  体験談をじっくりと聞くことにしたのです。・・・・

  私の両親は、私が『アート・オブ・ガマン』の執筆を始める前には
  亡くなっていたので、残念ながら彼らの体験談を聞くことはできません
  でした。しかし強制収容所での体験が、彼らの人柄や親としての姿勢に
  深く影響していたということは、確実に感じ取ることができました。

  そして、威厳と誇りを捨てず、厳しい時代を生き抜いた両親に対する
  尊厳の気持ちが、私の中で更に深まったのです。・・・・   」


あと、未読ながらドナルド・キーン編(中央公論新社)の
「昨日の戦地から 米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア」も
気になりました。

ここには、アートオブガマン展のメッセージの最後を引用しておわります。

「 『アート・オブ・ガマン』は、第二次世界大戦中に
  強制収容された日系アメリカ人が、収容所のガラクタや素材をもとに
  作った芸術作品を紹介するだけでなく・・・・

  彼らが残したのは、怒りや涙ではなく、豊かな発想と
  創造力あふれる精巧な芸術作品だったのです。
  現代に残された、唯一の遺産として。     」


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テキストあり。

2025-04-26 | 地域
5年前に、公民館の地域推進委員の代表の方が
地元の石碑めぐりの講師依頼に、家に来られた。
それからの縁で、今年の7月でそれが5回目となります。
もう推進委員の方も高齢で、私への依頼も最後になるかも
しれなということを言われる。うん。これが最後だと思って
しっかり5回目の講座をしようと思っております。

思えば、第一回目こそ、依頼に則って話したのですが、
二回目からは、私の思い浮かんだテーマで自由に企画させていただき、
その都度、推進委員の方には、御迷惑をかけたのではないかと思います。
各講座の題名を並べておきます。

第一回目『 石碑が語りかけてくれている地元震災への心構え 』
第二回目『 海と校歌の 和田浦さんぽ 』
第三回目『 関東大震災と「復興の歌」 』
第四回目『  安房郡の関東大震災   』

そして、今年の7月23日(水曜日)の講座の題の予定は
    『  地元安房の関東大震災  』
ということで、これで公民館講座の私の出番は最後かもしれません。
はい。最後のつもりで、しっかりと講座内容を練っておくことに。
はい。どうせ当日は、いつもウッカリ失敗するのが目にみえてる(笑)。
せめて、テキストだけはりっぱなものを提供できるよう今から心します。

じつは、昨年の参加者アンケート結果のなかに、
こんな言葉を寄せてくださった方がおられました。

「関東大震災の内容をもっとくわしく教えてほしい。(もっと時間をかけて)」

「今回の関東大震災の話とプリント等を、もう一度どこかで
 企画してほしいです。たくさんの人に学んでほしい。    」

「歴史と防災を絡めた講座(今日受講できてよかったが)度々催して欲しい。」

これらのアンケートうけて、忖度してくださった
推進委員の方々が、今年の企画をしてくださったのだと思っております。
はい。それに恥じないように、最後だと思って講座を持ちたいと思います。

まずは、公民館の広報で4行ほどの宣伝文を書くのが最初の仕事。
とりあえず、こう試し書きしてみました。最後に、その広告全文

   
        地元安房の関東大震災
 
    今回講座は、授業のような座学の2時間。
    『安房震災誌』等の記録資料をベースに、
    約百年前の安房の大震災をたどります。
    テキストがあり、予約お願い致します。

               防災士・〇〇▽▽


はい。前回アンケートに答えていただいた方々へと今回
の講座の連絡を、短く葉書で伝える気軽さで綴りました。


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2025年『安房の関東大震災』はじめに。

2025-04-25 | 地震
そういえば、曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)に
おもしろい『 自信 』への指摘がなされておりました。

「・・それ以来、私は何について自信があるといったって、
 人の気持ちが分かるわけがない
 という点について自信を持つようになった。

 よく、人から聞いた噂をもとに怒ったり
 あきれたりしている人がいるが、
 それぐらい無駄なものもないので、
 私は自分が直接聞いたことか、
 その人が自分で書いたものしか、
 あまり信用しないことにしている。
 新聞の談話などというものも、
 実にいい加減なものである。・・・   」(p153~154)

昨年の読売新聞2024年2月1日文化欄に
関谷直也氏(総合防災情報研究センター)へインタビュー記事がありました。
こちらは、いい加減じゃなく読めました(笑)。
そのはじまり

「能登半島地震が起きて改めて、各地で起きている災害を
 自分事として考えているか、と思わされた。
 まず各地域で災害の特性が違うことを理解しなければいけない。」

そのあとに

「 地震と津波、火災など、
  地域ごとの災害の特性を伝え継ぐ必要がある。・・  」

「 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ。・・  」

「 災害は忘れられることを前提に、
  地域で起きた過去の災害を知り、
  よその災害を学び、
  語り継ぐことが、真の防災だと思う。・・  」


ここに、「 地域ごとの災害の特性を伝え継ぐ必要がある 」とあります。
重要性に、各地域ごとの『災害の特性』を伝え継ぐことがあげられている。

はい。これからは、地域の『災害の特性』を語る必要があるという
方向性が示されているのでした。
うん。この指摘の上にたって、『安房の関東大震災』を語ってゆきます。
幸いなことには、安房の関東大震災に関しては、
検討にあたいする資料記録が地元にあるということです。

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信仰と美学

2025-04-24 | 古典
とりあえず、はじめて読んだ
曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)
の感想は、今回でおしまい。
再読すれば、また別のことが思い浮かぶのだろうなあ。

本の最後のほうで、曽野さんはこう書いております。

「 受け身の美学というものは、もの心ついて以来、
  私の心の中心にある。私は一応は運命に対して
  口答えも反抗もするのだが、実はほんとうは
  世の中のことはどっちへ転んでもいい、と思っている。
  ・・・・自分からはあまり積極的でない。・・

  ・・強いパウロに、このような控え目な、
  運命や時の力にスタートラインも成り行きも任せよう、
  むしろその中に、神の意志を見よう、
  という態度があることは意外であるとも言える。・・・  」(p294)


具体的な例が印象深いのでした。そちらも引用。

「 私の身近にも、何人か、洗礼を受けながら、
  それを世間に公表しない人がいる。・・・・

  こういう人たちは決まって、ひそかに
  洗礼を受けた後、今まで通りの非キリスト教的な
  行動をしてかまわないだろうか、と心配する。
  たとえば或る家には、お姑さんがいて、元旦には
  必ず浅草寺と成田山にお詣りする。洗礼を受けた後、
  そういうことができなくなると、家の中に
  波風が立つと心配するのである。

  しかしカトリックは決してそのようなことを禁じない。・・
  そこに私はカトリックの信仰の一つの明確な姿勢を見るのである。

  これは、信仰はいかなる人をも、強制しないということである。
  むしろキリスト者は運命に対して全体的に受け身でいなければならない。
  ただその受け身の姿勢で受けた自分の運命の中で、
  どれだけキリスト者的でいられるか、
  ということだけが問題なのである。

  私(曽野綾子)の母も父に隠して洗礼を受けた。
  律儀な母もその時同じように心配し、
『 日曜日に主人がミサに行くことを禁止しましたらどうしましょう 』
  と私の学校のシスターに聞いていた。するとそのシスターは
  ためらうことなく、答えていらしたのを、
  私は今でもありありと覚えている。

『 たとえ、一生に一度ももう教会にいらっしゃれなくても、
  そんなことを少しも心配なさることはないんですのよ。
  それよりもご主人さまのお望みになるようになさいませ 』 」
                       (p292~293 単行本)

この例を語ったあとに、曽野さんはこう書くのでした。

「 受け身の美学というものは、もの心ついて以来、
  私の心の中心にある。・・・・・・・

  私は自分がそのように感じることを、
  自分の生理的な特徴から出たものであって、
  キリスト教とは別のもののように長いこと思っていたが、
  実はむしろ偶然に全くキリスト的なものであった。

  どちらが先なのか分からないが、
  私は自分の信仰と自分の美学が対立しなかったことに、
  恋愛が成就したような嬉しさを感じるのである。   」(p294)


うん。こんなことは、ほんの一回読んだからといって、
分る筈もないのですが、それでも、こういう風に考えるのか?
ということは読み取れました。
だからって、自分がどうするわけでもないのですが、
それにしても、信仰と美学というのは何だか貴重なテーマ
なのだと、思うことしきりです。

はい。これで『心に迫るパウロの言葉』の初読感想はおわり。

ちょうど、4月22日に、公民館の推進委員の方が見えまして、
年一回の講座日時を7月23日(水曜日)午前中10時から12時までと
とりあえず決定。今回は講義ぽい座学となります。
場所は町のコミセンの3階とそこも決定。
題は変わりばえしませんが『 安房の関東大震災 』です。

もう一度、昨年のブログに記してた文の読み直しからはじめます。
正確に記録から再現するために、資料冊子は厚くなりそうです。
公民館職員の方は、そんなに資料費用が出せないようで、
ここはひとつ、資料冊子を有料にして参加者に購入してもらおう。
そんなことを思い描いております。まずは、
買ってもよいと思えるような、買いたくなる資料冊子をつくる方が先決。
ということを思って、講座当日に、言い忘れがないようにと、
いまから資料記録の再読です。


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向きが変わる。

2025-04-22 | 道しるべ
曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)で
曽野さんは、信仰について

「 原則として言えば、人間が信仰を持つということは、
  向きが変わることだと私は思っている。       」(p46)

どのように向きを変えるのだろうと思いながら、
気になった箇所がありました。

「 パウロが自分さえも裁かない、  
  というのはすばらしい言葉で、
 『 自分の悪いことに平気でいよう 』ということではなく、
 『 自分はよくやった、と思うな 』ということであろうと思われる。」
                          (p40)

この箇所は、私にとって思ってもいなかったことでした。
低いことばかり気にかけていたけれども、
高いところに蓋をしていたような気になります。
ということで、
こんな箇所もありました。

「パウロは、人間が高ぶることを何度もいましめている。
 人間はほんとうは何一つ分かってはいないのである。
 たとえ、いささかの発見をしたからとて、
 それは途方もなく複雑で広大なこの世の仕組みの、
 針でつついたほどの一部を明らかにしたに過ぎない。
 私たちは賢いように見える人でも何も見えていないのだし、
 たとえ多少ともましなことができても・・      」(p64)

この少し前には、こうもありました。

「・・嫉妬は苦しいが、人を尊敬することは喜びだという実感を、
 はっきりと確認し得たのは、私の場合かなりあとになってからである。

 『 競って尊敬し合う 』というのは、
 『 尊敬することにおいて人に勝りなさい 』
 『 人を自分より勝っているものと思いなさい 』ということであろう。

 実に生きる喜びの一つは、尊敬すべき人に出会うことである。 」(p64)


はい。向きが変わって、ちっぽけな自分を味わう気分になります。
うーん。『 人を尊敬することは喜びだという実感 』
う~ん。そんなことを思ってもいなかったなあ、今まで。

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しかし、パウロは。

2025-04-21 | 短文紹介
曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)を
ポツリポツリと引用しているのですが、そういえば、
パウロの言葉を直接引用してなかったかもしれない。
すこしは、引用しておくことに。
その前の曽野綾子さんの言葉から引用をはじめます。

「 『人生何をなすべきか』などという質問は、
  青春にしか思いつかない問いである。若い時、
  人間はこういう言葉を始終自分に投げかけ、
  しかも、全く答えの出ないのが普通なのである。

  しかし、パウロはそのことに、
  もののみごとに答えている。
  しかも胸を打つような表現で、である。

 『 畏(おそ)れおののきながら、
  自分の救いを力を尽くして達成しなさい。
  
  あなたがたのうちに働きかけて、
  ご自分のよしとするところを望ませ、
  実行に移させるのは神だからです。

  何ごとも、不平を言ったり理屈をこねたりしないで行ないなさい。

  ・・・ゆがみ、ねじ曲がった世代にありながらも・・・
  そして、いのちのことばを自分のものとすることによって、
  人々の中で、この世に輝く星のように光り輝きます 』
                ( フィリピ2・12~16 )  」
            ( p185 「心に迫るパウロの言葉」単行本 )


はい。こうして引用していると、私は次に聖書をひらかなければ
いけないような、そんな気持ちになってきております。
ということで、「心に迫るパウロの言葉」にでてくる
気になった『聖書』という言葉を引用しておくことに。

「・・・私が爽やかに思うのは、働かなければ食べられないのだ、
 というような大原則が、次第に社会から薄れて行き、
 社会がどんな人間も生きられるように保証すべきだ、
 というような論理が次第に強くなりつつある時、
 
 聖書は決してことの本質を見失うような、
 あるいは社会の考え方の流行に迎合するような
 姿勢を見せてはいないということなのである。・・・  」(p250)

最後にもう一ヶ所引用しておわります。

「 今の時代に、肉と霊との闘いとは古い、と言うか、
  肉と霊が闘わねばならないようにさせているのは、
 『 政治の貧困か社会が腐っているからでしょう 』
  と言うことになってしまって、そのもっとも
  人間らしい分裂の状況をはっきりと認識さえしないのである。

  パウロは二千年近くも前の人だが、その人が真っ向に
  取り組んだ苦悩さえ、現代の我々は避けて通るようになってしまった。」
                      ( p287 単行本 )


さあ、私のことですから、いつになるかもわかりませんが、
とりあえずは、新約聖書を購入しておこうと思うのでした。
それよりも、まずはパウロの書簡と呼ばれるものから・・。
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神と、野球のアンパイヤ

2025-04-20 | 重ね読み
ちょうど、曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)と
蓮井秀義著「シベリヤの月 わが捕虜記」(かもがわ出版)と
同時に読んでいたせいか。2冊をむすびつけたくなります。

「・・・神が見えもせず、沈黙している、というところにこそ、
 初めて人間が見えざるものへの忠誠を尽くす、
 という信仰の証しがなり立つのであって、

 神が野球のアンパイヤのように、即刻、
 私たちの行為がストライクかボールか、判断する、
 ということになったら、人間は
 神のご機嫌をとるためだけに行動するようになる。  」
            ( p33 「心に迫るパウロの言葉」 )

蓮井秀義氏は、シベリヤ抑留のあとに、移動し、
「ナホトカの引揚者ラーゲルに入る。」という場面があるのでした。

「ナホトカには大きな収容所が二か所あった。
 先ず第一収容所に入って引き揚げの訓練を受け、
 引揚船に乗る直前に第二収容所に入るとのことであった。」(p142~)

このあとに、続く蓮井さんの短歌を並べてみます。

      入党誓約者

  一日も早くと帰国思う身に
            入党せずば帰さずと言う

  入党の誓約書かく
       帰りたいただ帰りたい心ひとつに


    「 日本新聞 」

  日本はあらゆるものが悪くして
       この国(ソ連)のものはすべてよろしと

  この国の捕虜になったを感謝して決議文だす日本の捕虜は

  人間はかよわきものよ捕(つか)まった捕虜は
                捕(とら)えた国を讃える

     つるし上げ

  いけにえを壇上に上げまわりから嵐の如く罵声あびせる

  一番の言いたいことは言えぬなりつるし上げする人中に潜めり

  土下座して両手を合わせて帰してと大の男の泣き叫ぶ声


      二度目の帰還命令

  待ちに待った帰還命令来(きた)れども
                 残る少しの人に我なる

  ナホトカに行くは帰ると決まりたるものにあらねば我は急がず


終りに、再度「心に迫るパウロの言葉」から引用することに。

「・・人々から一せいに糾弾されようとも、
 神に対して全く無罪だということもある。

 この二重性が・・・もしこれが一重になると、
 私は真理にではなく、世論に阿(おもね)り、
 世間を納得させることに全力をあげねばならなくなる。・・  」(p41)


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『感謝』のスタートライン。

2025-04-19 | 道しるべ
曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)に、
ところどころ『感謝』がでてくるのですが、曽野綾子さんの
青年と老年との、『感謝』の境界線の引き方が興味深かった。

まずは、こんな箇所はどうでしょう。

「・・感謝は現実問題として、若い世代では
   あまり身につかないものなのである。

   若い時には、自分に与えられた好意や幸運を、
   なかなか正当に評価することができない。・・・ 」(p209)

ここに、若い時とある。
つぎに、老人という箇所がある。

「・・残っている仕事は重要なことが一つだけだ。
   それは、内的な自己の完成だけである。
   この大きな任務が残っているということについて、
   全く自覚していない老人が世間には多すぎる。・・・

   老年は、若い時には忙しさに取り紛れてできなかった
   自分の完成のために、まさに神から贈られた時間を
   手にしているのである。・・            」(p214)


若い時に、ちっとも見えなかった『感謝』のスタートライン。
この年になってもまだ自覚できず、若いつもりでいる私にも、
何だか、境界線のスタートラインが前に見えはじめたような。

ということで、最後にこの箇所を引用。

「  パウロは三番目の幸福の鍵として感謝を挙げる。
   これはまさに最後の決定的な幸福の鍵である。

 ・・感謝はことに老年のもっとも大きな事業である。
   もし人間が何か一つ老年に選ぶとしたら、それは
   『 感謝する能力 』であろう。

   もっとも、この点についても、
   私たちは他人に厳しくあたってはいけない。
   たとえば、私はいま比類なく健康だから、
   私はいつも感謝する喜びを感じていられる。
   言葉を換えて言えば、健康を計るバロメーターの一つは、
   感謝ができることであり、人の行為を善意に解釈できることである。
   しかし少しでも不健康になると、
   とたんに私は自分中心になって、
   もう人に感謝する余裕などなくなってしまう。
    ・・・・・                」 (p244)

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gooblogが終了の年に。

2025-04-18 | 道しるべ
gooblogへ参加させていただく以前には
bk1というところで楽しんでおりました。
今年11月にgooblogが終了するとのこと。
行きつけ食堂が店仕舞してしまうようで・・・。

思い浮ぶ本がありました。
福田和也著「保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである」(河出書房新社)。
gooブログでの楽しみは、レストランとか食堂の紹介訪問で、
それこそ、横丁の食べ物やへ立ち寄った気分を味わえるのでした。
ありがたいことには、まだ11月までは、その気分を味わえる。


そして、思潮社の現代詩文庫「続・石原吉郎詩集」
詩の一行をかえて引用してみることに。

    gooblogが終了する年に
    かぜをひくな
    ビールスに気をつけろ
    ベランダに
    ふとんを干しておけ
    ガスの元栓を忘れるな
    電気釜は
    八時に仕掛けておけ

    ( 元の詩の題は、「世界がほろびる日に」p59 )


ちょうどいまは、曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」を
読んでいるので、最後に、この本から引用してみます。


「・・・私にとって、
 『 あの方は好きなことをなさったんですよ 』というのは
 深い尊敬の言葉である。
 『 好き勝手をした 』ということではない。なぜなら、
 世間では、ほんとうに好きなこと
 ( こうありたい、と自分に願っていること )
 をできる人というのは、そんなに数が多くはないからである。

 そういう仕事は一人でやらなければならないことも多いし、
 もし、組織の中でそれをやろう、としたら、
 フリーの立場よりももっと手ごわい反対を受けることも多い。
 ・・・・                」( p178 単行本 )
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という人は、すこし寂しい。

2025-04-17 | 本棚並べ
曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)を
とりあえず、一回読みとおしました。
四十の手習いで、堀田神父から、聖書の勉強を始めた
という曽野さんの10年の記録でもあるこの文を
とりあえずは、一回読めたことを喜ぶことに。

題名にもある『パウロ』について、こうあります。

「 パウロほど、信仰を持つ、ということはどういうことかを、
  適切かつ正確に、眼に見えるように表現した人は、
  ほかにいないのではないかと思う。 」  (p46)

聖書についても、曽野さんはこう指摘しております。

「 ・・聖書を読めば、何もかも書いてあるのになあ、
  と思ったことが何度もあったのである。・・    」(p101)

「 貧困、病気、戦争、飢え、裏切り、死別、精神的迫害、
  こららのものは、聖書にすべて登録済みであり、
  その願わしくない面と共に、それらの願わしくない面が
  試練として人間を強める場合も描いている。・・・  」(p120)


「東日本大震災の個人的記録」と副題にある
曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日刊)の
はじめの方にパウロが出て来ておりました。

「・・新約聖書の中に収められた聖パウロの書簡の中には、ところどころに
 実に特殊な、『 喜べ! 』という命令が繰り返されている。

 私たちの日常では皮肉以外に『 喜べ! 』と命令されることはない。
 感情は、具体的な行動と違って外から受ける命令の範疇外のことだからだ。
 だから聖パウロの言葉は、人間が命令されれば心から喜ぶことを
 期待しているのではないだろう。

 喜ぶべき面を理性で見いだすのが、人間の悲痛な義務だということなのだ。
 人間は嘆き、悲しみ、怒ることには天賦の才能が与えられている。
 しかし今手にしているわずかな幸福を
 発見して喜ぶことは意外と上手ではないのだ。・・・・  」(p29)


もどって、『心に迫るパウロの言葉』には、こんな箇所がありました。

「 ただ神に出会うことなど絶対にあるものかという人は少し寂しい。
  人間が理解する範囲は実に小さく、私たちはいつどれほど変わるか
  (死をも含めて)分からないのだから、
  その恐れさえ承認しない人というのは、人間というものに対する
  基本的な慎ましさと柔軟性に欠けるような気がする。・・・   」(p82)


はい。こういう舌足らずな引用は、誤解を招きやすそうですが、
ここは、私自身の備忘録として引用しております。 
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ご印象はいかがでした。

2025-04-15 | 本棚並べ
「この世に恋して 曽野綾子自伝」(WAC・2012年)に、
今は、上皇后となられた美智子さまの記述がありました。
思い浮んだので引用しておくことに。

「 皇后様は聖心女子大学の三級下でした。
  卒業後に人生のことを時々お話するようになりました。・・・・ 

  私(曽野)は長く聖書を勉強してきましたから、
  聖書の言葉を話題にすることもありましたが、
  皇后様が研究者のように深く理解しておられて驚くことがあります。 」                
                         ( p188 )

 このあとに、外国勤務の神父、修道女たちに会って
 話を聞いてくださった際のことが記されております。

「 いつかたまたま皇后様からご連絡があったとき、
  アフリカのマダガスカルからシスターが二人、
  南アフリカ共和国、南米のボリビアから神父がお一人ずつ、
  日本にいらしてたことがありました。  」

 偶然のことに、その方々が皇居へお邪魔することとなり。
 その後に、その感想を曽野さんが聞いております。

「 ・・私はシスターたちにきわめてジャーナリスティックな
  質問をしたんです。
 『 ところで皇后様のご印象はいかがでした? 』。
  するとシスターたちは数秒間考えた後、一人が
 『 シスターみたいでした 』と答えました。
  その言葉が私にはよくわかったんです。

  皇后様にも様々な暮らしに対するご興味がおありでしょう。
  しかし皇后様は日本という国のあり方の基本を守るために、
  一切の個人的な選択をすでにお捨てになっているように思えます。
  陛下のご任務に殉ずるためです。
  その覚悟の程をシスターたちはひしひしと感じたのだと思います。 」                                   
                           ( p191 )


はい。『心に迫るパウロの言葉』をひらいていると、
長谷川町子・美智子様と思い浮かんでくるのでした。

正法眼蔵を途中でほっぽり出している私ではありますが、
いつか、聖書も読み齧ってみたいと思えてくるのでした。
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