和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「 はじめに 」

2023-01-24 | 本棚並べ
数年ごとに、みじかな本棚からとりだすのは、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)。

この梅棹忠夫の新書と、大村はまの講演とを
『 重ね読み 』してみたいと思います。

新書の「はじめに」は、20ページあるのですが、
なんど読めど、分かったようでいてわからない。

うん。分からないから、何度でもひらいてみる、
といった方がよいのかもしれないなあ。

ページごとに、言葉に一本筋が通っていて、
まるで筋が多い肉が、噛み切れないように、
嚙み砕いて理解しようとするのを阻みます。

「はじめに」の最後の3行に
『いちばんかんじん』なことを書いてあります。

「 知的生産の技術について、いちばんかんじんな点は
  なにかといえば、おそらくは、

  それについて、いろいろとかんがえてみること、
  そして、それを実行してみることだろう。

  たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。 」


うん。ここで、大村はま先生の講演を思い浮かべます。

「 今までやってみたことはけっしてやりません。
  それから既存の教材はけっして使いません。・・・・

  かならず教材は新しく発掘して使います。
  だれも使ったことがない、教科書などにはもちろん載っていない、
  そういう新しい教材を用意します。

  方法も、自分として今まで一度もやったことのない
  方法を開拓してやるわけです。ですから・・・・

  新卒の時と同じ苦しみです。何をやってよいかわからないし、
  どうやればよいかわからないし・・・・

  もう四十幾年も教員をやっていれば、・・・
  どんな古い方法でも、今までやった方法でもよかったら、
  いますぐにでもやれます。

  けれども、それでは老いてしまうと思います。
  それは精神が老いてしまうことです。

  未来に対して建設できないなら、私は、
  さっさとやめた方がよいと思っています。・・・・

  一般の学校にいるから苦しみも大きいのです。
  しかし、私は、その毎月の研究授業をだれのためにもやっていません。
  自分が教師として老いないためです。・・・・    」

  ( p30~31 大村はま「新編教えるということ」ちくま学芸文庫 )


また、「知的生産の技術」の「はじめに」を引用してみます。

「 この本で、わたしがかこうとしていることは、要するに、
  いかによみ、いかにかき、いかにかんがえるか、
  というようなことである。・・           」( p2 )

「 ここで問題にしようというのは・・むつかしい話とはちがうのだ。
  学問をこころざすものなら当然こころえておかねばならぬような、

  きわめて基礎的な、研究のやりかたのことなのである。
  研究者としてはごく日常的な問題だが、たとえば、
 
  現象を観察し記録するにはどうするのがいいか、あるいは、
  自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、

  こういうことを、学校ではなかなかおしえてくれないのである。
  このことをわたしは、わかい研究者諸君の指導をする立場に
  たつようになってから、気がついた。

  大学をでて、あたらしく研究生活にはいってくる人たちは、
  学問の方法論については堂々たる議論をぶつことはできても、

  ごくかんたんな、本のよみかた、原稿のかきかたさえも
  しらないということが、かならずしもめずらしくないのである。 」
                       (  ~p4 )


はい。『ごくかんたんな、本のよみかた、原稿のかきかた・・』
それを学ぶのには、梅棹忠夫氏より大村はま先生に学ぶに限る。
そう思ってみるのです。今年は、大村はま先生から学ぶことに。

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