和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私は躊躇した。

2011-06-24 | 短文紹介
新潮ムック「これからを生きる君たちへ」(500円)の副題は「校長先生たちからの心揺さぶるメッセージ」でした。この雑誌の最初に登場する先生が渡辺憲司氏でした。
それを覚えていたせいで、今度の新刊渡部憲司著「時に海を見よ」(双葉社)を購入。
新潮ムックに掲載された文が、最初に出てきます。あらためて読むと、こうありました。


「・・・・今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。・・・」(2011年3月15日)

この本の最後の文で、渡部憲司とは、どんな人なのかが語られておりました。
「国語の教師であった・・・・古典文法の代わりに、平家物語の一節を無理やり暗唱させ、中学一年生には変体仮名を教えた。徒然草の授業では『つれづれ』の二十通りの解釈を黒板に書き、それを筆写させた。・・・」(p144)

「昨2010年3月、私は大学を定年退職した。40年に及ぶ教員生活であった(これで終わるつもりであったが、その後、さらに今、校長として教員生活を送ることになった)。」(p142)


 「校長便り」からも、ひろってみます。


「私は66歳である。40年間、『先生』と呼ばれてきた。」(p19)


「言葉は弱い。だが、我々は、それのみでしか相手に物事を伝えることができない。言葉を信じよ。言葉は、はかり知れない力を持っている。」(p35)

「言葉は、『聴く』姿勢から生まれる。自らが言葉を発する前に、まず相手の話をよく聴く。hearではなくlistenである。聴くことは非常に難しい。しかし、言葉は、聴くという行為を大前提にして生まれてくることも覚えておいて欲しい。」(p37)

「芭蕉の孤独感の根底にあるのは、『聴く』ことによる自己への凝視である。」(p33)

引用もあります。

「そう、私たちには、新しいことばが必要なのです。生の記憶を語りなおすことば。人と人を結びなおすことば。他の誰かや過去からの借り物ではない、今日から明日へと、この混沌としたはじまりの荒野を歩いていくためのことば・・・。」(p42)

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