不安やあせりをよくないというのではないのであります。ただ、
それは、本来の人間の姿ではないのであります。とらわれるということを、
戒めたわけなのであります。それも、否定を致しますと、今の肉体界では
やってゆけなくなりますから、私は消えてゆく姿という言葉を用いたわけ
なのであります。
私は決して人間の心の動きや、気持ちの動きを否定は致しません。それは、
私自身が肉体をまとった経験から、どんなにそれが辛いものかということが
わかるからであります。
そこで、この消えてゆく姿という教えが、私どもを真理へと導いてゆく
のであります。
何があろうと、どんなことが起ってこようと、それは消えてゆく姿。ただ、
神の愛のみが消えずに、厳然とかがやくのであります。
私達は、この神の愛をまとって生きている一つ一つの生命、神からの
分生命であります。
私達のなかに神は在って、光をながしつづけているのであります。私達は
神とともにあり、神とともに生きている。
そして、神の大愛は、私達のすべての苦しみを御存知で、それをいやそうと
して下さるのであります。否、すでに私達は、大愛のなかに抱きとられて、
いやしを受けているのであります。
神を信じ、神の大愛を信じ、人間が神の光の一筋であることを信じて、
どのような時にも世界平和の祈りをとなえて参りましょう。
合 掌
昌 久
それは、本来の人間の姿ではないのであります。とらわれるということを、
戒めたわけなのであります。それも、否定を致しますと、今の肉体界では
やってゆけなくなりますから、私は消えてゆく姿という言葉を用いたわけ
なのであります。
私は決して人間の心の動きや、気持ちの動きを否定は致しません。それは、
私自身が肉体をまとった経験から、どんなにそれが辛いものかということが
わかるからであります。
そこで、この消えてゆく姿という教えが、私どもを真理へと導いてゆく
のであります。
何があろうと、どんなことが起ってこようと、それは消えてゆく姿。ただ、
神の愛のみが消えずに、厳然とかがやくのであります。
私達は、この神の愛をまとって生きている一つ一つの生命、神からの
分生命であります。
私達のなかに神は在って、光をながしつづけているのであります。私達は
神とともにあり、神とともに生きている。
そして、神の大愛は、私達のすべての苦しみを御存知で、それをいやそうと
して下さるのであります。否、すでに私達は、大愛のなかに抱きとられて、
いやしを受けているのであります。
神を信じ、神の大愛を信じ、人間が神の光の一筋であることを信じて、
どのような時にも世界平和の祈りをとなえて参りましょう。
合 掌
昌 久