わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

私は本当の人間の姿を説きに この世に出てきたんです

2012-07-24 10:26:51 | 癒し
人間というのは
ちっぽけなもんじゃない
ということを
しってもらうために
私は来たようなもんです
肉体が亡んでしまえばおわり
なんて
ものじゃない
今迄の
思いグセで
私なんか駄目だ
私なんか駄目だ
って
どんどん
自分を
小さくしていって
所詮
人間なんて
ちっぽけなもんだと
一人合点してしまってるのが
現在の人達です
そうじゃないと
いくらいっても
中々
この自分を
小さくするというクセは
治るもんじゃないんですね
 
そこで
私は
消えてゆく姿と世界平和の祈り
ということをいってるんです
これは
いっぺん
色んなおもいを
過去世の業があらわれて
消えてゆくんだ
すべて消えてゆく姿なんだ
という風に
徹底して掴まずに
世界平和の祈りのなかで
救世の大光明のなかで
消していただこうと
こういうものなんです
 
神様というのは
人間の思いちがいを
消そう消そうとしているのに
人間の方で
私は悪いことをした
ああ悪いことをした
私は罪人だ
って思いつづけて
いっかな放そうと
しないんだから 

とらわれている
というより
何だか
苦しい自分に
すがりついているって
感じですよね 

これでは
自由になっていかないんだ
自由になるってのは
まず自分が自由になって
いかなきゃあ
誰一人
自由にすることは
できないんです
それには私は駄目、私は悪い
にすがりついてちゃいけない

先ず
ああ人間は光なんだなあ
だけど
今迄の思いグセで
色々とらわれてしまうんだなあ

だけど、それで消えるんだから
とらわれたらすぐ
平和の祈りのなかに入れて 
守護霊さん守護神さん
消してくださいっていえば
消して下さるんだなあ
と思いながら平和の祈りを祈ってゆくと
本当に消えるんです

自分が自由にならなきゃ
誰一人自由に
できないっていったけど
ずっと祈ってゆくと
みんな守護霊さんが守護神さんが
やってくれてることに
気がつきますよね
だけど
自分が自由になる
明るく
呑気に
朗らかになったらなった分だけ
サーッと光が入るんだし
光を放ってくんだから
それは
みなさんが明るく明るく思って
生きていくってことは
何よりも大事なんです

その上で
ああ私がしてるんじゃないなあ
守護霊さんの方で守護神さんの方で
神様の方でちゃんとみて
やって下さってるんだ
だから安心しながら
祈って
感謝していけばいいんだ
ということになりますとね
もうすなおに 
スーッと神様の光が流れてるんです

先生、そこまでいくの
大変ですよ
とみなさんはいうけれどね
その大変だっていう思いも
消えていく姿なんだから
そう思いながらでも
世界人類が平和でありますようにって
やっていると
いつの間にか
平和の祈りだけが
みなさんのなかに鳴りひびくように
できてるんです
人間というものはそうできてるんです
 
親の家(うち)に帰って
やすらがない子どもはいませんよね
みんなほっとして
なつかしくなって
甘えたくなるでしょ
それとおんなじですよ
世界平和の祈りっていうのは

五井先生っていうのは
みなさんの親なんだよ
実家なんです
いつかみんな
ここに帰ってくるんです
だから
平和の祈りをするとほっとする
五井先生って呼ぶと
ほっとする
というのはあたりまえなんです
そのとき家に帰ってるんだからね
 
じゃあ仕事が辛いから仕事しない
ずっと五井先生って呼んでますというのも
困りものですけどね
だけど
それならそれで
私はその人が早く辛くなくなるように
よろこんで仕事ができるように
祈りながら光を送りますよ
ああいつも五井先生と一緒なんだな
私はなんにもできない
ダメな人間だと思ってたけど
世界平和の祈りを祈らせていただけるんだな
それで
大きな光の働きをさせていただいてることに
なるんだな
よし
辛いけど
苦しいけど 
先ず自分が楽になりたい…
そんな出発だけど
辛い分だけ
世界平和の祈りを祈ってみよう
五井先生って呼んでみよう 
とおもって
そういう出発でいいとおもうんです
 
祈りなんて力んでやるんじゃないし
まして人がみてるからやるもんでもない
セレモニーなんかじゃないわけだから
はじめは
呟きでいいとおもうんです
そのうち一生懸命になる
何だかいつの間にか祈ってる
ということになる 
そうすると
一生懸命が
光を連れてくるんです
 
具体的にいうと
その人に縁のある人たちの
守護霊さんとか霊人とかが
一緒になって祈ってくれるんです

もともと
世界平和の祈りを思いうかべるだけ
救世の大光明霊団がその人をつつむから
それはものすごい光明体に
なるんだけど
それと一緒に親しい人たちの守護霊さんたちも
くるわけですね
そして
みんなして祈っていくうちに
だんだんみなさんが自分の本心の光と
一緒になっていくんです
ドッキングするんです
そうして
無理なく
いつの間にか明るくかわっていくんです

少々のことではへこたれなくなる
人生の苦労をしながら
あああの人もあの人で
大変だなあ
とおもえるようになるんです 
やさしくなって、いく
光になっていくっていうのは
そういうことですよね
 
そうして
大変だなあと思いながら
どうぞあの人の天命が完うされますように
って祈ると
そこでパーッと光がその人にとどくわけです
それは霊団からもいくし
守護霊さん(みなさんの)からもいくし
みなさん自身もいくんです
パッと瞬間に
その人の所に行って
頑張って
といって帰ってくる
それでいて仕事はちゃんとしてるんです 
姿が消えるわけでもない
だけど行って帰ってくる
いちいちいわないだけで(私は)
みんな毎日やってるんですよ
人間はそんな風につくられてるんです

私は本当の人間の姿を説きに
この世に出てきたんです
人間というものが
神様とともに
宇宙の進化と完全平和のために
未来永劫
働きつづけているものなんだ
ということをいうために
私は出てきたんです

宇宙とか進化といっちゃうと
とてつもなく
遠い世界のようだけれども
そうじゃない
みんな
神から分かれた分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)で
一人一人が宇宙なんです
 
人間というのはね
みなさんのなかに真善美があるわけ
平和の気があるわけ
愛の気があるわけです
そんなって思う人は
もう一ぺん
自分がどこから出てきたか
考えてみて下さい
お母さんのおなかの中ですね
そのお母さんのおなかに宿る
その生命は
つまりみなさん自身は
一体どこから出てきたんだろう
みなさん自身はどこにいたんだろうってなると
ちょっとこんがらかる人も
でてくるんじゃないですか?
どうかな
さあどうでしょう
しばいならさしずめ
サアサアサアってとこですよね
 
自分ってのを
この五体っていうか五官の世界で
見ている間は混乱があるんですよね
だけど私がさっきもいったように
人間は神の分生命分霊ですからね
もともとをたどってけば光になるわけですよ
宇宙神のみこころの奥まで
たどればいっちゃうんですよね

生命ってものはですから
神から無数に枝分かれしてきてるんです
人間のいのちはね
もとは一つなんですよ
ですから
世界は一家人類は兄弟っての
あれは真理なんですね
本当にそうなんです
 
もう一ついえば
人間は光その光は神の愛ってことに
なるんでね
この世もそれからあの世
あの世っていうか向こうですよね
霊界も
すべて顕われの世界ですよね
みんな想念の世界です
そのおもいをすなおにして
浄めて世界平和の祈りのなかで
光一元になってくわけですけど
とにかく
すべて今のことがあらわれているわけじゃない
今より前のことがこの世で「現実」
になってでてくるわけですよ

だから
一番いいのは
すべてを
ああ消えてゆく姿だとおもってね
五井先生を呼んで
平和の祈りをやってれば
自分のなかにながれているのは
光ばかり
神の愛ばかりってことになってくるんです
本当にね

それで
光ってのはさっきもいったように
神から分けられてきたもので
何より人間をつくってるものですからね
だから人間が光るんだな
とおもうことは
そのとき
そこに
あなた方のなかに
真善美という
宇宙そのものが
あらわれてくることになるわけです
そうやって祈ってゆけばゆくほど
肉体という
ちっぽけな器を超えて
直接守護霊守護神につながり
神様につながってるのが
人間なのだということが
わかってくるわけです
              平成2年2月2日 記


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