縄文人の志葉楽さんのブログ

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●しばらく

2020年06月04日 11時51分57秒 | 文化
●しばらく
★しばらく【暫く/姑く/須臾】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
[副](スル)《「しまらく」の音変化》
1 すぐではないが、あまり時間がかからないさま。少しの間。しばし。「―お待ちください」「―して主人が現れた」
2 時間的にある程度長く続くさま。当分。「好天は―続くだろう」「―は当地に滞在する」
3 一時的であるさま。仮に。「その件は―おくとして」
「―衣裳にたきものすと知りながら」〈徒然・八〉しばらくぶり【暫く振り】
[名・形動]再び同じことになるまでに、かなりの時間を経ていること。また、そのさま。久しぶり。「―に友人と会う」「―の休日」

★しばらく‐ぶり【暫く振り】 [名・形動]再び同じことになるまでに、かなりの時間を経ていること。また、そのさま。久しぶり。「―に友人と会う」「―の休日」
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・しまら‐く【暫く】 [副]「しばらく」の古形。「―は寝つつもあらむを」〈万・三四七一〉

★暫 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/暫
『暫』(しばらく)
歌舞伎の演目で歌舞伎十八番の一つ。時代物。荒事の代表的な演目である。
あらすじ
皇位へ即こうと目論む悪党の清原武衡が、自らに反対する加茂次郎義綱ら多人数の 善良なる男女を捕らえる。
清原武衡が成田五郎ら家来に命じて、加茂次郎義綱らを打ち 首にしようとするとき、鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声で、さっそうと現われて助ける。

★女暫   https://ja.wikipedia.org/wiki/暫#女暫
座組によっては暫を立女形が演じる『女暫』(おんなしばらく)という諧謔版になることがあった。ただし暫が鎌倉権五郎にようやく落ち着いたのが明治になってからのことだったのに対し、女暫の方は古くから巴御前と相場が決まっていた。大太刀をさげて花道を早足で「しばらくぅ〜」と登場して様になるような名の知れた女性が、日本史の上ではこの「巴・板額」ぐらいしかいなかったためである。

★ざん
〖暫〗 ザン しばらく
長くない時間。わずかの時間。しばらく。
 「暫時・暫定」

★「女暫」 おんなしばらく - 歌舞伎見物のお供
https://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/be20cd4a44ecb370dea4dafd06225419
「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつである「暫(しばらく)」というお芝居の変形版です。
「しばらく」というのは強力無双の主人公が圧倒的な強さで悪人をやっつけるのが楽しいお芝居です。
この主人公を女にしてしまうという、さらに楽しいお芝居がこれです。

★志 葉 楽 (シバラク) - アメブロ
https://ameblo.jp/shibaracu/entry-11446837390.html
2013/01/11 - 志 葉 楽 (シバラク) ☆こころざし【志】 (1)心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。 「―を立てる」「―を曲げる」「事―と違(たが)う」「―を同じくする」 (2)人に対する厚意。人を思う気持ち。 「お―だけはありがたく ...

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志葉楽隊 中世 朝倉 柴田 越前 松平 福井. 28 likes. 中世にはイロイロと乱立し武将などが沢山居る。 継体天皇が現在の天皇家の祖と言われている。

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志葉楽(シバラク)は或る日 向かいの料理屋の旦那がマタ仕事変わるから暫くにしたら。と言われて付けた。


★歌舞伎への誘い | 『暫』しぱらく
https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/play/play11.html
作品のあらまし
清原武衡(きよはらのたけひら)が、自分の意に従わない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)が登場し、人々の命を助けるというストーリーです。
江戸歌舞伎では、俳優は芝居小屋と1年ごとに契約を結びました。その契約のスタートする11月の興行は「顔見世(かおみせ)」とよばれ、一座する俳優の顔ぶれを披露する最も重要な年中行事でした。この「顔見世」で上演される作品には、おもな俳優が一堂に会し、「しばらく」という声とともに登場する正義感あふれる人物が、悪人に殺されかけている人々を救う場面を組込む慣習がありました。
「顔見世」で上演されたさまざまな作品で、何度も演じられたこの場面は、次第に洗練されていき、一定の演出が完成しました。明治以降は、この場面を『暫』として独立させて上演するようになり、現在に至っています。このような経緯で誕生したため、ストーリーを楽しむというよりも様式化された演出を楽しむ演目といえます。
主人公は代々の市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が得意とした「荒事(あらごと)」で演じられるため、『暫』は團十郎家の「家の芸」である「歌舞伎十八番」の1つに数えられています。
★見どころ1
『暫』には、一座のおもな俳優の顔ぶれを披露する意味があったため、さまざまな役柄が登場します。

★『暫』しぱらく  
歌舞伎十八番のひとつになります。
もともと、「暫」というタイトルの独立 した演目があったわけではありません。
「悪人が横暴を極め、善人側の人々を殺そうとしているとき、「しばらく」と声をかけて圧倒的に強い正義の味方が現れ、善人たちを助けて清原武衡の陰謀を暴いた上で、清原武衡の手下たちをなで斬りにして去っていく」
簡単に言うとこんな感じの一連の展開が、お芝居の中の約束ごととしてあったのです。細かい設定や役名は毎回違います。
この展開をお芝居の中に使うとき、「『暫』の趣向を使う」という風に言いました。
もともとはそんなフレキシブルなものです。
江戸末期になって七代目団十郎が歌舞伎十八番を選んだとき、その典型的な舞台として、「暫」というお芝居を整理したのが、現行上演の原型になっていると思われます。

★暫【しばらく】世界大百科事典
歌舞伎狂言。時代物。1幕。初世市川団十郎初演の演目の一部に〈しばらく,しばらく〉と声をかけて登場し,悪人を追い散らす場面があった。初演は1692年(元禄5)正月江戸森田座の《大福帳朝比奈百物語》というが,現存の狂言本で,その内容をつかめるのは97年の《参会名護屋》まで下る。2世団十郎もこの荒事の場面を踏襲し,以来11月顔見世狂言の三建目(序幕)に不可欠のものとなった。歌舞伎十八番の一つに加えられたときから《暫》の俗称が狂言外題として定着した。




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