憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

新聞の読者投稿欄

2011-08-14 22:07:50 | フラグメンツ(学校の風景)
 私が購読している新聞は、毎週月曜に教育版を掲載している。そこの隅のほうについ最近まで「私の恩師」というタイトルの読者投稿欄があった。タイトルから大方の察しがつくと思うが、読者が幼少の頃に出会った教師の心温まるエピソードを投稿し、それを掲載するものだった。投稿する年代はというと、やはりといってよいかと思うが、高齢者が多かった。
 エピソードの内容といえば、幼少期に寂しかったりひもじかったりした時に、担任の教師の温かい言葉が励みになって今に至っているとか、教師の教え導きによって今の私があるとか、というもので、恐らくはエピソードの内容も、大方察しがつくだろうと思う。
 こうしたエピソードは例外なく、恩師への感謝の気持ちが表されていた。
 それはそうであろう、そもそも、そのようなエピソードを求める欄であろうからだ。
 私は、毎週月曜日の朝、自宅のリビングでこの欄を読むたびに、なんともいたたまれない気持ちになった。それは、とてもじゃないがこんな立派な教師とは違う自分にいたたまれなくなる、ということもあるけど、それとは別なところに、私のいたたまれなさがあった。
 それは、人間というのは、こんなおじいさん、おばあさんになっても、小さいときに出会った教師のこと、それも、学校でのある日あの時の一言やある日あの時の態度というものを覚えているんだなあ、ということである。
 覚えているだけではない。下手すると、あの時の一言やあの時の教師の態度といったものが、その人の生きていく人生の糧となってしまっているということにもなるのだ。
 小学校3年生のとき、自分の弁当がみすぼらしくてみんなと一緒に弁当が食えなくて一人ぽつんと食っていたとき、担任の教師が貧乏は恥じることではないと、勇気づけてくれた一言で、その後も頑張って生きていけたとか。あるいは、小学校6年生のとき、君には作文の才能があると言われて、そのまま文学部に入り文学に魅せられた人生を送ったとか。そんな教師の一言が、その人の人生を決定づけるものになっているのだ。
 私はいたたまれない。教師のそんな一言や態度が、その人の人生の指針というか、人生の糧というか、とにかく生涯忘れられない記憶になってしまうなんて。
 ああ、いやだいやだ。そんなのはまっぴらだ、と思う。

 さらに、私は考える。
 これが心温まるエピソードだから、美談として新聞の投稿欄にのるけれど、その逆だって当然あるはずである。教師の何気ない一言や態度によって、傷ついたり、怒りを覚えたりと、マイナスの忘れられない記憶をもつ人もいるはずだ。
 普段は記憶の奥底に封印しているけれど、ふっとある時、憎たらしいあの教師のことを思い出したりして、怒りふるえるといった経験を持っている人だって、いることだろう。
 こちらの場合も、ダメ教師のエピソードとして集めることはできると思うが、そんなものは新聞の投稿欄のテーマにはならないだろう。「2ちゃんねる」を開けば、それこそ多数の書き込みがあろうとは思うが。
 こちらであれば、私は、いたたまれずに済む。

 新聞の「私の恩師」の美談も、「2ちゃんねる」のダメ教師も、どちらも教師の何気ない一言や態度かもしれない。けれど、私だったら、後者で記憶に残られることの方を望む。
 そんなことを考える私は、教師の世界では少数派なのだろうか。