LeuciのCPB

事の真相を自分なりに探究し記録しています。

ゆとり教育は正しい

2008年06月15日 | Weblog
ゆとり教育=知恵教育 だよね?
それならこれは悪くない方向だと思う。
ただ高度ゆえに現実的ではないのかもしれない。

いざ実行してみた時に、なにが起きたかを推察するに
知恵教育を劣化知識教育に摩り替えた。
日教組が上部組織の命令に従って。
実行に移す場面で相当工作があっただろう。
そして「失敗」させて知識教育(下僕教育)に戻させた。

目の前にある一つの考え方を、脳内に移す。
それが上手なものが賢い。これが知識(詰め込み)教育だ。
これは自分の頭ではまだ何も考えていない。
これらを詰め込むことでできあがる人間は、完全に
教育を操る者が制御可能なレベルにしかなれない。

特に歴史なんてのは強者による解釈曲げの世界であり、例えば
悪の限りを尽くしたような英国(ロスチャイルド)のやってきたこと
等はスカスカになっている。

英語はただの手段であり、それも目的に(優劣を決める道具に)
するため、自らの手で複雑難解なものにしている。
こういうものは、難度は一定でラインを超える人数を制御しては
いけないだろう。こんなものを広めるのは、その効果が非英語圏の人間の
知恵の発達を妨害するのに都合がいいからだ。

教育分野には管理できる範囲に留めさせようとする
悪意が満ちている。人間支配に直結するからだ。
支配したい国・地域のエリートには知識の塊がつきやすいようにする。
知恵者は評価されにくい社会=学歴社会
になるように誘導する。

優劣を決める道具であってほしい、という心を質に取っている。
まだ自分らはそのほうが有利だと思っている。

知識エリートの国は、知恵の必要な問題に、持っている知識(枠型・定規)を
次々に当ててみる。 そしてピッタリこない違和感を感じながらも、
一番似ているものに、知恵の方を変形させて嵌め込む。

これを実現させるために、枠型に様々な権威付けを行う。
そうやって出し惜しみすれば、あとは自然に渡したい相手に渡る。

枠型職人やそれを元にする弟子の作る枠型の不完全さ
を、その上の知恵集団は分かっている。

その歪さを利用して、都合の悪い思想を~主義だとかに
ぶち込んだりしていかに上手に利用するかを競ってきた。

だからもし科学分野でもこのようなケムに巻くゲームをしていたと
したら、本当はもうとっくにずっと先まで真理は明らかに
なっていて、現代地表人など超えた存在がいるかもしれない
という推測に行き着くわけだ。






>ラビとは、優れた弁護士で有り検事で有り、
牧師で有り、学校の先生でも有る。
ラビはタルムードに精通した、ユダヤ人の誇りで
有り象徴で有り、全てのユダヤ人の憧れで有る。
ユダヤ人最高のステータスは、ラビという職業で有る。

>医者や政治家ではない。
「教育者」がステータスの頂点に君臨する。

>何故なら、優れた実業家・医者・政治家・科学者etc・・・
これら優れた人間を育成するのは、紛れもなく優れた「教育者」
で有るとの信念に基づく。優れた「教育者」がいなければ、
優れた個人も、優れた民族も、優れた国家も作られる事はない、
だから「教育者」こそがもっとも優れていなければならない、と
彼等は考えている。

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