開戦時、北支那派遣軍参謀・辻少佐は関東軍に転出しており、協和会工作、アヘン密売ルートの根絶などがようやく軌道にのりだしていた。また、石原大佐に「長城線より南に指一本ふれてはならない」と諭され、戦線の拡大に反対の立場を表明。
おなじく第一軍司令・香月中将は宋哲元との間で交渉をおこない、盧溝橋事件の講和をいったんは成立させている。
こうした、開戦に反対している面々が「やるならせめてこういう風にしろ」と言ったばかりに、いつの間にか積極的であるかのように受け取られ、終わってみればもともとの立案者だったかのように言われることもある。
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