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ベストプレープロ野球 85

2022-05-07 17:01:43 |  野球ゲーム
 「巨人監督招請案は消えたが、渡邉の星野に対する思いは変らない。2008年には、北京五輪日本代表監督に、『神様ならONだが、2人とも健康の問題があるから、北京五輪監督は無理だ。人間なら星野君しかいないだろう』と、独特の渡邉流のいい回しで、星野を強く推したのだ。この鶴の一声で流れは一気に決まり、星野監督が誕生している。」




「『ONのあとに自分のようなものが日本代表監督をやっていいのかと思っている。身に余る光栄だ』星野はこう感激しながら胸を張り『金以外の色のメダルはいらない』と高らかに宣言。 国民的悲願である五輪金メダルの獲得を公約した。」

「しかし、北京五輪での結果は、皆さんもご存じだろう。金どころか、違う色のメダルさえも獲得できなかったのだ。金メダル宣言での期待が大きかったぶん、その反動も計り知れなかった。世論は星野監督総バッシングの様相を呈した」

「そのなかで、渡邉だけは星野擁護を続け、09年のWBC第2回大会でも続投させるべきと主張した。『北京五輪で負けたといっても、星野以上の監督がいるか。いるのなら教えてくれ』報道陣に対し、こう真っ向から反論。日本代表・星野監督支持の姿勢を変えようとしなかったのだ。」

江尻良文『渡邉恒雄とプロ野球』(2014年、双葉社)
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ベストプレープロ野球 84

2022-05-07 16:33:41 |  野球ゲーム
 監督としての星野はライバルである巨人の経営陣から最大限の評価をうけた。後のことであるが2005年には渡邉恒雄(当時球団会長)が巨人の監督に星野を招聘し大騒動となる。以下、江尻良文『渡邉恒雄とプロ野球』(2014年、双葉社)より抜粋。



「2003年に原辰徳監督が辞任したのち、巨人の指揮を執った堀内恒夫監督だったが、04年は3位、05年も低迷を続けていた (最終的に5位)。そんななか、渡邉会長が次期巨人軍監督として大物の招聘に動く。その相手は、星野仙一阪神シニアディレクター(当時=現楽天監督)だった。」

「この動きが報じられるやいなや、日本中がハチの巣をつついたような騒ぎになった。スポーツ新聞が連日一面で報道しただけではない。テレビ各局のワイドショーでも『巨人・星野』情報が大々的に取り上げられるなど、空前絶後の報道合戦に発展したのだ。」

「プロ野球界の枠を越え、社会的な大事件扱いとなった『星野巨人監督騒動』。 当事者だった 渡邉会長は『最後は、星野君のほうから断ってきたよ』と、言葉少なに内幕を語っていた。」
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