「巨人監督招請案は消えたが、渡邉の星野に対する思いは変らない。2008年には、北京五輪日本代表監督に、『神様ならONだが、2人とも健康の問題があるから、北京五輪監督は無理だ。人間なら星野君しかいないだろう』と、独特の渡邉流のいい回しで、星野を強く推したのだ。この鶴の一声で流れは一気に決まり、星野監督が誕生している。」
「『ONのあとに自分のようなものが日本代表監督をやっていいのかと思っている。身に余る光栄だ』星野はこう感激しながら胸を張り『金以外の色のメダルはいらない』と高らかに宣言。 国民的悲願である五輪金メダルの獲得を公約した。」
「しかし、北京五輪での結果は、皆さんもご存じだろう。金どころか、違う色のメダルさえも獲得できなかったのだ。金メダル宣言での期待が大きかったぶん、その反動も計り知れなかった。世論は星野監督総バッシングの様相を呈した」
「そのなかで、渡邉だけは星野擁護を続け、09年のWBC第2回大会でも続投させるべきと主張した。『北京五輪で負けたといっても、星野以上の監督がいるか。いるのなら教えてくれ』報道陣に対し、こう真っ向から反論。日本代表・星野監督支持の姿勢を変えようとしなかったのだ。」
江尻良文『渡邉恒雄とプロ野球』(2014年、双葉社)