ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

サーブとドッヂ

2017-05-24 23:13:10 | 日記

 子供のころから球技が苦手で、特にバレーボールは自慢じゃないけどサーブがネットを越えた覚えがありません。

 

 ときどき、「やっとサーブが入った!」という夢を見ます。そして、目が覚めて、あーあ、やっぱりな、夢か、、と思うのです。

 

 たぶん、この先、バレーボールをする機会もないだろうし、私のサーブがネットを越えることもないでしょう。

 

 会社で一緒にお昼を食べているSさんは、すらりと背の高い人で、今もバレーの試合にでたり、週末はテニスをしたり、アクティヴな人です。

 

 きょうもロッカー室でお茶を淹れながら、私が今までサーブが入ったことがなくて、夢をみたりする、という話をしたら、

 

 Sさん「私なんかすぐオーバーしてしまうから、なるべくコートの線から離れたところで打ってるねん。気をゆるして思い切り打ったら、体育館の壁にあたるもん」

 私 「えええ、すごい・・・・(そういう夢は想定外すぎてみたことがない)」

 Sさん「もしかして、ドッヂも苦手で逃げ回るタイプ?」

 私 「うん、そうそう、ぜったいボールに触らんようににげてたよ。チームのリーダーがチームメイトをひとりずつ選んでいくとき、絶対最後のほうまで残ってた」

 Sさん「うっそー、私、ドッヂ大好きで、思い切りばんばん当ててた。横目でみて顔の向きと違う方向に投げたりして」

 私 「そんなワザがあるんかー。(レベル高すぎるよ)Sさんだったら、一番に選ばれてたやろうなぁ。そういえば、高学年になったら、強い子と弱い子はセットで選ばれたりしてたなぁ」

 Sさん「あはは! 抱き合わせかぁ。そしたら、私とふじたさんは抱き合わせになってたかもね」

 私 「あははは! ほんとほんと」

 

 そこへ、うちの課長が入ってきて、「ここだけなんや楽しそうやなぁ」といいながら、冷蔵庫の冷奴(いつものお昼ごはん)を出して、去って行きました。

 

 Sさんが来てから、会社の雰囲気も明るくなった気がします。

 

 

 

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礒じまん

2017-05-23 22:27:04 | 日記

 きのう、家に帰ったら、シンクに礒じまんの空き瓶が洗って伏せてあって、やった!!と思いました。私は滅多に海苔の佃煮は食べないのですが(たまに食べるとおいしい)、あの瓶をこよなく愛しているのです。

 

 シールをはがしたら、波のもようの美しい瓶になります。形も大きさも、ちょうどよくて、枯れた花を摘んでるうちにまちがえて元気な花を摘んでしまったときとか、ちいさな花を入れるとほんとうにかわいいのです。

 

 数日前に一鉢ひきぬいたビオラをキッチンにばさっと飾っていましたが、だんだんしおれてきて、あと2本だけ元気に咲いていたので、さっそく磯じまんの瓶に入れてみました。

 

 ビオラもうれしそうです。

 

 

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マーブル(覚えている記憶、忘れている記憶)

2017-05-22 22:06:15 | 日記

 このあいだ、再校作業にいったとき、Kさんに「ふじたさん、むかしこういうこと言ってたよねぇ」といわれて、「え、そんなこと言いました?」ってなりました。

 

 いま自分の頭に残っている記憶はういろうみたいにおぼろげで、人にいわれて蘇ることもあるし、言われてもまったく覚えていないこともあります。

 

 さっきも塔の友達に、「むかし、息子さんにつくってもらったかばん、まだ使ってますよ」って言われて、ああ、そういえば、リサとガスパールのアップリケのかばんをふたりで作ったなぁともう10年以上も前のことを思い出したのでした。だけど、どんなデザインだったか、うる覚えです。

 

 亡くなった親友がなにげなくくれたハゴロモジャスミンの鉢が、もう20年も毎年花をつけているように、ずっとまえにあったことや言ったこと、記憶にももうないようなことが、誰かの近くにまだころがっていたり、飾られていたりするのですね。なにげなく言った言葉やもらった言葉が、ポットのなかの紅茶の葉っぱみたいに浮かんだり沈んだりしてだんだんいい色になっていく。

 

 ずっとまえ、彫刻をしている友達が言っていたのですが、

 

 頭のなかに残っていないと思っていることでも、人との関わりのなかで、言葉やしぐさや風景や時間が自分のなかに取り込まれて行って、もう会えないひとになったとしても、いつか作品のなかに紛れ込んでいると思う。 って。

 

 短歌や童話もそうだなぁって最近よく思います。一番新しい自分が作品を作っていますが、それは現在の私だけでなく、いままでのすべての時間や感情や風景がマーブル状になってでてくるんだろうな。そして私の知らないところで、私も誰かのマーブルのなかにいるのかもしれないな。

 

 そう思うと、年月を重ねていくことも、結構いいことかもしれないと、思えてくるのです。

 

 

 

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日傘を買う

2017-05-21 22:08:35 | 日記

 今朝、ガレージの植物のようすを見に行ったら、このあいだ移植した綿の芽がプランター2つぶんほぼ全滅状態でした。

 

 あと1つのプランターだけになってしまったので、気を取り直してあらたに2つのプランターと鉢1つに綿の種を植えました。うまく育ちますように。

 

 新しい日傘のことも気になっていて、会社のSさんがとてもいいのを持っていて、私もネットで買おうと思ったら、7月まで入荷予定なし、になっていました。

 

 それで、午前中に伊勢丹へ行き、新しい日傘を買いました。ちょっと高かったけれど、どうしてもすぐに折り畳みの紫外線をカットできる晴雨兼用傘がほしかったのです。それから、来週の日曜日の義父の卒寿のお祝いの記念品を選び、岩倉へ。

 

 きょうの割付、校正作業は少し少な目で、17名。 かわいい子供たちも来ていて、なごみました。

 

 シロツメクサを摘んできて、冠にしたりして遊んでいて、とても懐かしい気持ちになりました。

 

 おとといの歌会で、Aくんが、「やっぱり時間つくって参加してよかった! 短歌にふれていると力がわく」というようなことを言っていたのですが、短歌の作業に参加すると、短歌オーラを纏ったひとたちの空気のなかに自分を置くことで、やらなくちゃな、というモードになります。

 

 私が編集部を退任したことで、それぞれの編集部の人たちの仕事が増えてしまっているのも申し訳なく、せめて割付再校作業だけはなるべく参加しようときょうも思いました。

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着火剤

2017-05-20 19:12:42 | 日記

 きのうは神楽岡歌会で、そのあとで行った焼き鳥屋さんでのこと。

 

 西京みそフォンデュが運ばれてきて、オクラとか黄色ピーマンとかミニトマトとか、生野菜をあったまった西京みそにつけて食する、ということだったのですが。

 

 ひさしぶりにきていたTさんが30分だけしかいられない、ということでそのお味噌があったまるのを待っていたのにあたたまらず。

 

 Aくんが味見で、ひとつ食べてみたけれど、「むしろ冷たい」

 

 ・・・・・

 

 火を確認する。 ちいさな火がちいさく揺れています。

 

 私「これさぁ、着火剤じゃないよ、蠟燭ですよ」

 Sさん「ほんまや、これ、OLとかが週末に風呂で灯す蠟燭だ」

 私「そうよ、これはアロマ用やん、こんなんで味噌は煮えないよー」

 

 お店のひとが別のお料理を持ってきたので、確認する。

 

 私「あのー、なんだか火がちいさくてあたたまらないみたいなんですけど」

 お店の人「あ、すみません、取り替えます」

 

 しばらくしてセットされた火。 

 

 Aくん「さっきのよりちいさい」

 

 お酒を持ってきたお店のひとに、

 

 私「あのー、蠟燭じゃなくて、水色の着火剤みたいなのはないですか。よく旅館なんかでひとりしゃぶしゃぶについてくるやつ」

 お店のひと「ああ、ありますねぇ、うちではいちおうこれなんですよ」

 (いままで注文したひとは冷たい西京味噌で食べていたんでしょうか・・・」

 お店のひと「つぎの会議のとき、ぼく、新人なんですけど着火剤つかうように提案してみます」

 

 それから、Sさんが「鍋の底のほうに野菜を押し付けたらちょっとだけぬくい」とか、「蠟燭の火で野菜をあぶってから味噌を塗ったらちょっとあたたかい」とか。いろいろ自主的に食べ方を工夫して私たちに教えてくれました。

 

 だけど、そんなに客が苦労してあたためて食べるものでもなかろう。

 

 だんだんおかしくなってきて、笑いながら炙ったり、あたためたりしながら、それでも全部食べたのでした。

 

 

 

 

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