きょうは山城歌会の宇治吟行会でした。
少し寒かったけれど、お天気もよく、紅葉もまだ残っていて、気持ちがよかったです。 10時半に京阪宇治集合だったので、今年リニューアルした平等院鳳凰堂の見学は1時間待ちで断念。今回は鳳翔館をゆっくり見学しました。 雲中供養菩薩は何度も見たことがありましたが、いつも素通りしていた十一面観音立像の隣の伝帝釈天立像がすばらしく、見とれてしまいました。
散策からの参加者は12名。お食事「鮎宗」(あいそ)さんに直接来られたひとが3名。15名で真剣に歌をつくって、おいしいお食事をいただいて、13時すぎから歌会。みなさん、即詠とは思えない完成度の高さで、うなりました。
私が出したのは
・そっとその指に触れたし欠落をつかむ伝帝釈天(でんたいしゃくてん)の右手
左手に桃のようなものを持っていて、右手はたぶん棒状のものを持っていたのにそれがなくなっていたので、指相撲でもやりましょうよという感じの手の形だったのでした。
いつもはあまりコメントをされないKさんがほぼすべての歌にコメントをされて、どういうところに歌作りの中心があるのか、少しわかったような気がしました。体言止めはよくないと(きょうは私の歌のほかにもいくつかありました)いわれて、なぜ体言止めがいけないのか、好き嫌いじゃなく説明してほしいという意見がでて、
「日常はもっとあわいものなんですよ。体言で止めるとかっちりはまって決まりすぎるでしょ」
という意見でした。 私は歌によって違うので体言止めがいいのもあるし、よくないのもあると思いますが、「日常はあわいから」というその理由になるほどと思いました。
やっぱり歌会にでると元気になります。 吟行会は司会が集めた歌を一首一首読み上げ、それを書き写すので、いつもより深く関われたような気がします。 どの字を漢字にしているか、旧かなかなど、ひとつひとつ確かめて自分の手で書く、という行為は丁寧で、みなさんの作品を大切に鑑賞できるので好きです。 幹事のYさん、どうもありがとうございました。
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