ここ数日、ずっと持ち歩いていました。 持ち歩くには結構重い本なのですが、ほかの本と並行して読めない、この本だけを読み続けたいという衝動にかられ、電車の中で数ページ、ホームで待ちながら数ページ、京都駅から西大路駅までの1駅の間に数行、といったふうに、時間を繋いで、きょう詠み終えました。
長い映画を見ていたような読後感。
事件、震災、叔母さんの葬儀、いろんなシーンがつぎつぎに展開されていって、それぞれのシーンに重みがあって、ひとつの場面が終わるたびに深く考え込まざるをえない。
この歌集のなかに流れている時間と自分の時間を重ね合わせて、あのとき、私はどんなことを思い、どんなふうに同じ事件をとらえて、どういう空気のなかで生きていたか、ということが浮かび上がってきて、自分の生きた時間の物語をたどっていく、という不思議な気持で読み進めました。
特に最後の「2015」の章が圧巻で「お金をくれる伯母さんの死」からは引き込まれていきました。伯母さんのお葬式の一連からつぎの「棺、「棺」」の笹井宏之さんの死にまつわるエッセイと笹井さんの歌、そこに差しこまれる斎藤さんの歌。
このあたりは何度もうなずいたり、ほんとう?って思ったり、絶対違うって思ったり。
こんなに長い作品のなかの一文を書きだすのは、どうかなって思うけれど、あえて書くなら、
「ただしく世界に立ち向かおうとしていた。」 のところでは、そうかな?って思う。
・あした死ぬかもしれないのにそれなのにどうして壁をのぼっているの 「ななしがはら遊民」
という笹井さんの歌を引いて、こう書いている。
・・・
「あした死ぬかもしれないのに」が、ぴんと来なかった。
この<私>は「あした死ぬかもしれない」と
ほんとうに思っているように思えない。
一般論を定型に嵌めた歌としか思えなかった。
中略
彼は、彼が「あした死ぬ」ことをまったく予感していなかった。
彼はふつうに生きようとしていた
・・・
そうかな。 私には死がすぐそばにあったようにしか思えません。
笹井さんが亡くなった2009年1月。 その年、笹井さんからもらった年賀状を写真立てに入れてそばにおいているのですが、手書きのとても丁寧な文字と、マジックで書かれた牛の絵を見るたびに、私にまでこんな丁寧な年賀状を書いて、かなり無理をされたんじゃないかと、申し訳なく、本当にご家族に、笹井さんに謝りたくなります。
複雑な思いを、ずっと抱いてきた気持ちを、『人の道、死ぬと町』を読んで確認し、絶対に忘れてはいけないと思いました。
・・・
それでも私は、あなたにいてほしかった。
あなたの歌よりも、あなたにいてほしかった。
・・・
この気持ちは私も同じです。 斉藤さんにお会いする機会があったら、訊いてみたいことがたくさんあります。
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