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いつでも君のこと好きだったよ

月と六百円の会 近藤芳美『黒豹』

2015-09-17 22:56:48 | 日記

 きのうは月と六百円の会でした。

 

 17時31分にタイムカードを押し、45分のバスに乗り、塔事務所に着いたのが18時20分ごろ。 18時30分からなのでぎりぎりです。

 

 事務所の1Fはガレージですが、そこで濱田くんと会いました。 濱田くんは今回の『黒豹』のレポーターのひとり。 一瞬の間があったあと、「この歌集大変だったねえ」と声をかけあいました。

なんというか、歌集を読む楽しみ、というものが私には感じられなくて、わっと心を鷲掴みにされるような歌とか、じわ~っと奥のほうから湧いてくるようなものがなくて、ああ、なるほどと思ったりしました。

 

 すごくいいからと勧められて、期待して読んだらまったく自分にはよいと思えなくて、最後まで読めなかったり、自分がいいと思った歌集を他のひとが「ピンとこなかった」と言われたりしたことがいままでにもあったのですが、歌集にしても歌にしても、自分にとって「ああ、こういうのが詠みたいな」というものがなければ、いくら志が高かろうと、技術が高かろうとそれは「ピン」と来ないのですね。

 

 濱田くんのレポートは歌に即して丁寧に助詞のこと、「クセ」のこと、キーワードなどをまとめてあって、読んでいけば読んでいくほど、「近藤芳美って、歌うまいの?」という疑問が参加者の間からも意見が出ました。 

 

 『黒豹』は迢空賞を受賞しているのですが、その当時の迢空賞は歌集だけでなく、それまでの歌業に対しての評価もあったそうで、『黒豹』の受賞はそれまでの近藤芳美の仕事に対して与えられたのかも、ときのうの会では言われていました。

 

 私のレポートは「内なる兵」「妻について」を中心に、30首から100首の大きな連作の内容に触れながら話しました。 せっかく塔の若いひとも多いので、資料として「近藤芳美と高安国世」、「同時代の歌集、歌書、同人誌」、「目次と歌数」「当時おこっていた戦争、紛争」をつけました。 

 

 結局、近藤芳美は戦後直後から「いかに生きるか」「それを歌に詠め」と繰り返し叫んでいて、戦後二十年経った『黒豹』のころには前衛短歌最盛期で、高安さんは『虚像の鳩』あたりで前衛を取り入れた歌をたくさん作ったのに、前衛風にもならず、力の入った兵の歌が「いかに生きるか」にとらわれすぎて成功したとは言えない歌になってしまったのではないか、と思いました。

 

 参加者の人からも自然詠も材料が1首に3つある歌がいくつもあって、盛り込み過ぎということになぜ気づかなかったんだろうとか、歌会で指摘されることはなかったんだろうか、という声がありました。 たぶん、このころは多忙であったと思われますが、50首とか100首とかという依頼があって書いていた、という感じがしたし、歌集に載せるときは少し歌数を減らしたりすると思うのですが、あきらかに全部載せたと思われる作りでした。 「未来」の人がいたらもっと別の意見がでたかもしれません。 ぜひきいてみたいと思いました。

 

 私がいいなと思った歌

 ・森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろしの吾の黒豹

 ・未来とも過去とも知らず霧の舷吾は図嚢を負うひとりの兵

 ・りんごの皮まきたる芝の夕光に尾長はつどう妻のひと日に

 

 あ~ とりあえず「黒豹の日々」は終わりました。 終わってみると結構楽しかったです。 いろいろ調べてわかったこともたくさんありました。

 

 来月は葛原妙子『橙黄』だそうです。

 

コメント
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